情報を担保せよ
中学2年からギター教室に通い、高校1年で後に続くバンド( Camel Rush )を作り、作詞・一部作曲でボーカルを担当していた兄は、十余年という長く充実した青春時代を過ごした。
それを そばで見ていた私も青春だったに違いない。
今から10年前、皆さんはどこで何をしていただろうか。
兄は解散間際の20代半ば。
私はピラティススタジオの運営1年生。
あの時に想像していた未来は今、現実のモノとなっているだろうか。
その答えは100人中 100人が「No」と答える気がする。
なぜなら、ビジョンなど ほとんどの人が描いていないからだ。
昨日、とある証券マンと話をしていたところ「藤田さんは、今のこのような組織を作り出せると いつ頃から見えていたんですか?」と聞かれ、こう答えた。
「一寸先くらいしか見えないですよね、せいぜい。」と。
「この僅か先の未来を必死に見ようとする定点観測を10年も続けていると、過去の点と点を結んだラインが未来を大方 予想してくれるんです。」とも、後に付け加えておいたのだが。
皆さんの人生が 雨のち晴れ になるかは分からない。
一度晴れても、また雨になることだってある。
だからといって、流れに身を任せるばかりでは風と潮の影響で皆が同じ場所に辿り着くことは言うまでもない。
舵から手を離してはいけない。
不可抗力という言葉で「流れに身を任せる」のは簡単だが、行きつく先は皆が、わんわんと集合する三密という名の ぬるま湯かもしれない。
もし君に、まだエネルギーがあるのであれば、私の話を聞いて欲しい。
昨日 私は証券マンと何をしただろうか。
ドルの積み立て?
それも間違いではない。
退職金財源?
間違いではない。
しかし、もっとも重要なことは情報の担保である。
もしあなたに生命保険が数千万かかっていたとする。
しかし、あなたの頭の中に在る情報は誰かに売れないし、譲渡することもできない。
頭にマイクロチップが埋め込まれていない状態では、 せがれが二十歳になってから伝授したかった事や家内が還暦を迎える頃に言ってやりたい「ご苦労様」の一言を未来で実現できる確約は私たちには無い。
だから私は今日得た知識を毎日 家内に話す。
家内は、今日現在を生きる私の知識と経験のコピーを持っている。
それが子供たちの将来に、お金以上の知恵をもたらすと確信しているからだ。
私が証券マンと付き合うのは、何も契りを交わすためだけではなく、そういった私の意図をくみ取った人物に情報を預け、彼の金融リテラシーで私の大切な仲間と家族を守る代打を立てることにこそ意味があると思っている。
銀行や保険屋とは、そう言った故人の情報を担保できる人物でなければならない。
コロナに加え 災害の多い今、皆さんが大切にしている「命」「お金」そして情報やメッセージというものを どのように大切な方へ届けていくか 考えるきっかけを頂いている気がする。
その一つが、日頃からの感謝であったり、SNSや日記なのかもしれない。
そこで、私が強調したいのは「人物を介した情報の担保」である。
人生の財産とは、それを任せられる人物が何人いるか かもしれない。
10年前に2020年を予測できなかった私たちが2030年を正確に予測できるはずもないが、一つだけ確かなことは私たちが10年後に生きている可能性が100%ではないということ。
10年前の動画が残っているなんて良いよね。
メッセージを持ち、残すことは50年くらい誰かのエネルギーになるから。