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一号館一○一教室

新型コロナ対策から見えた東京と北京の異なる価値観

2020.07.05 03:55

                                                                                                                   黄 文葦

 2020年6月14日、日本と中国の首都、東京と北京、突如数十人の新型コロナの新規感染者が確認された。北京36名、東京47名。しかし、2つの首都は、世の中に見せたリアクションが全然違った。北京政府がある区の副区長など4人の指導者に免職処分、武装警察と公安はまるで戦時状態のように動いていた。地下鉄など公共交通の乗客が急に大幅に減少し、学校は再び休校になった…

 一方、東京では人々がどんどん街に出てくる。6月19日から社会経済活動のレベルをもう一段引き上げた。都道府県をまたぐ移動も全て自由となる。コンサートなどのイベントも1000人規模で開催することが可能となる。経済活動の再開を本格的にスタート…

 東京と北京、対応の差があまりにも大きい。日本と中国、本当に同じ種類のウイルスに面したか、と疑問が生じるくらいであった。3月中旬、中国の官製メディアが「中国以外87182例、反超了!」(反超:逆転上回る)の見出しで、ほっとしたように中国以外の感染者数が初めて中国本土を上回ったことを報道。中国が新型コロナに関する数字を頗る敏感になってしまった。「零新増」(新規感染者ゼロ)という言葉が人々には大きな喜びを与える。中国は新型コロナ対応の優等生だと誇っているようである。つまり、「ゼロ」への執念深い。というわけで、北京が再び数十人の新規感染者が出たことは、政府は躊躇なく改めて強制的な措置を取った。数百万人にPCR検査を行った。しかし、世界中新型コロナが感染拡大にもかかわらず、中国が「零新増」を維持できればいいという独善的な考え方はいいだろうか。世の中、新型コロナウイルスが存在すれば、「零新増」がいつ打破されてもおかしくないだろう。

 東京では、6月末から感染者数が急に増えた。個人的な感覚だが、日本の新型コロナ対策を一言でいえば、「曖昧」である。新型コロナに対し、各地域にそれぞれの政策「モデル」を構える。知事たちの考え方が違っているようである。PCR検査件数が少なさそう。東京では、感染拡大を示す感染者数が数日三桁になり、「緊急事態」のレベルになっているのに、7月4日の時点で、緊急事態宣言がだされないまま…再び感染増でも「東京アラート」が発令されず、レインボーブリッジが赤色にライトアップされずにある。市中、人々には普段通りのライフスタイルが戻りつつある。山手線の電車の中、満員状態になっていないとはいえ、人と人との間には数センチの隙間があるだけ…

 「なぜ東京はロックダウンをしないの」と中国にいる親友が不思議に言われた。要するに、北京には、ロックダウンをするのは当たり前だが、東京はロックダウンをしないのが当然のようだ。日本の法律では、強制的に外出や休業を禁止することはできない。政府が緊急事態宣言を出しても、外出や休業の「自粛要請」しかできない。それでも多くの人が要請を受け入れ、外出や営業を自粛した。政府から「新しい生活様式」を進められたのが、人々にはそれぞれの生き方があるので、何か不要不急か自身で判断する。ところが、6月、NHKの世論調査で「外出禁止や休業を強制できる法改正が必要」と答えた人が62%もいた。ちょっと意外であった。緊急事態の中、自粛はうまく機能したではないか。まさか、北京のような強制的な措置を取られてほしいのか。民衆の自由を制約されたら、日本は日本らしくなくなるよ。政府の曖昧な「要請」に民衆はきちんとした「自粛」で答えた。それこそ、新型コロナ時代、世界中日本しかできない素晴らしいこと。

そういえば、「曖昧」は日本文化の一つ。日本語の中には曖昧な表現が多数存在している。人間関係でも、曖昧こそ、それなりの醍醐味を味わえる。未知のウイルスに対し、ある程度の曖昧な対策を出すのも仕方がないかもしれない。「最善の方法は何か」、と模索する期間が必要。新型コロナは「人類共通の敵」だと世界中いわれているのが、日本での新型コロナへの対応を見ると、むしろ「人類共通の相手」の表現がふさわしいと気がする。ウイルスを恨まないで、共存する意識でニューノーマル時代を築いていかなければいけないと感じた。新型コロナ感染拡大の中、「もし自身が感染していたらどうしよう」と考えたことがある。感染したら人に移さないで、積極的に治療を受けるしかない。文明社会の中でも感染症は常に身近なものだと認識したほうがいい。無常の世を生きよう、感染への過度な恐怖は不要であろう。

 強制と曖昧、新型コロナから見えた北京と東京の異なる価値観。新型コロナは不思議なウイルス、国々の政治体制・民族性格・民度レベルなどをはっきり曝させる。2020年、国々が「自閉」になっている。国境を封鎖、独善的な対策を取る。残念ながら、新型コロナの予防ワクチン開発をめぐって国々が協力し合うではなく世界的な競争・対抗の情勢になっている。因みに、東京と北京は41年間も続く友好都市である。今年2月に、小池百合子東京都知事が中国の新型コロナ感染拡大に対するお見舞いのメッセージを陳吉寧北京市長へ発した。「何時も、東京都と北京市は手を取り合って困難を乗り越えます」と書かれた。いささか興味深いことに、6月から、東京と北京、同じく新型コロナ感染拡大を直面している中、小池百合子知事と陳吉寧北京市長、情報交換をしたのだろうか。お互いに励みあったのだろうか。東京と北京、本当に、手を取り合って困難を乗り越えてほしい。今、多くの日本人と中国人が両国の国境線で待っている。新型コロナのせいで、海の向こう側へ行けなくなった。一日も早く従来通りの行き来を回復するように願うばかりである。