メディアの中立性の要・不要と記者クラブの実力、そして議会の鎖国
【社会ニュース】 平成二十八年五月三十日に、弁護士ドットコム(6027.TM)は記事『「メディアは両論併記ではなく、議論の場を作るべき」GoHooが「憲法9条」シンポ(画像引用)』を配信し、日本報道検証機構の代表を務める楊井人文にインタビュし報道の在り方を伝えた。「どの様な報道が望ましいか」という問いに対し、楊井は“対談”が有効で、別取材の“両論併記”を見せかけの中立性と断じた。
憲法第九条(戦争放棄・戦力不保持・交戦権否認)を例に挙げ、法解釈の正しさよりも“対立”を残しておくべきかどうかを考えないといけない、と熟慮を薦めた。また世論調査を否定し、二項対立型の報道を牽制。メディア自体に問題解決が欠けていると、メディアに結論を求めた。
<大メディアの実力>
三十一日にプレジデント社(代取:長坂嘉昭)は、記事『なぜ都庁記者クラブの記者たちは「舛添都知事」の悪事に気づかなかったのか』を配信し、記者クラブが権力の監視よりもビジネスを優先させている可能性について触れた。
新聞社は記者室という場所を提供され、権力内部へと丁重に招き入れられた結果、原価無料の仕入れ(情報)を直売り(報道)と迂回商品(各種事業)で儲けられる夢のようなビジネスモデルに浸かり込んでしまい、本来の役目である「監視」を二の次にしてしまったかに見える
当該記事では、舛添要一 都知事のスクープを雑誌社が報じた事により、記者クラブを構成する新聞社及びテレビ社の存在意義を疑問視している。実際に新聞社の記者に本件の失態を問い質している。都庁内に部屋が設けられ常駐しているのは新聞社とテレビ社で、雑誌社やスポーツ紙社は常駐してない。
=解説=
双方の記事に共通する点は、ジャーナリズムである。大メディアの信用が落ちた理由の一つに、報道の実力がある。記者が何かを伝える際に、その記者の程度が問題で、その事件、事象に精通しているか否かがポイントだ。舛添都知事の最近の会見でも分かる通り、テレビ社の質問者は追求できても、都政に精通しているか否かは甚だ疑問だ。専門家である必要はないものの、適した質問には予備知識が必要になる(この場合は都政)。
都知事会見の現場にいる新聞社も同じで、社会部の記者が多く、政治経済を知らない記者が散見される。東京都は自治体であるが、一国級の経済規模を有しているので、経済学は必須だ。よって、ユーザが当日の生配信動画でコメントがあった通り、質問の質が低くなる。酷い場合には、記者ではなく番組スタッフが都知事に質問をしていた。
<報道機関のエンタメ会社化>
報道機関が本来、有すべき問題解決能力も現代ではビジネスとの中立性が優先される。憲法第九条に新安保法制が意見してないか否かは、司法府が決める事であり、国民による議論に左右されない。これもいたずらにメディアが取り上げている為に、本来考えるべき新安保法制のメリットやデメリット、法律の廃止・停止・失効の情報が欠けている。
そもそも中立性を保たなければならない報道機関は、放送法に縛られるテレビ社等で、新聞社は含まれない。報道される段階で真の中立は不可能で、中立性の範囲の方が重要である。何をもって中立とするかが、まず論じられなければならない(例えば、定性的・定量的)。中立性が報道機関の条件であるならば、新聞社の論説である「社説」は無効となる。
テレビ以外で中立性は必要ない
つまり放送法は特別法だとしても、報道機関の存在根拠条文である憲法第二十一条『表現の自由』において中立性は求められていない。司法府(最高裁)もテレビ社以外には、中立性よりも報道の正当性を重視する。
沖縄秘密電文漏洩事件(西山記者事件)(最決昭和五十三年五月三十一日)
新聞記者が公務員に秘密の漏洩をそそのかした場合、それが真に報道の目的を持ち、手段・方法が相当であれば正当な業務行為とされる
この様に大手の報道機関は問題可決能力を有すべきだが、二項対立を好むユーザを重視し、ビジネス優先で記事・番組が上がる。その為には完結させてはいけないのだ。シーズン幾つの様に続く事がリピートの条件になっている。これにユーザが気づくべきだろう。
<都知事よりも議会を責めるべきだ>
尚、都知事の会見は記者クラブに属していなくとも、ハイムでも取材に行ける。が、東京都議会は、「日本新聞協会」「日本雑誌協会」「テレビ・ニュース映画協会」の三協会のいずれかに属してないと「報道機関として認められません。」と広報担当者は言い、締め出す。
リコールが現実的に不可能である以上、都議会が唯一、法的な責任追及をできる機関であるが、それを報じる事ができるのは三協会に属す、つまり記者クラブに属す記者のみだ。彼らで議会という権力を監視できるのだろうか。第一、本当に百二十七名の都議会議員は舛添都知事よりも潔白なのだろうか。彼らの一部が不正をもし行っていた場合、都知事の比ではない金額になるのではないだろうか。
(了)