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海の青と畑の緑。百の仕事を手にする「お百姓さん」を目指すサーファー【田中宗豊 ルロクラシック/徳島・海陽町】

2020.11.27 01:00
室戸岬に向かって南下していくと、徐々に自然の色が深くなって行く。徳島の最南端にあるのが海陽町。日本有数のサーフスポットでもある。波に乗り、サーブボードを作り、畑では種を蒔く。海と陸を友だちにする田舎暮らしを体験する。

文・写真 = 宙野さかな text = Sakana Sorano

ー出身はどちらなのですか。

 大阪の一番南の阪南というところです。高校をドロップアウトして、プロサーファーになるぞって決めて、17歳のときに海陽町に来たんです。


ーそこから生活の中心がサーフィンになった?

 師匠にみっちり熱血指導を受けて、20歳のときにプロテストに合格しました。そこからバイトしながら、コンペティションでやってました。ええところまで行ったこともあったんですけど、挫折があって。コンペティションっていう枠にとらわれすぎて、サーフィンを楽しむっていう本質のところを忘れてしまっていたんですよね。それで旅に出たんです。何も決めない旅。


ーどこに向かったのですか。

 沖縄に行って。「自分の得意なことをやって、それを人にやってあげればいい。ほんなら人はその人の得意なことで返してくれる」っていうことを、ある人から教えてもらったんです。自分の好きなことをやろうと。当時、大きな波に興味があったので、じゃあ誰も乗れへんようなビッグウェイブと、誰も乗れへんような小ちゃな波。大と小の極端なことを一生懸命やろうと思って。そこからジプシーみたいな生活がはじまったんです。


ー波を追いかける旅?

 まずは日本全国を旅して、世界の海に行って。ハワイではビッグウェイバーの家に転がり込んだりもしましたよ。お金を持ったら、それを全部サーフィンにつぎ込むっていう暮らし。波が中心の生活でした。それが3年くらい続いたかな。


ーそして再び海陽町で暮らしはじめた?

 それは奥さんとの出会いがきっかけですね。彼女も大阪出身なんですけど、自然を中心として生活をしたくてこっちに来たんです。僕はひょんなきっかけでサーフボードの製造をやるようになっていて。


ー今、サーフィンはどのくらい行かれているのですか。

 行きたいときだけですね。心のよりどころっていうか、癒され時間みたいなものですよ。仕事に没頭して行き詰まったときなんかに海に行くと、毒が海に流れて行って開放されたように感じるんです。パワーを充電してスッと日常に戻れる。時間にすると30分とか1時間とかそんなもんなんですけど、オンとオフの切り替在ができるんがサーフィンなのかなって思いますね。先輩には、わかってきたってと言っている時点でわかっていないって言われそうですけど(笑)。

ー海陽町の魅力ってどこに感じていらっしゃいますか。

 わかりやすく言うと、美しい自然環境とこの士地の人たちの人柄やと思います。海に入って波に乗るという行為も好きなんですけど、海に入って何もせずに海に抱かれているという状態も大好き。それと同じように緑に包まれているときも気持ちいい。


ーゲストハウスをやろうと思ったきっかけはどういうものだったのですか。

 ご縁があってこの建物と庭の管理を任されたんです。お子さんを呼んで木工を教をるという夢が託された場所だったんですね。その思いを継いで、みんなで楽しめる場所、女性や子どもがハッピーになれるような場所にしたいなっていうのがはじまりです。


ーゲストハウスとしてイベントはやっているのですか。

 春に田植え、秋には稲刈りをしているんです。ゲストハウスとしてのうちの強みって、農園を経営していることなんですね。サーフィンの世界って、かつてはサーファーだけのコミュニティがあったんです。食は、生まれた以上は誰もがする行為やないですか。食を中心にメッセージを発信したほうが、間口が広いなって思って。間口を広げることで、より多くの人にサーフィンのおもしろさ、海の素晴らしさを伝えられるんじゃないかって思いがあるんです。


ー農業は有機とか自然農とかこだわりがあるのですか?

 憧れがあって、ビル・モリソンさんのパーマカルチャーとか、ズブの素人がそこから入っていったわけです。うまくできるわけがない(笑)。だから今は地元のお年寄りに習う昔ながらの農業っていう言い方をしています。


ーもちろん無農薬で?

 はい、使ってないです。昔ながらの農業って、自然の摂理に従ったやり方なんですよね。


ー職業を聞かれたら、なんと答えますか?

 最近、すごく考えていたんですよ。おもしろ可笑しくメッセージを込めて伝えたいんやったら、「お百姓さん」っていう言い方がバチっとくると思っていて。


ーそれは百の仕事をするという意味を込めて?

 そうです。真面目に考えた答えがこれなんですよね。でも「サーファーです」っていうのが一番通じます。少し前だったらそれも色眼鏡で見られていたんですけどね。「サーファーで百姓をやっています」。こう言ってわかってくれる人が、どんどん増えてきているように感じますね。農業もそうですけど、先人の智慧に憧れているんです。それを学びたいという気持ちが強い。仕事も一生懸命できて、自分の時間も多少は持てて、ここで暮らしているっていうこと自体が、奇跡みたいなものなんですよね。


ーゲストハウスは、田中さんにとってどんな存在になっていきそうですか。

 アングルをちょっと変えただけで、ローカルに近い時間がここでは持てると思うんです。お客さんに必ず言うのは「ここは自分の別荘やと思って使ってください」と。ここでゆっくり充電してもらって、普段の生活に戻るみたいなのが、僕の理想なんです。


ルロクラシック 徳島・海陽町
プロサーファーになることを目指して、10代で大阪から徳島へ。フリーサーファーとして世界のビッグウェイブを求めていくうちに、より自然に即した暮らしにシフトチェンジしていった。お米や野菜など、自分たちが食べるものを育てるというライフスタイル。サーフィン、ハーブの収穫、火起こし、田植えや稲刈りなどの自然を活かしたワークショップも開催されている。新型コロナウイルスの世界的感染拡大により、2020年12月31日までゲストハウスの営業とワークショップイベントは休止中。パタゴニアのアンバサダーも務めている。