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祇園祭と八坂神社

2020.07.09 13:23

https://www.kyoto-wel.com/yomoyama/yomoyama10/048/048.htm  【祇園祭と八坂神社のお話】 より

ご存知ですか?祇園祭 祇園さん”として市民に親しまれ、京都のシンボル的存在の八坂神社。 京都人でも八坂神社のお祭としての祇園祭は知ってるけど、八坂神社の由来まで知ってる人は少ないのでは? 私も“祇園さん”のまん前に住み、子供の時から遊びの場所としていた八坂神社の事を知ったのは大人になってからの事です。京都に興味のある方もない方もぜひご一読ください。京都がきっと面白くなると思います。

最近“風水”という言葉をよく耳にしたり目にしますが。その昔、平安京が造られる際に、 最強の風水の地として選ばれた場所が、現在の京都盆地でした。

実際に1000年間首都であったところは世界の歴史を見ても例を見ない事であり、あらゆる災厄から逃れるとされた場所であったからだと京都人の私は強く信じています。

京都盆地は陰陽道(オンミョウドウ)による、四神相応の地とされ、東の青龍、西の白虎、

南の朱雀、北の玄武の四神に守られた場所とされ平安京が造られました。

また、古来より大地のエネルギー「気」を龍に見立て、「気」が集結されるところが

龍の棲む龍穴とされててきました。龍穴は清らかな水で潤されていなければ「気」が枯れるとされ、八坂神社は青々とした水をたたえる池に建てられており、古来よりその池が龍穴とされています。今も境内には名水があり、持ち帰る人も少なくありません。

八坂神社の歴史

八坂神社は素戔鳴尊(スサノオノミコト)、櫛稲田姫命(クシイナダヒメノミコト)、八柱御子神(ヤハシラノミコカミ) を祀っています。 古事記や日本書紀でも伝えられ、日本神話で知られるように、素戔鳴尊は八俣大蛇(ヤマタノオロチ)を退治し、櫛稲田姫命を救って地上に幸いをもたらした偉大な神様でありました。八坂神社の歴史は、平安京建都の約150年前ー斉明天皇二年(656)に、素戔鳴尊をこの地に祀ったことにはじまります。のちに“神仏習合思想”により素戔鳴尊は祇園精舎の守護神の牛頭天王と一体視されました。
都の発展とともに日本各地から広く崇敬を集め、現在も約3,000の分社が日本全国にあり、祇園祭りに習った祭事も行われています。

八坂神社はながらく「祇園社」、「祇園感神院」などと呼ばれていましたが、神仏分離によって、明治4年(1871)に「八坂神社」と改称されました。

   祇園祭のはじまり    

古くは祇園御霊会と呼ばれ、貞観11年(869)に京の都をはじめ日本各地に疫病が流行しました。「これは牛頭天王の祟りである」として、平安京の広大な庭園であった神泉苑に、当時の国数の66ヶ国にちなんで66本の鉾を立て、祇園の神を祀り、さらに神輿をも送って、災厄の退散を祈りました。後に経済的に力を持つようになっていった町衆の台頭で次第に豪華な鉾が造られ規模も大きくなり、現在の形になりました。それ故、豪壮かつ華麗な祇園祭は歴史的にも古く規模としても壮大で知られ、文化的価値が海外からも関心を持たれています。

素戔鳴尊(スサノウノミコト)と蘇民将来(ソミンショライ)

祇園祭りの“ちまき”やお祭に参加する人が必ず身に付けているものに“蘇民将来子孫也”(ソミンショライの子孫なり)という文字が書かれています。これには伝説があります。

蘇民将来伝説

昔々一人の貧しい旅人が巨旦将来(コタンショウライ)・蘇民将来(ソミンショウライ)の兄弟に一夜の宿を請いました。兄の巨旦将来は富栄えていたのにもかかわらず拒否しましたが、弟の蘇民将来はとても貧しかったのですが、粟がらを敷き、粟の粥で暖かくもてなしました。

翌朝旅人は「我はハヤスサノヲの神である。後世に疫病が流行した時、蘇民将来の子孫と名乗り茅の輪を腰につけていれば災厄を免れる。」と約束して立ち去りました。その旅人こそ、八坂神社の祭神“素戔鳴尊”だったのです。後に疫病が流行ったとき、巨旦将来の子孫は死に絶えましたが、蘇民将来の子孫は疫病を免れ代々繁栄したということです。

この故事にちなんで祇園祭りの疫病退散の印としてお祭で“蘇民将来子孫也”と書いたものをの身に付けたり、素戔鳴尊のご利益のお守りとされている茅の輪が始まりとされる粽(ちまき)のお守りを家の玄関につけたりするのが慣わしです。

祇園祭の行事と特徴

祇園祭は、7月1日の「吉符入り」にはじまり、31日の境内摂社の「疫神社夏越祓」で幕を閉じるまで、1ヶ月にわたり各種神事・行事がくり広げられます。

祇園祭のハイライトともいえる17日の「山鉾巡行」では32基の山鉾が市内をめぐります。

 山鉾には、神功皇后や聖徳太子、役行者、天神さま観音さま・・・・・ などが、祀られるとともに、装飾の文様に日本神話や中国の故事、 儒教、仏教、道教の教えなども取り入れるなど 国際性豊かな趣向を凝らした飾りつけがなされています。

鉾を飾るタペストリーには、ホメロスの叙事詩「イーリアス」や、「旧約聖書」のなかのアブラハムの子、イサクの嫁選びの図をモチーフにしたものもあり、はるかなシルクロードの道を通って伝わった文化や宗教を感じさせてくれます。世界のあらゆる神が、偉大なる祇園の神をたたえる姿とあらゆるものを包容し、1つの祭りのなかに調和させているところに祇園祭の本質を見ることができます。