Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

百から一を取ると白・くう

2020.07.07 05:39

Facebook・矢作 直樹 【理性と直観】

直観は中今の状態(無心・無我・没頭・至福など)にあるときに生じます。その直観を受け取れる土台に理性が必要です。たとえば、高度な数学を会得・理解していない私には、たとえ直観で複雑な数式が下りてきても覚えていることができません。勉学し理性を働かせる土台ができたところに中今状態で直観を得ることができるのです(*^▽^*)


Facebook・岡本 よりたかさん投稿記事 「魔法の鉛筆」

小学生の頃、「裸の王様」というアンデルセンの寓話を読んだ。

今となっては、読んだのか、親に読んでもらったのかは定かではないが、その話が衝撃的だったので、読書感想文の題材に選んだ事がある。

とある国の王様が、地位に相応しくないバカ者には見えない布があるというので、仕立て屋にその布で服を作らせる。

途中報告を頼まれた大臣が見に行くが、全く服が見えない。しかしバカ者と思われたくなく、王様には素晴らしい服だと報告する。

王様も同様に見えない事に狼狽えながらも、その服を褒め称え、それを着てパレードで街を練り歩く。

国民も見えないとは言えずに褒め称えるが、一人の子供が裸だ!と叫び、国民は我に帰るが、パレードは続くという話だ。

子供だった僕は、嘘をついた仕立て屋が酷いと思ってしまった。そして、それを感想文に書こうとしたが、どうしても筆が進まない。

何かが引っ掛かっていた。仕立て屋を悪者にする事にである。

悩みに悩んでいたら、母親が一本の鉛筆を僕に差し出して、こう言った。

「これな、お父さんが仕事場で賞をもらった作文を書いた時の鉛筆でな、これで書いたらすぐ書けるという魔法の鉛筆なんや。お父さんから、よりたかに引き継ぐって言ってたわ」

僕は半信半疑ながら、親父が使っていたという短い鉛筆と、その作文の原稿を手に取った。僕は少し誇らしげだった。

父の字はとても美しかった。父は字が上手く、仕事場の張り紙の全てを書くほどだった。

その父親の作文は、漢字が多くてよく読めなかったが、その中にこんな一節があった。難しくて正確には覚えてないが、おそらく以下のような内容だった。

「嘘も方便。嘘をつく人を嗜めるためには、時に嘘も必要である。」

僕はハッと気づいた。仕立て屋は、王様がバカ者であるということを、国民と大臣と、そして王様自身に教えたくて嘘をついたのではないだろうかと。

魔法の鉛筆は、僕の右手を走らせた。

親父の作文を真似るかのように、嘘をつく人やバカな人にその過ちを気づかせるためには、バカな人の嘘が必要だと書いたのである。

僕は至極満足したが、先生からは「どんな時でも嘘はいけません。」と赤字が入った。でも、僕はめげなかった。魔法の鉛筆の効果は敵面だったからだ。

正直言って、本当にそこまで分かっていたかどうかは微妙だが、ふと、今回の都知事選を見ていて、そんな過去の話を思い出した。

現政権は裸の王様である。それは誰もが言うように間違いない。

その政権のバカ者さを暴き出すのは、正直者の政治家ではなく、嘘をつく策士でなくてはならず、暴き出された嘘を伝えるのが、正直者の国民ということだろう。

さて、あの鉛筆と作文はどこに行ったのだろうか。もう捨ててしまったかなぁ…。今度実家に戻ったら探してみようかな。


Facebook・相田 公弘さん投稿記事

「世界で一番幸せな人間ってどういう人か知っている?」「お金があって、家族みんな仲が良くて、健康でいれば幸せなんでしょうけど。自分とは正反対なんだろうなあ。うーん、どんな人なんでしょう、分りません」

「それはね、足りるを知っている人なんだよ。今、自分がお金をもっていないとするよね。

もし、1億円あったら幸せになると思うよね。たとえば車を持ってない人は、車を持てば幸せになると思う。彼女がいない人は、彼女が出来れば幸せになると思う。結婚できない人は、結婚すれば幸せになると思う。またある人はマイホームが手に入れば幸せになると

思っている。でも、常にこれがあれば幸せになれる、という人は実は一生幸せは手にはいらないんだよ。なぜかというと、それは心の問題だから。欲しいものを手に入れて幸せになった人は絶対幸せになれないんだよ。なぜなら、手に入れた瞬間から、次に足りないものを求め始めるから。

欲にはキリがないんだよ。幸せっていうのは、自分の心が決めるんだよ。

お金も必要かもしれない。でも、『今貧乏だから、お金を手に入れたら幸せになれる』

という人は、お金を持っても幸せになれない。

『今、幸せだ』と思える人が、お金を持ったとき、さらなる幸せが手に入るんだ。

幸せは、お金やものだけじゃないんだ。心が決めるんだよ」

              斎藤一人

Facebook・ごとう 孝二さん投稿記事 「七夕は自己統合の始まり」

今日は7・7七夕の日、(織姫)瀬織津姫と、(彦星)ニギハヤヒが出愛♡

自分の中の陰陽統合、自己統合、自分の中の光と闇を認める、愛するこの二つのエネルギーの統合は、つまり、天地の創造、天地の融合を意味しています。

人間の意識の変容には、とても沢山の経験と時間が必要になります。

その為に、宇宙は、神々を、そのエネルギーを、今のこの時代に向けて脚本した立ち位置で、神々を役割分担し、悪役も善人も、ヒーローさえも配置したのかと。

それは、国ごとに神名や呼び名を変えて、それぞれの歴史や神話を形作り、とても長い時をかけて作ってきた。

とても大きなくくりの様でいて、個々人の中の光と闇の部分を、大きなスクリーンで見せてくれているようなものかと思います。

なので、どちらの配役さえも、ただ、設定通り演じてきたのであり、元は、この壮大な計画に参加することを承認した、愛の光のエネルギーに違いはないこと。

これらの立ち回りの配役さえも、もう真実を明かして良いタイミングがきたのだと感じます。

だからこそ、表向き、闇とされてきた神々達のエネルギーが、本来の愛の光のエネルギーが、次々と解き放たれていく。

光と闇の統合とした方が、人間として、その物語を味わった時に、自分の中の光と闇と照らし合わせることで共感し、その統合の意味がより理解でき、その上で更に、

真実は、全ては愛の光だったと知った時に、とても納得できるものだとも思うのです。

個々人の中の光と闇を認めない事には、自己統合へと向かえません。

けれど、それを認めて初めて、自分を愛する事の意味を知り、自分自身をありのまま愛する、完全なる存在であったことを思い出す事に繋がるのだと思います。

自身の全てを愛することで、他者の光と闇も認めることができ、他者を愛する事の意味を知ります。

それは、自然な形でどんどん連鎖し、一人一人の人間から、他者へ、他国へと広がり、この地球に存在する全ての光も闇も認めることで、自ずと真実でないものは浮上し、浄化され、解放へと進み、全てを調和へと導き、全ての融合に繋がるのだと思います。

宇宙は、とても綿密な設定のもと、神々の承認の元に、今という時に向かう為、素晴らしい物語を残したのだと思います。

全ては愛のもとにもう本当に、自分以外の自分では生きられなくなってくるのだと思います。

(八芒星の時代より)


Facebook・柏木 秀則さん投稿記事 🎋今日は七夕ですね🎋⭐️🌟✨

七夕伝説(織姫と彦星の話)

今も降り続ける雨で日本中が大変ですよね。

九州地方で雨で沢山被害に会われ犠牲になられた方々にご冥福を申し上げます🙇‍♂️🙏

まだ雨が降り続けていますのでどうかお氣を付けてお過ごしくださいませ。   

    七夕伝説(織姫と彦星の話)

概要

中国で出来たお話です。

天帝により離れ離れにされた夫婦、織姫と彦星が、1年のうちで7月7日だけ会うことが許されたという物語。

お互い勤勉であった織姫(織女)と彦星(牽牛)は、夫婦になったことで怠惰になる

それに見かねた天帝は天の川を隔てて東西に引き離す

二人が悲しみに暮れていたため、天帝は1年で7月7日だけ二人が会うのを許可した

詳細

天の神様の娘「織姫」はそれはそれは美しいはたを織っていました。神様はそんな娘が自慢でしたが、毎日化粧もせず、身なりに気を遣わずに働き続ける様子を不憫に思い、娘に見合う婿を探すことにしました。

すると、ひたすら牛の世話に励む勤勉な若者「彦星」に出会います。この真面目な若者こそ、娘を幸せにしてくれると思い、その若者を娘の結婚相手に決めました。

そんな二人は毎日仲睦まじく暮らしましたが、これまでとは一転して遊んで暮らすようになり、仕事を全くしなかったため、天の服は不足し、牛達はやせ細っていきました。神様が働くように言うも、返事だけでちっとも働こうとしません。

ついに怒った天の神様は、織姫を西に、彦星を東に、天の川で隔てて引き離し、二人はお互いの姿を見ることも出来ないようになりました。

それから二人は悲しみにくれ、働こうともしなかったため、余計に牛は病気になったり、天の服はボロボロになっていくばかりです。

これに困った天の神様は、毎日真面目に働くなら7月7日だけは会わせてやると約束をすると、二人はまじめに働くようになりました。

こうして毎年7月7日の夜は織姫と彦星はデートをするようになりました。

明日のネタ帳さんよりシェア