「宇田川源流 日本万歳!」 非常に事態に際して冷静に対処することのできる日本人の秩序とその性質
「宇田川源流 日本万歳!」 非常に事態に際して冷静に対処することのできる日本人の秩序とその性質
月曜日は「日本万歳!」をお送りしている。とかく、日本の内容から考えて、日本人というのは最高の技術に最高の国民性を持ちながら、なかなか自分たちに自信を持てないし、また自信を持っているとなぜか批判が出てきていたりするのです。本来は自分の仕事にプライドを持ちなおかつ、それが生まれ育った日本という国が自分に影響を得ているということであると思います。もちろん日本の中にも様々な地域性があり、また、その地域性だけではなく環境の変化や先天的な人間性の問題などもあるでしょう。しかし、その中の日本人という枠組みの中で、どのように物事を考えるかということは、日本人特有の考え方や特徴上がるということになってゆくのではないかと思うのです。
そこで、地域性や個人ということがありながらも「日本」ということに注目し、そして、日本人が自分たちの行っていることに自信を持つことができ、なおかつ誇りを持つことができるように、それにふさわしい内容のマスコミ報道を取り上げて、その報道に関して、少し深く突っ込んだ話をしようと思っているのです。
日本人としての誇りを、皆さんの中に少しでも芽生えていただければ幸甚です。
さて、今回は日本人の秩序というものを考えてみる。
日本人というのは、「常に冷静であること」「パニックを起こさないということ」「自然と運命を受け入れる体制にあること」が特徴であるといえる。あの東日本大震災の中において、日本人は取り乱すこともなく、また多くの犠牲がありながらも、その犠牲を未来への教訓と生かして目を前に向けることができる国民性を持っているのである。
監視がいないから略奪をする。生活が苦しいから暴動を起こす、世界各国の災害時にはよく見る光景であることは、報道などで見ることができるが、それは「お互いを信じること」「暴動を起こして破壊しても何も良いことがないこと」を知っているということが最も大きいのではないか。その意味で、日本人というのは、先に挙げた三つの特徴を色濃く出しているということになる。
全日空の武漢チャーター便関係者「邦人は冷静に待機」
全日本空輸は23日、新型コロナウイルス感染症が拡大する中で邦人やその家族の退避のために武漢からのチャーター便を1月に運航した機長らが、外務省から感謝状を受領したと発表した。
機長らは同日、報道陣の取材に応じ、空港での邦人の様子について「非常に緊張している様子だったが、冷静な様子に私たちも驚いた」と振り返った。
チャーター便は1月25日に外務省から打診を受け、26日に運航を決定。29日午前4時57分に第1便が武漢を出発し、8時41分に羽田空港に着陸した。全日空はチャーター便を2月17日まで計5便運航し、計828人が帰国した。
第1便出発時の武漢空港での状況について、現地責任者を務めた鶴川昌宏武漢支店空港所長は「エアコンが止まっている寒い中、邦人は長時間待っていたが、非常に冷静だった」と日本人として誇りに思ったという。さらに、「逆にお客さまからねぎらいや心配の声をいただき、第5便まで運航する勇気をもらった。感謝しきれない」と語った。
1月末時点では、感染防止策が確立していなかったが、第1便の支倉暢彦機長は「マスクや消毒用ペーパーなど考えられる防止策をとった」と手探りで安全に配慮したことを明らかにした。
第1便の石黒麻里子チーフパーサーは、一部の乗客から「『大変な中で迎えにきてくれてありがとう』と声をかけていただいた」と振り返った。
2020年6月23日 18時52分 産経新聞
https://news.livedoor.com/article/detail/18462566/
「恥」の文化というものがある。
戦前、大妻女子大学が市ヶ谷にできたときに、その大妻女子大学の近くに居住していた東郷平八郎に、その幹部が依頼し、講堂に飾る書を依頼した。東郷平八郎は熟慮に熟慮を重ねて「恥を知れ」と書いたという。
恥ずかしいということを知らなければ、恥ずかしいことをしてしまうし、恥ずかしいことをしてもそのことがわからない人間に育ってしまう。恥を知ることこそ最も重要であり、恥を恥として受け入れられるから、恥ずかしいことをしなくなる。しかし、それが同じコミュニティの中で、「恥」の概念が違った場合は、その恥ずかしいことをしてしまっても、その反応がない。つまり、成熟した社会においては「恥」の共通概念が成立していることが必要であり、その恥の概念が見えなければ、恥かしい人間になってしまうのである。この意味で、「恥を知れ」という東郷平八郎の書いた内容は、大妻女子大学の言葉として、今も生徒手帳に書かれているという。
さて、何か大きな事件が発生した時に自分を見失い取り乱し、そしてパニックになる。これは、「恥」であると日本人の価値観の中では言われているものである。泰然自若として、物事を受け入れることこそ日本人の最大の特徴でありなおかつ、日本人のもっとも恥ずかしくない行動の中の一つであるということが言えるのではないだろうか。
今回の記事は、今年の2月に武漢にいる日本人に対して、その日本人の帰国のためにとんだ飛行機の乗務員の話である。まずは、少なくとも現在のコロナウイルス禍の中で、何ともないのに過剰に反応している人がいる中、自ら危険地帯に行って邦人を助けるという全日空の乗務員の心意気はまず何よりも日本人らしい。街中でも、何か過剰に反応し、土地や都道府県ごとの差別を助長するような謎の行動をする人が多い。他人に「コロナだから」といって、過剰に外出の自粛を呼びかける。実際に、私のようなジャーナリストは、危険な中で物事の真実を突き止めることが仕事であり、他に迷惑をなるべくかけないように、自分たちの内容を考えるということが最も重要なのではないか。誰かがいかなければならない時に、皆が自粛してしまっていてけん制してしまっていては話にならないのである。
そのような中で、また武漢から日本に戻る日本人も素晴らしかったという。
空港での邦人の様子について「非常に緊張している様子だったが、冷静な様子に私たちも驚いた」と振り返った<上記より抜粋>
まさに、「緊張はしている」これは仕方がないことであろう。外国のパニック映画などでは、我先に飛行機に乗り込んで場を混乱さるような人物が出てくるところであるが、日本人はそうではない。常に冷静でありなおかつ、秩序だった行動をとる。そもそも平時でも、電車に乗る時にちゃんと列を作り、順番を守るのが日本人である。そのようなことができない国の国民は、意外と少なくない。そのような国から見れば日本人の秩序だった行動は「気持ちが悪い」と思うほどのものではないのだろうか。たぶんこの時も全日空の乗務員は空港に集まった日本人に対して、それなりのパニック心理が働いているものと予想していたに違いない。しかし、武漢にいても、日本人は日本人であったということなのである。
一部の乗客から「『大変な中で迎えにきてくれてありがとう』と声をかけていただいた」と振り返った。<上記より抜粋>
まさに、自分がどのような立場であるのかそして、そのような中で来てくれることのありがたさをしっかりと感じている人が少なくない。単純に「ありがとう」という言葉が出てくるその日本人の国民性のすばらしさは、他の国にはないものではないか。相手を気遣いそして、何が恥ずかしいことか最もよくわかっている。これが日本人であると思う。
日本人で本当に良かった。