「マルティン・ルターと宗教改革」13 「人間ルター」
どんな美味しい料理を提供してくれようが、その作り手の人間に惹かれなければその店に通い続けることはない。歴史上の人物とて同じこと。ルターも実に魅力的な男だった。まず、無類のビール好きだったというのが、酒(ワイン)好きの自分にはうれしい。こんなエピソードがある。
1521年、神聖ローマ帝国皇帝カール5世は、ルターをウォルムスで開かれる帝国議会に召喚する。すでにこの年の1月、ローマ教会から破門されていたが、ルターの処置を最終的に決定するのは皇帝。ウォルムスに行くことは危険だと止める人もいたが、ルターはひるまない。
「たといウォルムスの町中の屋根の瓦が敵となって襲うとも、われは行く」
皇帝臨席の下、きらびやかな高位顕官たちおよそ400名が居並ぶ中を、ひとり黒い修道服をまとった痩身の修道士ルターが入城して喚問は始まる。彼は「時の人」とはいえ一介の修道士。最初は弱々しく見えたと伝えられる。喚問は二日間に及んだが、ルターは自説撤回の要求を断固拒否し、こう言い放つ。
「私は、教皇も公会議も信じない・・・それらはしばしば誤りを犯し、互いに矛盾していることは明白・・・。私は取り消すことはできませんし、取り消すつもりもありません。」
死刑が決定されるかもしれない喚問。その喚問が始まる前、登壇を待つルターに彼の信者からあるものが差し出された。ジョッキになみなみと注がれたビールだ。それを一気に飲み干したルターは、勇気を奮い立たせて皇帝や諸侯たちと対峙したという。この時、ルターが飲んだのはボックビール。このビールは北ドイツのアインベックで造られていたもので、「アインベック」が南ドイツの方言で訛って「ボック(Bock)」になったと言われている。アルコール度数が高い上に栄養たっぷりなので、「飲むと雄山羊のように元気になる」という意味も込め、ラベルに雄山羊(Bock)の絵が描かれることが多い。ルターの言葉。
「人類にとって最も美味い飲み物はアインベッカービール(ボックビール)と呼ばれている」
他にもビールにまつわるこんな名言も残している。
「私がここに座って、美味いヴィッテンベルグのビールを飲む。するとひとりでに神の国がやってくる」
「ビールを飲むものはすぐに寝てしまう、寝ている時間は罪を犯さない、罪を犯さないものは天国にいける、よって、ビールを飲んで天国に行こう!」
ルターは42歳の時、26歳の元修道女カタリーナと結婚。議会での勇気ある演説が称えられ、結婚式にはアインベックから1トンものビールが贈られた。しかし、ルターが最も愛していたのは妻が造るビール。カタリーナは結婚前、修道院で醸造を学んだビール造りの名人だった。修道院では巡礼者へのもてなしとして、また断食の時期に栄養を補給するための「液体のパン」としてビールが造られていた。来客が多いルターとの結婚生活でカタリーナは、家畜を飼い、畑を耕し、ビールを醸造してルターを陰で支えた。ルターはカタリーナを生涯愛し、彼女のビールはドイツ一だと周囲に自慢したといわれる。
ところで、ルターの結婚は元修道士と元修道女の結婚だったから、当時にあっては大事件だった。ルターは修道院の在り方を批判しすでに僧服を脱いでいたものの、聖職者として最も大切な貞潔の掟を破ったとして、カトリック陣営からの恰好の非難の材料となった。しかし、ルターは、結婚は、神が人間に与えた恵みの定めであり、夫婦は協力して子どもを育て、結婚生活にはいろいろ厄介なこともあるもののお互いに痛みを担い合うことが大切だと考えた。要するに。結婚することは普通であり、自然なことだから、人は神の定めの下、結婚するのだとした。ルターは人間的なものを愛した。人生を楽しんだ。より率直に、こんな名言も残している。
「酒と女と歌を愛さぬものは、生涯愚者のままである」
食事の際に弟子たちが、ルターが食卓でリラックスして語った言葉の数々をこまめに書きとめ出版した『卓上語録』と呼ばれる冊子がある。その中の、最も好きな言葉。
「神は私たちが喜ぶのを願い、悲しむのを嫌う」
ルーカス・クラナッハ「ルターと妻カタリーナ」
ルーカス・クラナッハ「ルターの妻カタリーナ」アウグスト公立図書館
ルターとカタリナ・フォン・ボラの結婚
家庭でのルター
ルターが世界一美味しいと評したアインベッカー醸造所のボックビール
「ルター ビール」
「ボック ビール」