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宙海の音(Sorami no Oto)

世界はYESでできている

2020.07.07 14:16

気がつくと自分がすっかり変わっている時がある。


今日はフィンドフォーンのグループレッスン初日。先生の英語は聞き取りやすいが、各国の生徒さんたちの英語はなかなか聞き取るのが難しい。しかし英語はコミュニケーションのツールだから完璧でなくてもまずは心を開いてつながることを意識することが一番大事。


今日気づいたのは自己紹介を兼ねてモドリッチの自叙伝を見せながら彼のファンであるとともに、自分の夢を決してあきらめない彼をロールモデルとしていることを伝えた。

そして自分の夢としてコミュニティをいつかつくることと言った。

この願いは以前の自分にはとても口に出して言えなかったことだ。自分の内側からその必要性をやたらと伝えられながら、とても自分ができるとも思えないし、これが押しつけられた義務のようで正直負担だった。その必要性を理解できてもそれが自分の役割なのか、ただの妄想なのか、仮に自分の役割であったとしても人とつながれない自分にはとても無理だ・・・と勝手に大変ぶっていた。それでも内側からのノックはやまず、それをしなければいけないように感じて、勝手に悲壮感であふれさせていた。


でも今は自分がコミュニティを作りたいと思っている。誰かに言われてというわけではなく、義務感でもなく、できるかどうかはわからないけれどやってみたいと思っている。そしてもしそれができなくてもそれはそれでかまわないとも思っている。ただその方向に行動を向けていくことさえすれば結果はそれほど重要ではないと思っている。結果が伴うにこしたことはないが、一番大切なのはその方向に舵を切り、何らかの具体的なアクションをおこし、積み重ねていくこと。過程の問題だ。これは自分自身をこの世界で表現することだからだ。


ここに在って、自分を表現し続ける。

その表現方法は無限にゆるされている。

たぶん成果ではないのだ。成果は後からついてくるもので、それだけが単独で存在するわけではない。迷い、憂い、喜び、笑い・・・を繰り返しながら道を歩んでいく。その歩む行為こそが表現なのだ。それを何度も内から伝えられてかなり気が楽になった。


そして気がついたらいつの間にあの悲壮感や義務感がなくなっていた。とても不思議だ。


人はいつでも変われるし、変わっていくものなんだな。


とにかく今はいろいろな意味でずいぶん気楽になったし、覚悟もかなりできてきた。

そしてどこかで自分の変化や世の中を客観的に観察している自分の視点がある。それは明らかに興味津々で面白がっている。


どうして世界をあんなにややこしく見ていたんだろう。

世界は思ったよりもシンプルだ。


肉体を持ってこの世界に存在していることが自分の持つ可能性を狭めるわけではない。

自分の可能性を狭めるのは自分のマインド、思考だ。


蒸し暑さで少々体力と気力が落ちているが、それでもなんだかいい感じに進んでいるような気がするのでOKだ。


そう、世界はYESでできている。

世界はOKで包まれている。


あとはそれを受け入れるだけだ。