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閉鎖病棟での日々

2020.07.08 01:50

管理人は去年の9月〜10月にかけてとある事情で閉鎖病棟に入院していました。閉鎖病棟とは精神科での入院を意味しています。

 なぜ、そうなったのかは以前の記事を読んで頂ければと思います。

 閉鎖病棟での日々は正直痛んだ僕の心にはとても心地よい空間でした。閉鎖病棟では、みんなが休まれるリビングルームと個人が寝る病室がありました。リビングルームとは一般病棟で言う談話室の大きなバージョンと思ってくれて大丈夫です。

僕は結構しゃべりたがりの人間なので入ってきた時にまず、大きな声挨拶しました。そして適当な椅子に座り相席になった男性と仲良くなりました。そう。ここでなら僕はみんなと仲良くなれると思いました。


ここで初めて知り合った人はしげちゃんという20歳年上の方でした。彼とは凄く気が合い、すぐ打ち解けられました。それから僕は病棟の色々な人と喋るように心がけました。

元々いた人にも、その後に入って来た人にも、リビングルームのテーブルは4人がけのテーブルでしたが僕たちが座っていたテーブルは固定メンバーで固められていました。

僕、しげちゃん、しげちゃんの旧友でありプロDJのサタさん、車椅子のユウちゃんの4人のメンバーでした。僕とゆうちゃんは20歳代しげちゃんとサタさんは40代というトンデモびっくりな卓を囲んでいました。午前中僕は毎日両親への手紙を書いていました。その後、午後はリビングルームでしげちゃんやユウちゃん、サタさんとしゃべっていました。特にサタさんは冗談が上手くて僕は何度も笑わせてもらったし、しげちゃんとは仲良く話せましたし、ユウちゃんは僕のことを最初は小間使いのように扱っていましたが、少しづつ僕に心を開いてくれました。

入院中の時間の流れはかなり遅く感じられました。何しろやることがないのですから。ですが、この何もないゆったりした日々というのは多分日常の中では感じられないほど貴重な時間だったのでしょう。僕は退院してからそれに気づきました。


時間はその人生の師匠と出会う少し前まで遡ります。

 当時僕は、新しい人が来るたびに声をかけて話していました。そうしているうちに将棋を指す同年代の雅さん(負け続けていましたが笑)や元引きこもりだったユウさんなど、たくさんの友達ができました。

 そうして人生の師匠となるカッちゃんと出会うことになったのです。

 かっちゃんは確か入ってくる時に大声で挨拶していました。俺としげちゃんはその時に話をしていてあまり聞いていなかったのですが、しばらくして僕らの席に座り色々と話し始めました。自分の経歴や、自らの夢、そして夢のために今出来ることなど、そして俺はそれに賛同し、自らの経歴や、持病のことなど。自分のことを全て言いました。

 そうしていって仕事でこうなってしまったことや、自分の悩み、今の辛い事を、カッちゃんに相談し、僕は彼と会うためにこの病院にに入院してきたんだ!と悟りました。

 彼は男女問わずにモテる人間、俗に言う「人にモテる人」でした。俺はまさか20歳を超えてもなお親友が出来ると言うことに驚きました。

 そういう素晴らしい体験をさせてくれたあの入院の日々を俺は二度と忘れないでしょう。