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郷愁の風景

【東京都】皇居(千代田区)

2021.01.01 23:54

東京観光の定番となっている皇居は、太田道灌が康正3(1457)年に築城した江戸城が起源で、徳川家康が天正18(1590)年に入城、慶長8(1603)年の江戸開府後は天下普請による拡張が着手される。

本丸・二の丸・三の丸に加え、西の丸・西の丸下・吹上・北の丸の周囲16㎞に及ぶ区域が本城で、現在の千代田・港・新宿区までに及ぶ外堀と神田川を総構えとするに発展する。

明治維新後は東京遷都により「宮城」と呼ばれ、現在の「皇居」の呼称は戦後に入ってからである。


【東京都】皇居「二重橋」(千代田区)202007 

 東京観光の目玉の一つでもある「皇居」、皇居前広場の「二重橋」をバックに写真撮影するのはテンプレとなっている。 

 手前に見える花崗岩造りの二重アーチ橋(眼鏡橋)を「二重橋」と勘違いしている人が多いが、こちらは正式には「正門石橋」と呼ばれる(明治20年架橋)。 

 厳密には奥に見える「正門鉄橋」(昭和39年架橋)を指しているが、二つの橋の総称として「二重橋」と呼ばれるのが一般的だ。  

正門鉄橋から望む正門石橋 皇居一般見学に申し込まないと望むことができない


【東京都】皇居「富士見櫓」(千代田区)202007 

皇居一般見学で最初に見るのが三重層の「富士見櫓」で、名前の通り富士山を眺める事が出来たといわれる。 

 どの方向から見ても同じ形に見えるため、「八方正面の櫓」とも呼ばれる。 

明暦の大火で天守などとともに焼失したが、この「富士見櫓」は万治2年(1659年)に再建され、再建されなかった天守の代用とされた。 

主に伊豆の自然石を加工せずそのまま積み上げられた「野面積み」の石垣は、加藤清正の施工による。 

 水はけがよく最も堅牢だったとされ、関東大震災でも倒壊されなかった。

富士見櫓 皇居東御苑からも見ることができる


【東京都】皇居「蛤濠」(千代田区)202007 

二重橋から内濠に沿って皇居東御苑に向かう途中に、直線に折れ曲がった「蛤濠」がある。  

蛤濠越しには「坂下門」と「宮内庁庁舎」が見える。 

現在は皇居となっている「西の丸」の坂の下にあったので「坂下門」と呼ばれるが、歴史的には文久2年に老中が襲われた「坂下門外の変」で知る人が多いはずだ。 

現在は宮内庁庁舎への通用口で厳重な警備で中に入る事が出来ないので、遠目から望むことになる。

宮内庁庁舎は昭和10年竣工の建築で、皇居一般見学で外観を望むことができる。

坂下門

宮内庁庁舎(昭和10年築)皇居一般見学にて


【東京都】皇居「伏見櫓」(千代田区)202007 

皇居一般見学で正門鉄橋を渡ると、レトロな電燈の背後に長い多門を従えた伏見櫓が見える。 

皇居前広場の正門石橋を眺めると見える背後の櫓がそうで、近場で見ると白壁と黒い屋根が美しいと感じる。 

3代将軍・徳川家光が伏見城の櫓を移築させたものだという説があり、この名前がついているようだ。


【東京都】皇居「長和殿」(千代田区)202007

例年なら1月2日に行われる正月一般参賀。

毎年、国民が皇居正門から参入し、長和殿の東庭まで進む。

この長和殿のベランダに天皇はじめ皇族の方々が並び、天皇がお言葉を述べられるのは毎年見られる光景であった。

東庭、長和殿と松の塔