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森林崩壊は文明崩壊

2020.07.12 08:56

Facebook・清水 友邦さん投稿記事

縄文の人々は森羅万象に宿る精霊に畏怖の念と感謝の祈りを捧げてきました。

農耕が始まったのは1万3000年前からですが縄文人は農業を拒否して1万年以上豊かな実りをもたらす森を守ってきました。

縄文は文明の痕跡を残さないほど、何万年も環境を破壊せずに来たのです。

これは世界史的に見ても驚くべき事でした。

弥生時代に入ると大陸から渡来してきた人々が徐々に縄文と混血して農耕を始め中央集権国家を築きました。

農耕を拒否した山の民が東日本にいましたが西日本から徐々に押されて江戸時代は北海道だけにいるようになりました。

古代の地中海周辺は女神が住む豊かな森で覆われていました。

ところが、牧畜と農耕が盛んになり徐々に男性の天候神が力を持つようになりました。

天の父を神とする一神教の世界に支配されると神聖な森を守っていた女神は殺されました。

そして、神のいない森は消え古代文明は滅んでいったのです。

安田喜憲教授によると古代文明が栄えた地層を調べると最下層は森林で、その上が牧草地でその上が砂漠になっています。

森が破壊された結果、表土が露出して、雨で削られて下流に流れ、森は砂漠化して文明が滅んだのです。

クレタ文明の神殿、宮殿の柱は木でできていました。

森が消滅してクレタ文明も滅びました。ギリシャの神殿の石柱は木がなくなって石に代えられたのです。

エンタシスは上部にかけて柱を細くした古代ギリシャ発祥の建築方法ですが、エンタシスのふくらみは木のふくらみを表現していたのです。

ギリシャ文明の衰退も森の消滅とほぼ正比例していました。

古代メソポタミア、シュメールのギルガメッシュは森を破壊し、ウルクの町を立派にすることが人間の幸福につながるのだと考えフンババという森の神を殺してしまいます。

ギルガメッシュは最後に次のように後悔の言葉を残して死に絶えます。

「私は人間の幸福のみを考えていた。そして人間の幸福のために、いかなるものも犠牲にしてかまわないと思っていた。私はフンババの神と共に、無数の生きものの生命を奪ってしまった。やがて森はなくなり、地上には人間と人間によって飼育された動・植物だけしか残らなくなった。それは荒涼たる世界だ。人間の滅びに通じる道だ。」

レバノンの国旗に杉が描かれていますが今ではわずかしか残っていません。

都市化により森の神々が駆逐されました。

豊かな森は砂漠になり、文明は衰退していきました。

そこに生息していた動物や植物、無数のあらゆる命も森と一緒に姿を消したのです。

農耕がはじまり読み書きがはじまると脳の使い方が変わりました。

物事を善悪の二元性で分けて合理的にみるようになり、自然を人間のための道具とみなして、征服しようと考えるようになったのです。

言語で分析して世界を分けて見ているのが左脳です。

世界を一つに繋がったものとして統合的に眺めるのが右脳です。

「お金や物を持つと幸福になる」と信じる世界観は他の命に対する尊重がなくなり命を物として扱うようになりました。

消費世界では心の分離感をお金と物で埋めようと大量消費に走ります。

しかし、いくら物を買い集めても心の隙間は決して埋まりません。

ものすごい勢いで自然を食いつぶして破局に近づきつつありますが、それでも決して満足しません。

すでに地球の森林の50%以上が失われています。

このままでは地球の資源が枯渇し環境が破壊されてしまうでしょう。

経済やお金の価値を優先する考え方は地球規模の文明崩壊を招いてしまいます。

日本は縄文と弥生の混血でできています。

縄文のDNAを受け継いでいる日本人は持続可能な循環文明を築ける潜在力を持っています。

その力を発揮する時がきています。


氷河期が過ぎた約16500年前ころから日本列島ではブナ林が拡大しました。

白神山地には縄文時代から手付かずのブナの原生林が広がっています。

樹齢200年のブナの木が蓄える水の量は、1本あたり年間8トンにもなります。

ブナの森は洪水から守ってくれる自然界の巨大なダムなのです。

ブナの森は水を浄化して水中の動植物に必要な酸素を供給してくれています。

森林を伐採すると水中酸素濃度が減少して下流で濁水となります。

縄文時代中期の人口の8割以上は、東北日本のブナ林に集中していたと言われています。

神話時代の森は神聖であり大切にされ保護されてきました。

伐採するときは木の根元にお神酒を注いで山の神の許しを得てから、木を切っていました。

お金の時代になると樹木は神聖さを失いました。

森林は欲望の対象になりチェーンソーで樹木は大量に伐採され土地は売り渡されました。

牧場や農業にとって森林は邪魔な存在でした。

黄河の水は昔、澄んでいました。

黄河流域の青銅器には今は絶滅したゾウやサイ、ウシ、クマ、トラ、シカなどが描かれていました。

開墾による森林破壊により無数の沢や沼、池も姿を消し、草原も姿を消しました。

一緒に無数の生き物も姿を消しました。

黄河の黄色は大地が流した血の色だったのです。

聖なる場所とは私たちの身体が大地であり、血液が河で、森林は呼吸する肺であり、地球の命そのものである事を思い出させてくれる場所のことです。

命のネットワークからみれば森林破壊は自分の身体を破壊することに等しいのです。

https://society-zero.com/chienotane/archives/7544?fbclid=IwAR1Gk3Sf-v6e0tA1thiZFPe-Lxpu8ej6W3wb93iUAvSYZgQuaVopIlPNMHA