借りものの言葉
2020.07.09 00:32
サンスクリット語の勉強会に参加しました。
朝10時から16時まで長丁場でしたが、充実した時間でした。
今回の人生は思ってもみないところから師が現れて、まったく考えたことも見たこともなかったような世界へと引き上げられていくようなそんな幸せをたくさん与えられています。
未知の視点や世界なので、当然学んでいるときは何のことなのかさっぱりわからない。
師が仰ることも書かれていることも、なにもわからないけど胸の奥がスーッと軽くなるという感覚だけを信じて必死に学びを続けます。
師から頂いた種を育てるのはわたし自身です。毎日毎日ひたすら考えつづけます。
10年、15年後に「あ、そういうことか!」と腑に落ちる瞬間があります。
でもまだ花は開きません。
ずっと育てていくのです。
かつての師匠に「わかったとはどういうことでしょうか?あなたは何をわかったというのでしょう」と言われました。
傲慢な自我にひどく恥じ入った、とてもいい経験でした。
そして、なにかを書いたり伝えるときはいつも考えます。
「一体、何をわかったのだろうか」と。
物質も言葉もアイディアもお金も心模様も宇宙のエネルギーがこの世界に現れているだけです。この世界に「わたしのもの」は何ひとつない。
「わたしがわかった」のではないのです。
長い年月をかけて身体から滲み出た言葉には、力があります。
誰かのことばを引用して、自分のことばのように語るのは自由です。
しかし、そんなことばには響きがありません。
果たして内側に「本当の自分」なんてものがあるのか。
あるのだとすれば、それはいったいどこに向かっているのでしょう。
人はみんなそれなりにいくつかの仮面を持って生きています。