Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

松浦信孝の読書帳

#23人目の著者③ 高校入学編〜長男、家出するってよ〜

2020.07.24 01:28

今回の#23人目の著者という文章、もう3回目になるが、書きつつも迷いがある。


SUN KNOWSの面々を冒涜してしまってはいないか。


本のテーマに便乗して書く、という自分の行為で、彼らの血と涙と青春の日々に、ケチをつけてしまっているのではないか。


ただ、それでも書こうと思う理由の一つに、自分がこの『ぼくとわたしと本のこと』という本に深い共感を覚えているということがある。


自分の人生と本、という関係性を問い直す。自分の人生に、本があったことに気付く。


本に囲まれながら生きてきたような気がしていた自分も、読んだ本が自分の中のどこに行ったのかは、問い直してみないと気付くことが出来ない、ということが書いてみてわかった。



これは貴重な経験である。食べたものが自分の何になったのかは分からないけれど、取り込んだ思想なら辿れる。



22人の著者が自分と向き合って文章を生み出した、その軌跡をなぞることで、今一度世に問いかけたい。



そんなことを試みてしまうくらい、この本は、推しても推しても推し足りない本である。



それはきっと、自分も作家になりたい、という夢をこの若き著者達に重ね合わせているからでもあり、100%彼らの為に動いているかというと、そうではない。


でも、とにかく広まってさえくれれば、それでいいと思っている。



「自分の人生と本」このテーマで二回ほど記事を書いて、昔の記憶を思い出して書くたびに、過去を消化しつつある自分に気付いた。



自分が何者でもなくても「書く」という行為は自分を救うことになる。



だからこそ、「書く」という瞑想をいま、再び始めよう。


さて、前回の続きになる。内容の都合上中学生時代の回想を一部含む。


中学生時に様々な漫画、アニメ、小説に出会っていく中でさらに強くなったのは、「自分も何者かになりたい」という思いだった。中二病の始まりである。


内面に芽生えた厭世感や虚無感、またそれらとは対極の感情として交互に訪れる「何かやってやろう」という気持ち。


祖父の癌が判明したのは、そんな最中の事であった。



前回書いた『WILD LIFE』を読んで将来の夢を獣医師にしていた自分は、医者になろう、と思った。



この時はそんなにモチベーションが高くない、ありきたりな義務感と正義感のようなものだった。

むしろ、父親と同じ歯科医師には絶対なりたくない、という負のモチベーションの方が強かったかもしれない。



歯科医師なんか医者じゃない、命を救うことは出来ないじゃないか、と、この頃の自分は歯科医師という職業に対し差別的な気持ちがかなり強かった。認めたくなかったのだろう。



そんな歪んだ野心で医学部を志望し始めた。中学2年生くらいの頃である。



3年生になりたての頃であろうか、母親が函館ラ・サール高校の説明会に行って、興奮した様子で帰ってきた。


「三食食事付き、洗濯物は洗って干して畳むところまでやってくれる、三年間寮生活の高校なんだってよ。ハリー・ポッターみたいだね。」


みたいな感じに言われた。


「家を出られる」

「ハリポタみたいな生活」


この二つが決め手だった。


日本の男子校の寮生活がイギリスの魔法学校みたいかというと、実態は結構違ったけれど、それはそれで良いものだった。(笑)


親には体面上、「医学部に行くにはより優れたやつが集まる環境の方がいい。」という理由を使った。これも嘘ではないが、副次的なものであった。


あと、遠くへ行きたいと願った理由の一つに、自分には共同体にある程度慣れると、隅の方に行って離脱したくなる、という癖がある。


「いつも斜に構えているよね」と言われてしまうことがあるのは、これに起因するかもしれない。


例えば、

転校生と割と早く仲良くなる。

中学生になれば別の小学校から来た友達とつるむ。

地元の高校に惰性で進学するのに耐えられず街を出る。

大学に入れば歯学部のみのコミュニティにうんざりし、インカレの医療系サークルに所属し、これまた医療人だけの集団は嫌だと、色んな人と知り合う読書のすすめに傾倒する。


越境に越境を繰り返すのは、束縛を嫌がる魚座の性だろうか。


かくしてシャニカマボーイ歴もこうして27年である。


高校入学の詳しい顛末は以前の記事「悟り」に書いていたのでそちらをご参照されたい。


さて、やっと高校入学である。


入寮は、家族での函館旅行も兼ねた。地元北見市から函館市まで汽車で9時間ほどの距離。


常軌を逸しているかもしれないが、これが北海道の距離感である。

あとJR北海道の車両は所々架線がなくディーゼルエンジンで動くので、慣例的に汽車と呼ばれる。


この入寮に際し、運命的な2冊の本に出会う。


一冊は公文式での学習法の正当性を証明してくれた本、『脳を活かす勉強法』茂木健一郎著であり、もう一冊はその後高校生活3年間に渡ってほぼ毎日読み返していた座右の書『生きよう今日も喜んで』平澤興著である。


脳を活かす勉強法では、強化学習といって、少しずつハードルを上げて、ゲームのステージを、クリアしていくが如く勉強をするのが脳を鍛える事になる。と説明しており、やはりそうか!と膝を打った。


父が常々口にしていた「勉強は楽しいものだ」という言葉もこの理解に寄与した。


この本を皮切りに、自分は勉強メソッド研究大好き少年へと道を踏み外していく事になる。


『生きよう今日も喜んで』は京大総長も務めた解剖学者、平澤興医師の名言集になっており、やさしい言葉でこの世の真理をついた名著である。


一つ一つの言葉から真面目さ、ユーモア、真心が伝わってきて、平澤先生が生きているうちに会えなかったのを残念に思うほどだった。

この本をきっかけに、自分の高校時代の趣味に「医者が書いた本を読む」が加わった。



今振り返ると、この初めの2冊が、高校時代を根底で貫く2大テーマになっていた事に気づく。



さて入寮である。高校一年生は二段ベッドが二台ずつ、8〜9列並んだ30人部屋、通称大部屋と呼ばれるところが寝室になる。


この大部屋が1室、2室と2部屋あり、高校から入学した寮生60人程度が名字の順に部屋に割り振られ、寮生番号という自分固有の数字を与えられて、寮生活を開始する。


入寮の際のガイダンスは、「チューター」と呼ばれる生活、成績共に優れた2年生が行う。


寮内の臨時売店で衣装ケースや、クッション、桶など生活に必要なものを買ってもらい、自分のベッド下の収納、ロッカーにしまったら親とはお別れである。


ホームシックは無かったのかと言うと嘘になるが、一瞬だった。


パソコン、携帯、ゲーム、動画を観れるiPodなどは持ち込み禁止物品(通称:持ち禁)だったので、ある意味世俗と切り離された生活が始まった。


さあ、リセットされた人間関係の中で一から友達を見つけなければならない。


最初は近くのベッドの面々と、暇な時間にトランプをする事を始めた。


ゲームは大富豪である。様々な地域から来た同級生達がローカルルールを全てぶちこんだために、ほとんどのカードが役付きというややこしい大富豪になった。


ゲームも携帯も持たない高校生達は、こうしてトランプで絆を結んでいった。


そんな日々を送る傍ら、当然進学校なので授業がある。爆速で進む授業の中、特に数学で落ちこぼれた。


家を出て初めて気付いたのだ。「勉強の仕方が分からない・・・」と。



中学までは公文式と父のつきっきり教育でなんとかなっていたが、その反面学校の授業を聞いて自分で勉強メニューを組み立て、知識を入れていくという事が致命的に下手だった。


勉強って、どうやってするのだろうか?


入学早々こうした壁にぶつかった自分は、初めて本を娯楽以外の目的で渉猟するようになる。


勉強メソッド本に傾倒していくのだ。


当時の流行は精神科医和田秀樹の書いた和田式勉強法シリーズ。むさぼるように読みあさったが、勉強法を取り込んでも頭は良くならない。知識が増えていかないからだ。


あと、脳科学を利用した勉強法、東進講師吉野敬介の本とかにも手を出した。


方法論を読んでは悦に入り、行動に移さないままテストで散る、というのを繰り返した。


寮には義務自習といって、最初は先輩チューターの監督のもと、自習室で皆無言で勉強する時間、というのが前半1.5時間、後半1.25時間の計3時間弱ほどあった。

しかし勉強効率がめちゃくちゃ悪いので、その3時間弱をほとんど有効に活かせなかったように思う。


他に習い事もしておらず、自力で何か技術を習得する経験値が圧倒的に不足していた。


そして新しい環境に入ったことで、自称田舎の秀才として生きてきた自分の自信はみごと吹き飛んでしまった。


そんな日々の中、縋るように平澤興の本は毎日数ページずつ繰り返し読み続けていた。



友人も増え、環境に慣れてきたくらいで立ちはだかるのが、定期テストである。

公文式で高校レベルの英数国を解いていたはずの自分は、見事に数学・英語で落ちこぼれた。



定期テストは授業内容の確認である。そもそも授業内容を問題集なしに頭に入れるという勉強をやった事がなかった自分が初めて自力で挑んだテストの成績は、中の上くらい。


中学時代学年上位の「優等生」がパッとしない成績の凡人に早変わりした。


上がらない効率を姑息な手段や出来る友人の助けを借りて、なんとか赤点を取らない程度の点数をとり続けた。


本屋に行って勉強法の本を見つけては「これだ!」と思うも根本的に変わらない自分にやきもきしていた。


一方、生活面に関してはシーツの畳み方がなっていないなど、寮生活の注意事項に違反した場合に受けるチューターによる説教(「説諭」と呼ばれていた)を何度か経験しながらも、周囲の友人と自分を理解して貰うために色々会話し、初めて自分の意思を以て一つ一つ行動していくことの醍醐味を実感していた。


中学生の頃からも頭の中では色々考えていたが、言葉にして会話で人に伝えることを必要とする環境の恩恵は大きかった。急速に「自分」が出来ていくのを感じた。


GWだったから、夏休みだったかに実家に帰った時に親は自分の変貌に驚いていた。


反抗期で喋らなかった息子が、別人のように喋るようになって帰ってきたからだ。


親への反抗心も、距離を置いて、電話も交換手を通して運が良ければ繋がるという守られた環境のお陰で、かなり薄らいでいた。


過干渉な親からは早々に離れた方が親子共に身の為である。

失敗させてはいけないという愛が可能性を潰す。人間心の声が聞こえなくなったらお終いだ。


勉強面以外は、家を脱出したことは自分にとって大成功だった。


そして初めての夏休み、自分は高校3年間を揺るがす、運命の出会いをすることになる・・・。



つづく。










『ぼくとわたしと本のこと』は一般書店でも、Amazonでも買えますが、上の二つのお店で買うと、もれなくご縁が付いてきます。