パイプオルガンの調律資金への道
今回この企画の連絡をくれたのは、こちらでの音大時代のオルガニストの友人。
友人は何より音楽の才能と情熱とエネルギーに溢れている、私の音大時代の友人の中
でも<音楽家でなければいけない人リスト>に入る友人でした。
音大卒業後、友人は教会で仕事をしていたので、共演させてもらう機会も多く、
しかも<クラシカルな教会と前衛的なプログラム>というコンビネーションを好んだ
友人は、私が聞いたこともないような作曲家の、見たこともないような楽譜に挑戦さ
せ続けてくれました。譜読みのキツさはロマン派のメロディックなものとは大違い…
ピアノの前で何度ため息をついたかわかりません(笑)
友人の教会での仕事は期間限定の契約でしたので、ドイツの州や自治体が定めた
教会のルールに従い、友人の契約は2年で終了。その後、友人はオルガニストとしての
就職先を見つけることができませんでした。
結局生きていくために多言語能力を生かして営業職へ付き、友人は『もう音楽は
やめてしまうのだろう』と諦めて生きていたそう。音楽演奏の一切を断ち切り、オル
ガンに触れなかった期間は7年…友人は、今になって、この7年、音楽からの解放と
音楽への渇望を味わったと話してくれました。私も5年間似たような時間を過ごしたこ
とがありましたので、友人の気持ちはとてもよく理解できるような気がしています。
友人とは数年おきにお互いの家を行き来してきましたが、今年に入って久しく友人か
らメッセージが入ってきました。『もう少ししたらプログラムと楽譜を送る。一緒に
演奏する気はある?』 とても嬉しいメッセージでした。
しかもさすがエネルギッシュな友人…練習させてくれるパイプオルガンのある教会を
見つけるため、家にあったタウンページ(市の規模ではなく地方の規模)の最初から
最後まで、電話番号の載っている教会へ片っ端から電話をかけたそうです。
結果的に見つかったのがこの調律しなければ使えないオルガンのある教会。でも、
いつでも空いてる時に練習してよいと声をかけてもらえたのだそうです。
ベルギーにはドイツとは少し違う規則があるらしく、教会での演奏会を公に、活気的
に行い続けてはいけないという条件があるそうです。(教会は祈るために集まるところ
であって、演奏会場ではないですもんね)
友人が練習できる教会は、日本の教会からイメージするとヨーロッパらしい立派な
教会ですが、その条件下にある教会であるらしく、調律費用の捻出にまでは手が回らな
いそう。
数ヶ月かけて修理できるところまでを完成させた友人は、2000ユーロになる調律代
を演奏会での寄付で賄い、オルガンを復活させ、そして教会での憩いの時間に音のいい
演奏で癒されて欲しいと思っているし、教会での演奏会をもっと頻繁に行うことが
できるよう働きかけてみたいとも話してくれました。
さて、久しぶりの友人との競演へ向けて、どんどん曲たちが送られてきます。練習し
始めた横から変更もあります。友人も久しぶりのプログラム作成に欲が出るのでしょう。
しかしこれまた💦 手書き楽譜はもちろん、数小節ごとに拍が変わったり、私のパート
の音の脈略や意図が理解できず、挙句音自体も覚えられなかったり…。
古いものはルネサンス音楽に渡り、それはそれで見慣れない楽譜だったり…。
よくもこんなに全く違う種類の様々な曲をあちこちから探してくるなぁと、感心したり、
感嘆したり、半泣きになったりする毎日です。…他の演奏会の曲練習が、息抜きに感じ
られるほど(笑)。
来週、国境が開かれている間に一度、このオルガンとご対面にベルギーへ行って参りま
す。調律されていないオルガンと、音が取り切れるか不安な歌とのお初の合わせ。かなり
心配ですがたまにはこんなドキドキもよいかな、と非常に楽しみにもしています。
↓こちらは手に入りにくい楽譜を探しに訪れた私の街の音大<ロベルト・シューマン音楽
大学>です。コロナ対策もバッチリ👌行われた中、お休みなので人影はあまりありませ
んでしたが、右上のホールにはオペラ公演の予定のポスターも貼ってありました。
右下の写真の『Wir kommen wieder』は再び戻ってきた、という意味です。