会津坂下町「冷やしラーメン」 2020年 夏
60年以上の歴史があり、町民に愛され続けている「冷やしラーメン」を食べたいと思い、JR只見線の列車に乗って会津坂下町を訪れた。
「冷やしラーメン」は現在町内の8店舗にメニューがあり、古い店では昭和27年から提供され始めたと言われる、会津坂下町民のソウルフードだ。“水そば”の名で親しまれ、ある店舗では“水そば”と注文する常連客も居るといい、また「呑み食い処まるいし」では“水そば”がメニュー名になっている。
全8店舗は、只見線会津坂下駅の北側、徒歩15分圏内に点在していて、列車から降りて気軽に行ける場所にある。
会津坂下町の「冷やしラーメン」の特徴は“ネギ”のせ。1店舗の除き、何らかの“ネギ”がトッピングされている。
会津坂下町が三年前年に発行した「ばんげびより vol.3 2017.7.10」には全8店舗の「冷やしラーメン」が写真入りで紹介されいる。
それによると、長ネギ4店舗、玉ネギ2店舗、万能ネギ1店舗となっており、「さいとう食堂」だけは、カイワレを載せ、豆腐を入れているという。また、味は、醤油6店舗、塩3店舗で、「食堂雪花」だけは醤油と塩の両方が楽しめる、と記されていた。
今日は、まずは只見線の始発列車に乗って会津若松から会津川口に向かい、この時期に出現する只見川の川霧を見る。
その後、折返しの列車に乗って会津坂下で下車し、①2軒の店で「冷やしラーメン」をいただく、②名物である「日本酒」と「馬刺し」を調達する、という計画を立て旅に臨んだ。
*参考:
・福島県 生活環境部 只見線再開準備室
「只見線の復旧・復興に関する取組みについて」/「只見線ポータルサイト」
・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日)
・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線沿線の食と酒ー / ー只見線の夏ー
今朝、会津若松市内の宿から駅に向かう。町北踏切から構内を見ると、只見線のキハE120形が入線し、待機していた。
切符を購入し、改札を通り、4番線に向かう。跨線橋から外を見ると、「磐梯山」は鼠色の雲に隠れて、全く見えなかった。 ホームに下り、会津川口行き2両編成の後部車両に乗り込んだ
6:03、始発列車が会津若松を発車。乗客は、先頭車両が5名で、後部車両は私を含めて3名だった。
列車は七日町を経て、西若松で後部車両に1人の客が乗り込み、阿賀川(大川)を渡った。
阿賀川を過ぎると市街地から会津平野の田園に入り、会津本郷を経て会津美里町に入り、会津高田を出発後に、列車は大きく進路を変え真北に進んだ。
空の一部には、はっきりと青と分かる部分が見られた。今日の降水確率は低かったが、青空が見られ、少し安心した。
列車は根岸、新鶴を経て会津坂下町に入り、若宮を過ぎて西に進路を変えて会津坂下に到着。ホームには高校生を中心に10名を超える客が居て、すれ違いを行った上り列車に乗り込んでいった。
会津坂下を出ると、キハE120形は短い田園区間を通り、少し甲高いディーゼルエンジンの音を響かせながら、七折峠に向かって登坂を開始した。
登坂途上、木々の切れ間から濃淡のある雲の下に広がる会津盆地を見下ろした。
峠の中の塔寺を経て、会津坂本を過ぎて柳津町に入り、会津柳津、郷戸を経て滝谷を出た直後に、滝谷川橋梁を渡り三島町に入った。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館(http://www.jsce.or.jp/library/index.html)「歴史的鋼橋集覧」
この後、只見川との交差が開始される事になるが、今日は川霧が見られるのだろうかと思った。
会津桧原を経て桧の原トンネルを潜り抜けると「第一只見川橋梁」を渡り、下流側を見ると、川霧が発生していた。
川霧はこの時期の朝晩に、気象条件が合えば出現。一説には水温と気温との温度差が8℃以上、湿度80%とも言われている。
只見川は、源流となる尾瀬沼付近から雪解け水が大量に流れ込み、水温と川面上部の温度差が生まれ川霧が発生しやすい環境になっている。また。水流が各ダム湖によって減勢され、空気の対流も少ないことから、川面(湖面)全体から川霧が立ち上がり、留まる時間も長くなる特徴があるという。
「第一只見川橋梁」と「第二只見川橋梁」から見える川霧は、東北電力㈱柳津発電所の柳津ダム湖によって作り出されているとも言える。
列車は、会津西方を出発した直後に「第二只見川橋梁」を渡る。ここでは橋梁の前後に、たっぷりと川霧が発生していた。
渡河後まもなく、列車は減速し“アーチ3橋(兄)弟”の長男となる大谷川橋梁を渡り、県道に架かる次男・宮下橋を見下ろしながら、ゆっくり進んだ。*参考:三島町観光協会(観光交流館からんころん)「『みやしたアーチ3橋(兄)弟』のビューポイント」(2013年6月16日)
会津宮下で、上り列車とのすれ違いを行った。3人の客と駅係員が入線を見つめていた。
会津宮下を出発してまもなく、東北電力㈱宮下発電所とその調整池である宮下ダムの直側を通り抜ける。ここでも、川霧は発生していた。うっすらと、均整の取れた川霧だった。
そして、列車は「第三只見川橋梁」を渡った。川霧は、ここでは下流側が川面(湖面)一面にうっすらと覆っていた。
上流側は、左岸よりに分厚く、掛かっていた。川の形状とそれにともなう水温の変化だろうか、と思った。
列車は早戸を出発してまもなく金山町に入り、細越拱橋(めがね橋、8連コンクリート橋)渡る。ここの川霧は圧巻で、只見川の様子が分らぬほどの量で、列車の方向にあふれ出てきていた。
列車の中からは、車窓を通して味わいある光景を眺められた。空席ばかりが目立つ車内で、未だ観光資源として認知されていない現実を知った。
“観光鉄道「山の只見線」”までの道のりは遠いと感じるが、この素晴らしき景観を知れば、多くの客が只見線に乗りたい、と思うはずだ。只見線利活用事業を中心となって進めている福島県と沿線自治体は自信を持って、広く周知して欲しいと思った。
会津水沼を出ると「第四只見川橋梁」を渡る。川霧は、ここが上流側に建つ東北電力㈱上田発電所・ダムの直下で、浅瀬となっていることもあってか発生していなかった。
「第四只見川橋梁は」路式トラス橋であるため、シャッターを切るタイミングが悪いと、鋼材が映り込んでしまう。現在進められている復旧工事で架け替えられる「第六只見川橋梁」「第七只見川橋梁」は、車窓から見える景色がこのようになる。
列車は、会津中川を経て終点に向かってゆく。前方に林道の上井草橋が見えてきたが、ここでも川霧は見られなかった。ここは、上田ダム湖になっているが、今日は川霧は出現していなかった。降り続いていた細かい雨が影響していたのだろうか。
8:39、終点の会津川口に到着。降り立った乗客は10人に満たなかった。川霧のシーズンで、見られる確率の高い始発列車の観光乗車を増やす必要があると、改めて思った。
ここから先が運休区間。只見までの27.6kmが、「平成23年7月新潟・福島豪雨」被害で、約9年間不通となっていて、来年度の全線再開通に向けて復旧工事が進められている。
ホームには、アジサイが綺麗に咲いていた。
そして、今年3月に引退した“キハ40形”が、プランターとなって置かれていた。
私は、ホームで写真を撮った後、折り返し上りとなる同じ列車の中に入り、出発を待った。
8:41、会津若松行きの列車が、2両合わせて5名の客を乗せて会津川口を出発。上井草橋をくぐると、只見川沿いにせり出す大志集落が見えた。
まもなく会津中川というところで、車窓から前方を見ると、先日、7月9日にオープンした「東北電力水力発電館 みお里」が姿を現していた。
「みお里」は、新型コロナウィルスの影響で、今月20日まで入館を地元の方々に限定している。
*参考:東北電力㈱「「東北電力奥会津水力館」の建設計画について~当社初の本格的な水力発電のPR施設を、ゆかりの深い奥会津に~」/「東北電力奥会津水力館」建設計画の概要(PDF) (2019年3月7日)
細越拱橋を渡ると、只見川の下流域に川霧が見えていた。
しかし、早戸近くの船着き場周辺の川霧は、消えていて、只見川の蛇行部に薄っすらと掛かっている程度だった。
「第三只見川橋梁」上から上流側を見る。川霧はほとんど消えていた。
会津宮下で下り列車とすれ違いを行った。
「第二只見川橋梁」上から、下流側を見る。ここの川霧も往路とは違い、だいぶ薄くなっていた。
「第一只見川橋梁」上から、上流側、駒啼瀬の渓谷を見ると、川霧は消えていた。2時間程の時間で一変した景色に、川霧の貴重さを感じた。
川霧が発生しやすいこの時期、多くの観光客に、見られる確率が高い上下線の始発列車に乗ってもらいたいと思った。
列車は奥会津を快調に進み、七折峠を下り、田園の緑がまぶしい会津平野に進んで行く。前方の「磐梯山」は、未だすっぽりと雲に覆われていた。
9:55、会津坂下に到着。下車して、列車を見送った。
改札を抜け駅頭に立ち、1926(大正15)年開業の、昔ながらの駅舎を眺めた。会津坂下駅は“東北の駅百選”に選定されている。
「冷やしラーメン」を求め、1軒目の「空山」に移動し、歩いて10分ほどで到着。飲食店が入るビルの1階にある。
店内に入ると、1組の客がちょうど出て客は居なかったが、まもなく満席になった。「空山」は朝7時オープンの店で、“朝ラー”が食べられるという。
私はメニューを開くまでもなく、席の目の前に貼られていたPOPの「ひゃっこいラーメン 凪」を注文。「冷やしラーメン」は塩味のこの一品だけだった。
この店では、太麺と細麺を選べ、指定がなければ太麺で提供される。そのためか、15分ほど時間が経ってから丼が運ばれてきた。
まず、目についたのは大型の二つの丸い氷。「冷やしラーメン」である事を主張していた。そして、細く刻まれたネギの白と緑が、清涼感を増していた。
まずは、レンゲでスープを一口。しっかりと冷たく、氷で薄くなるのではないかと心配したが、最後まで、さっぱりとした中にコクを感じる塩味を失う事はなかった。
麺は、太縮れ麺。ゆで加減が絶妙で、冷えたスープも絡まり、食べ応えがあった。
チャーシューは適度な硬さになっていて、食べ終わるまで、ネギが全体のバランスを良いものにしていると感じた。
私は初めて「冷やしラーメン」を食べる事になったが、最初に「ひゃっこいラーメン 凪」に出会えたことは幸運だった。
2軒目の店は、少し胃袋を空け、列車の発車の直前に食べようと思った。
周辺を散策。まず、光明寺に向かい、町の重要文化財に指定されている楼門を見上げる。この浄土宗の寺は、戊辰役で敵方となった西軍戦没者の墓所があり、世界的版画家である斎藤清も眠っている。 *参考:会津坂下町「光明寺楼門」
光明寺から東に200m離れた場所にある法界寺。この曹洞宗の寺には、NHK大河ドラマ「八重の桜」にも登場した、“烈女”こと中野竹子の墓がある。*参考:会津坂下町「中野竹子関連」
次は、町内に三ヵ所ある酒蔵を巡った。
「曙酒造」(1904(明治37)年創業)。「天明」各種、「一生青春」などの銘柄がある。
「豊国酒造」(1862(文久2)年創業)。「大吟醸 學十郎」「吟醸 真実」「豊国」「豊久仁」などの銘柄がある。
「廣木酒造」(1804~30年(文政年間)創業)。「泉川」「飛露喜」の銘柄がある。*参考:福島南酒販㈱「酒蔵探訪70 合資会社廣木酒造本店」
これら三つの酒蔵に囲まれた好立地にあるのが、「五ノ井酒店」。会津地域の大半の酒蔵の日本酒ばかりでなく、郡山市や天栄村など中通りの銘柄も取り扱い、多くの客が訪れる有名店だ。
今回は、ここで「泉川」を買うと決めていた。吟醸酒と純米吟醸があったが、後者を選んだ。
時間が空いたので、一旦、駅方面に向かい、図書館が入っている中央公民館で読書をして小一時間過ごした。
12時過ぎに移動を再開し、名物「馬刺し」を買うため、「肉の荒堀」に向かった。
刺身は、モモ、ヒレ、ロースなどがあったが、モモを100g頂く事にした。地酒「泉川」と「馬刺し」が手に入り、帰りの列車での楽しみができた。
「冷やしラーメン」を2軒目。
予定していた駅前の店に行くが、暖簾が掛かっておらず営業していなかった。不定休という情報だったが、電話で営業日を確認していなかった事が悔やまれた。
気を取り直し、次に駅から近く、日曜営業の情報があった「食堂いしやま」に向かう。暖簾が掲げられ、店内は賑わっていた。
前客のテーブルの片づけで、ほんのちょっと待たされた後に、上がり框の席に案内された。店内の5つのテーブル席は、全て埋まっていた。
「冷やしラーメン」を注文すると、10分ほどで運ばれてきた。
一見、喜多方ラーメンだったが、ロックアイスと刻み玉ネギの存在が「冷やしラーメン」であると分からせてくれた。
ここでも、まずはレンゲでスープを一口。よく冷えていて、ベースは判別できなかったが、決して氷が融けて薄まっていない、薄口醤油の旨いスープで、旨かった。
麺は、中太の縮れ麺。けっこう麺の量が多く、箸でつまむと、一度に沢山の麺とスープが口の中に入り、冷えていることもあり、抵抗なく味わう事ができた。
そして、毎回、刻み玉ネギの食感と甘さが加わり、涼感とともに独特のうま味を感じる事ができた。また、メンマの味付けは濃いめで、氷でスープが薄まってしまうのではという心配を、先取りして和らげている感じがした。
今日は2軒の店で「冷やしラーメン」を頂く事ができたが、想像とは違った旨さに、驚いた。2軒とも、氷が溶けだす事を見込んで、客が食べ終わるまで味を落とさない工夫をしていると感じ、他の店ではどんな工夫をしているのか興味がわいた。
会津坂下町の「冷やしラーメン」は、「地酒」や「馬肉」といった地元の銘品に隠れている感があるが、狭い地域に8店舗が提供し、味も見た目も違うという多様性を考えると、観光客を惹きつける魅力が大きいと感じた。
今日は気温があまり上がらなかったが、次の機会、暑い日に会津坂下町を訪れ、他6店舗の「冷やしラーメン」を食べてみたいと思った。
列車の発車時刻が近づいているために、急ぎ「冷やしラーメン」を平らげ、「食堂いしやま」を後にした。
駅に近付き、当初2軒目に訪れる予定にしていた「山方屋食堂」の前を通り過ぎた。
前述した「ばんげびより vol.3 2017.7.10」には、ここの「冷やしラーメン」が特集されていて、トマトや紅生姜、ナルトなど7種の色鮮やかな具材がトッピングされている様は、是非食べてみたいと思わせるものだった。次は電話をして、開いている日時を確認して訪れたいと思った。
駅の脇には会津坂下町出身の偉人である歌手・春日八郎像が、マスクをつけられて立っていた。*参考:「春日八郎記念公園・おもいで館」
駅舎を通り抜けホームに向かうと、まもなく会津若松行きの列車が入線してきた。15名程程の乗客とともに、私も乗り込んだ。私が席をとった後部車両には、20名程の客が居て、まずまずの賑わいだった。
空いている席に腰を下ろすと、まもなく列車の汽笛が聞こえ、向かい側のホームに会津川口行きが入線し、多くの客が降るのが見えた。
13:47、会津若松行きの列車が会津坂下を出発。
列車内では、進行方向の右側の1人掛けクロスシートに座り、車窓から西部山麓を眺めた。風が出てきたようで、一面に広がる田んぼの鮮やかな緑の稲がなびき、不規則な風紋を作り続けていた。
14:21、列車は定刻に、終点の会津若松に到着。
ここで只見線乗車を終え、会津若松からは乗り継いで、富岡への帰途についた。
磐越西線の中では、思いの外、すいていた事もあり会津坂下町の銘品を二つを頂く事にした。
「五ノ井酒店」で手に入れた「泉川 純米吟醸」。
そして、「肉の荒堀」で手に入れた「馬刺し」(モモ)。
お猪口は、赤べこ図柄入りのもの。五ノ井酒店で「泉川」と一緒に購入した。
「泉川」純米の口当たりの爽やかさに、吟醸酒の香りや濃厚な味わいを堪能でき、盃が止まらなかった。
「馬刺し」は柔らかいのはもちろんの事、肉感はあるがとろけるような食感で、ニンニクの効いた辛味噌と一緒に口に運ぶと互いの旨味は消える事無く、しかもケンカをすることなく喉の奥に消えていった。100gは多いかな、と思ったが喜びは失われる事無く完食することができた。
「泉川」と「馬刺し」の相性も良く、会津坂下町の地元の味を旅の最後まで楽しむ事ができ、良い旅になったと思った。
磐越西線の列車は、快調に進んだ。
猪苗代町に入っても、「磐梯山」は上部を雲に隠し、その全容を表していなかった。会津を訪れて、「磐梯山」が見えないと、ちょっと物足りない気持ちになる、と改めて思った。
16:19、郡山に到着。人通りは少なくなかったが、若者の姿が目立った。新型コロナウィルスが街の表情を一変させている現実を、目の当たりにした。
私は、ここから磐越東線、常磐線と乗り継いで、20時過ぎに無事に富岡に到着した。
今日の旅は、会津坂下町の「冷やしラーメン」を求めたものだったが、会津川口まで列車に乗って奥会津の車窓からの風景を堪能してから現地入りするという内容だった。
もちろん、一日中楽しめる観光資源を会津坂下町は持つが、只見線の利用は35分と少ない。只見線を移動手段ではなく、観光資源として活かすためには、乗ってから観光(食べる、見る、買う)という今日のようなスケジュールが良いと感じた。会津若松市から近い、会津美里町も含め、“乗ってから観光”の標準的な観光プランを企画し周知すれば、集客につながる可能性があると思う。
他方、上越方面から小出経由で只見線の乗車した場合、奥会津を経て、途中下車して会津坂下町や会津美里町を訪れ、会津若松市に向かう導線は、“一本道”で分かり易い。
いずれにせよ、“観光鉄道「山の只見線」”を目指す福島県や沿線自治体は、乗客数から極端に落ちる、現運休区間を含む、会津坂下~大白川(新潟県魚沼市)間の奥会津地域への集客に努めなければならない、と今回の旅を通して思った。
私は、今後、会津坂下町と会津美里町を訪れる際は、“乗ってから観光”という視点でも旅を計画し、その可能性を探ってゆきたいと思う。
(了)
・ ・ ・ ・ ・ ・
*参考:
・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」
・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」 (2013年5月22日)(PDF)/「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(2017年6月19日)(PDF)
【只見線への寄付案内】
福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。
①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/
②福島県:企業版ふるさと納税
URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html
[寄付金の使途]
(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。
以上、よろしくお願い申し上げます。