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粋なカエサル

「マルティン・ルターと宗教改革」9 「聖書のドイツ語訳」

2020.07.07 00:43

 10か月のヴァルトブルク城滞在での最大の業績は、『新約聖書』のドイツ語訳を完成させたことである。なぜ、聖書のドイツ語訳が後世に残るルターの最も大きな仕事の一つとされるのか?

 中世において聖書と言えば、ラテン語訳の聖書を指す。4世紀のヒエロニムスによるヘブライ語、ギリシア語からのラテン語訳が教会に公認され、「ウルガタ版」として広く用いられていた。教会の礼拝時も、聖書朗読はラテン語で行われた。民衆は、司祭が唱える聖書の一節を、ただ呪文のように耳に入れていればよかった。ルターの翻訳以前にも、ドイツ語訳聖書が存在したが、多くは「ウルガタ版」をそのまま翻訳したものであり、聖書理解の面でも、信仰の面でも、決定的な影響を与えるものはなかった。

 では、ルターによる『新約聖書』のドイツ語訳はどんな新しさがあったのか?彼は、ギリシア語の原文に当たりつつも、必ずしも学問的な翻訳を第一に心がけたものではなかった。ローマ教会から「聖書に勝手に手を加えている」と批判の声が上がったように、必要に応じて言い換えている箇所もある。聖書に対するルターの関心は、文字や字句の細部にこだわることではなく、聖書に示されている神の恵みの言葉、すなわち福音にあった。それをドイツ語で、ドイツの人々の心に届けたいという、切実な思いが込められていた。

 翻訳作業を進めるにあたって、ルターが依拠したのは3つの資料。ウルガタ版ラテン語訳聖書、エラスムス『新約聖書』改訂第二版とそこに収められたエラスムスによるラテン語私訳。ルターはこの三つの資料に基づいて、適切なドイツ語の訳文を整えていった。翻訳に当たってルターが努めたのは、自分が到達した「一点突破」からの視点(恵みの神が授ける「義(正しさ)」という贈り物を受けとめること(信仰)によってのみ人間は救われる)を聖書の言葉の中核と捉え、つねにその一点に立ち返りつつ翻訳するという姿勢だった。それは、聖書の原文にない文言を補ってまで貫徹させるほど徹底したものだった。例えば、「ローマの信徒への手紙」の「人が義とされるのは信仰のみによる」(第3章28節)という一節。ルターに一つの質問が寄せられた。パウロが書いたギリシャ語原文は「人は信仰によって義とされる」であるのに、なぜ原文にない「のみ」を付加して訳したのか、と。のちにルターは、『翻訳についての手紙』(1530年)を書き、この「のみ」は「内容自体が要請する必要不可欠の付加」と述べているが、ルター訳に対するローマ教会からの批判と攻撃の焦点ともなった。

 翻訳に際して、どのようなドイツ語を用いるかも難しい問題だった。ルターはその際、二つのドイツ語(宮廷ドイツ語と民衆ドイツ語)を考えたようだ。宮廷ドイツ語とは、選帝侯のザクセン宮廷で使われていたドイツ語。これは言葉としての格調は高いが、難解で煩雑な言葉。これでは民衆のための聖書にはならない。そこでルターがあわせて考察し、大幅に取り入れたのが、子どものころから耳にし、口にしてきた民衆ドイツ語。ルターは、ヴィッテンベルクの司祭として毎日言葉を交わしていた人々のことを、頭の中に思い描きながら翻訳しただろう。

「家にいる母親、道端の子ども、市場の人々に問いかけ、彼らの口の利き方に注意し、これに従って翻訳を進めねばならない」(ルター『翻訳についての手紙』)

 しかしルターは、わかりやすさだけを求めたわけではない。『翻訳についての手紙』で、こうも言っている。「原文に意味の幾重にも詰まった難解な語句があるからと言って、安易に省略したりやさしく訳してはいけない」と。ルターは、聖書には人間のわかりやすい言葉では表現しえない「神の心」のもつ奥深さが記されている、と考えていたようだ。20世紀のドイツの思想家ヴァルター・ベンヤミンはエッセイ『翻訳者の使命』の中で、「異質に感じる逐語的ないささか難解な翻訳こそが、かえって純粋言語を保存している」と述べその例の一つとしてルターを挙げている。

 幾度もの推敲を経た訳稿は、1522年9月に出版された。初版の部数は2000部とも3000部とも言われる。値段は、当時の相場で「牛一頭分」とかなり高額。それでもたちまち売り切れとなり、3か月後には早くも再販。ルターに共鳴したドイツの教会を中心に、都市の富裕な市民が買い求めたものと考えられる。しかし、ルターのドイツ語訳聖書は民衆にも熱烈に迎えられた。当時の民衆の識字率は低く、ドイツ語で書かれた聖書といえども、それを直接読める人は少なかった。そこで大多数の人々は、文字が読める人に朗読してもらうことで、ルターの翻訳した聖書の言葉に触れた。それまで教会で聴かされてきた呪文のような言葉ではなく、イエス・キリストの語った言葉が、自分たちに分かる言葉で耳に聞こえてきたのである。それは人々の心に深い感動を呼び起こした。

Eugene Siberdt「1521年ヴァルトブルク城で聖書を翻訳するルター」 部分

ヴァルトブルクの3ルターの部屋

ドイツ語訳聖書 1546年  右がルター、左がザクセン選帝侯

Eugene Siberdt「1521年ヴァルトブルク城で聖書を翻訳するルター」

ルター生誕500年記念切手