ロシア帝国の道7-偽皇帝は死なず?
2020.07.06 11:11
偽皇帝ドミトリーは、イヴァン雷帝の最後の妻マリア・ナガヤと感激の「母子」対面を実現するパフォーマンスを行い、正統性をアピールした。しかし問題は連れてきたポーランド兵だった。貴族や民衆の不満でそれを帰らせると、今度は自分の権力基盤があやふやになった。
偽皇帝は、権力を強化しようと、婚約したポーランド貴族マリア・ムニシュブナとの結婚を急いだ。1606年5月8日、2人は結婚したが、花嫁はカトリック、そしてイエズス会と2000人のポーランド兵が入ってきた。結婚式でも花嫁は正教会の祝福を拒絶した。
これで完全に偽皇帝の評価は地に落ち、5月17日、貴族に率いられた民衆がクレムリンに押し寄せ、彼を殺害し、死体は晒し物にされた。わずか1年あまりの短い治世だった。民衆はさらにポーランド人に襲いかかり約千人が殺害された。
偽皇帝の後、権力を握ったのは反乱を主導したヴァシリー・シュイコフスキーである。彼はれっきとしたリューリク朝の血をひいた貴族で、ヴァシリー4世として即位した。しかし動乱は止まらず、フョードル1世の息子を称する偽ピョートル、真のドミトリーという偽ドミトリー2世が現れる。ロシア国内の乱れはポーランドやスウェーデンをも干渉することになる。
下は偽ドミトリーの最期