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道島塾長の”VIVA! 80's” -vol.44- /プリンス(後編)

2020.07.14 00:23

道島です。今週は先週の前編の続きとなりますが、世界初のリリースとなった日本独自企画盤である、幻のコンピレーション・アルバム『ヒズ・マジェスティズ・ポップ・ライフ~ザ・パープル・ミックス・クラブ』を取り上げます。先週7月8日発売となりましたが、大変な話題となっております。つまり、売れに売れております。プリンスの音源は、当時の関係者のインタビューによると、オリジナルはどれも長尺で、それを編集して、我々が今耳にしているヴァージョンになったものが多いといわれています。そう考えますと、プリンスの楽曲はこのアルバムに収録されたエクステンデッド・ヴァージョンが本来の形と考えることもできるのです。

そして、1985年当時、このアルバムを企画した人物の名前はアートワークにはありません。ブックレットにその説明もありません。今回も、このアルバムの謎に迫るべく、このアルバムを企画した、当時のプリンスの日本のディレクター、佐藤淳氏にお話をお伺いしました。

道島: アルバム・タイトルがとてもしゃれていますね。よくCLUBという言葉を、同じくご担当されていたa-haのミニ・アルバムでもよく使われてますし、サージェント・ペパーズも影響があるようにおもいますが、タイトルに込められた思いとは?

佐藤:His Majesty’s~というタイトルは自分ぽくて笑えます。当時Club Mixみたいな用語が主流だったので。先輩が別なアーティストで編成されたEPも、確かClubと名乗っていたかと。サージェント・ペッパーは全く無関係です、すみません。a-haとか他のアーティストは別ヴァージョン集EPを発売出来たのですが、プリンスだけ本社NG食らったのかな。

道島:個々の楽曲に関してですが、「ポップ・ライフ」の12インチ・ヴァージョンですが、

アートワークに書かれたUS盤の6:16秒ではなく、UK盤の9:05秒が入っています。これは純粋な間違えなのでしょうか?

佐藤:お恥ずかしい…。すごく後年にプリンスファンクラブの指摘で知りました。

道島:次はアートワークについてです。基本、アルバム『アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ』のアートワークで制作されていますが、中面にパープル・レイン・ツアーの写真と日程が入っています。これはなぜなのでしょう?

佐藤:それしか手元に存在しなかったのではと思います。

道島:ジャケット写真は当時シングル「ポップ・ライフ」のジャケット写真でもあったものですが、これを選ばれた意図は何かありますか?

佐藤:純粋に「アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ」の拡売のためだったのと、「ポップ・ライフ」時期だったのかな。もちろん素晴らしいアートワークですし。

道島:年表がついていますが、これはどういう意図だったのでしょう?まだまだ日本のメディアのプリンスの認知が低かったからでしょうか?

佐藤:今はそんなことは無いのでしょうが、当時はネットもないので、アーティストの資料は後手後手で届きます。僕らがアルバムの帯キャッチ書くときは、「音も資料も届いて無くても書く」が教えで。「パープル・レイン」期はミステリアス(笑)押ししてたので、情報増えたし、そろそろこの人も普通の人間(笑)だということを明かす時期かなと。

道島:このアルバムからは離れますが、プリンスが亡くなってから、ワーナーとソニーから、それぞれ活発にカタログ・リリースが続いています。当時のディレクターとして、今この流れをどんな風に感じておられますか?

佐藤:活発な再発の流れで、His Majesty’s Pop Lifeにも光が当たったのだと思います。本人が天国からこの盛況を眺めてどう思うかな?いつでも次の作品が彼にとっての最高傑作なので、過去の掘り返しを喜ぶかは分かりませんね。

自分が偉大なるキャリアのほんの短い期間しか担当していないことを改めて実感します。「パープル・レイン」のときまだ入社一年経ってなくて、師匠や先輩たちに言われた通り駆けずり回っていただけの「パシリ」ディレクターでした。プリンスがポップミュージックをイノヴェイトした大切な時期なのに力不足だったと反省しきりです。

道島:本日はありがとうございました。


<プリンス(前編)こちらから>