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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

ブルボン朝誕生4-アンリ4世暗殺

2020.07.12 10:50

1610年5月14日、もはや万全に見えたフランス王アンリ4世は、なんとルーブル宮を出て馬車に乗ったが、走っているところに前を遮られて止まったところへ狂信者が現れ、窓越しに刺殺された。実は王は20数回も暗殺未遂がある。スペインと戦争し、ドイツでは新教に味方して戦争に加担、改宗はニセと思われても不思議はない。

国内でも、戦争で荒れた国内再建と財政改革に乗り出し、側近を大幅に削減した。農民の延滞金を免除し、農業を振興、公共事業を行い、有名なポン・ヌフ橋を建設、ルーブル宮を大増築してグラン・ギャラリエをつくり、芸術家を集めて振興した。現在の美術館の先触れである。

アンリ4世は、ユグノー戦争中に頻繁に開かれた三部会を在位中1回も開かなかった。公共事業や芸術で、市民の人気を取り、王と官僚が中心の政治をすすめる。ブルボンからナポレオンまで繋がるフランスの中央集権政治は、アンリ4世に始まると言っていい。

しかし隣国ドイツでは戦争の火種が燃えようとしていた。両隣はハプスブルク。フランスが新教寄りで介入するのを好ましく思うはずがない。この暗殺は、単独犯として決着がついたが、いろいろな陰謀説がある。