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「史上最悪のインフルエンザ」を繰り返さない

2020.07.14 04:27

https://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/all/special/flu2007/pickup/200801/505157.html 【「史上最悪のインフルエンザ」を繰り返さない】仙台医療センター ウイルスセンター長 西村秀一氏  2008/01/04 聞き手;三和 護=日経メディカル別冊  感染症

「正当にこわがることは、なかなかむつかしい」。50年前に物理学者で随筆家である寺田寅彦氏によって発せされた警告である。「史上最悪のインフルエンザ」の著者であるA.W.クロスビー氏は日本語版への序文でこの警句を紹介し、「我々が今、肝に銘じるべき言葉である」と結んだ。翻訳に当たった仙台医療センターウイルスセンター長の西村秀一氏(写真)は、この言葉の中に新型インフルエンザと対峙していくための基本姿勢を読み取る。国レベル、自治体レベルで対策案が打ち立てられる中、体制は整いつつあるように見えるが、果たして本当にそうなのか。絵に描いた餅にしないためにも、地域に根ざした「私たちの行動計画」が必要になっている。そこに実効性を吹き込む決め手は、やはり「地域のリーダーシップ」(西村氏)なのだ。

-- 先生は2006年に、国の要請を機に各都道府県が作成した「新型インフルエンザ対策に関する行動計画」を概観した結果を発表されました(関連情報)。そこから出た結論は「行動計画という名の金太郎飴」でした。

西村 2005年末までに、相次いで出された都道府県や政令指定都市の計画のうち、28の計画を読んでみました。その時点での率直な感想は、みなどこも同じような顔の「金太郎飴」だったのです。東京都や北海道は、かなりの工夫と独自のまとめ方をしていました。さいたま市や佐賀県、愛媛県のものなど、独自色をみせているところもありました。しかし、その他はおしなべて金太郎飴だったのです。残念だったのは、それまで長い時間をかけて、国の要請に先行してプランニングを目指していた宮城県、山形県、大阪府のものが、ガラリと変わってしまって、ものの見事に金太郎飴になっていたのです。

-- 国の要請に合わせていればよいという考え方だったのでしょうか。

西村 私は、「国との整合性」や「金太郎飴であること」自体を問題視しているわけではないのです。「国との整合性」が必要なのは当然でしょう。しかし、一番大切なことは、本当に新型インフルエンザがやってきたときに、自らが作った行動計画できちんと自分のところの住民を守れるかどうかという実効性の問題なのです。それが担保されている行動計画であれば、何ら問題はないのです。

-- 日本環境感染学会だったでしょうか。先生は、絵に描いた餅にかけて、各都道府県のお雑煮を紹介していました。各地に独自の雑煮があることを引き合いに、与えられたものではない自らの行動計画の必要性を訴えられていたと思います。

西村 地域レベルの行動計画は、「私たちの私たちによる私たちのための行動計画」であるべきです。

-- そうはなっていない象徴的な事例として、先生は後日、「ある日の新聞報道が意味するもの」と題した一文をお書きになっています(関連情報)。ある新聞が報じた「新型インフル患者受け入れ大丈夫? 京都の病院 3分の1が拒否や保留」という記事を題材にされたものです。

西村 記事は、京都府と京都市が、新型インフルエンザの発生に備えて府内の120の医療機関に患者受け入れを要請したところ、当時は40もの病院が拒否あるいは態度保留という回答だったというものです。新型インフルエンザで発生することが予想される莫大な数の患者を、感染症指定病院や公立病院で受け入れ切れないと考え、大流行時には特別な病院を除く全医療機関で診療にあたると行動計画で定めた上で受け入れ協力を求める要望書を送付、回答を集計した結果だったというのです。理由は、一言でいえば医療側の新型インフルエンザに対する不安といったところのようです。

-- 執筆された当時、先生は特に「リスク・コミュニケーションのまずさの問題」と指摘されていました。

西村 新型インフルエンザについて、一般的に病気が致死的である可能性だけが過度に強調されたためと思っています。リスク・コミュニケーションは、事が起きて初めて始まるものではありません。日常的に行われるべきものであり、情報を発信する側、あるいは管理すべき側は、情報がどのような受け取られ方をするかも考慮し、脅し過ぎず、過度に楽観せず、バランス良く情報を伝える必要があります

-- まさに「正当にこわがることは、なかなかむつかしい」ということですね。現状はどうでしょうか。「まずさ」は解消されたのでしょうか。

西村 ほとんど変わっていないのではないでしょうか。リスク・コミュニケーションは、今のうちからよくよく考えるべきことだと思います。今は、一方的に脅しすぎの方に偏っていて、これで、いざ多くの患者が出る事態となった時にそれに一緒に立ち向かうための「一般の医療関係者の士気」が、うまく醸成されるのか大変気がかりです。

 「忘れられたパンデミック」の悪夢

-- 2004年に、先生が翻訳を担当されたパンデミック対策のバイブル本とも言える「史上最悪のインフルエンザ」(A.W.クロスビー著)の日本語版が発行されました(写真)。スペイン・インフルエンザ(日本での旧来の俗称;スペインかぜ)が米国を中心にどれほどの猛威を振るったのかを歴史学的に分析したものです。その中で、著者のA.W.クロスビー氏は日本語版への序文で寺田寅彦氏(物理学者で随筆家、1878-1935年)の次の言葉を紹介しています。

西村 原著との出会いは1996年です。米疾病制御予防センター(CDC)への留学を終え帰国するころでした。原著の初版が出てから20年の月日が経っていました。当時、1918年のパンデミックのことはあったことぐらいしか知らなかったのです。本の中で展開される詳細なパンデミックの事実に、非常にショックを受けました。もし近い将来、同じようなパンデミックが起きたらという危機感を強く抱いた覚えがあります。

-- その危機感があったからこそ、日本語版へつながっていったのですね。

西村 原著のことは日本ではほとんど知られていなかった。これは驚きでした。だからだれかが日本に紹介すべきと思いました。だれもやらないなら自分がやるしかないと。結局、7年の月日をかけてようやく出版にいたりました。

-- リスク・コミュニケーションの第一歩は、この本を読み干すことから始まるのではないかと感じました。副題に「忘れられたパンデミック」とありました。これがとても印象に残りました。

西村 忘れてはいけないのです。パンデミックが起こった時に、人々が翻弄されたのか、そしてそれにどのように立ち向かったのか。その事実を知らないといけないのです。A.W.クロスビー氏の原著は、「America's Forgotten Pandemic」(1989年に改題。もともとは「Epidemic and Peace, 1918」)です。クロスビー氏は改題の序文でこう結んでいます。「どうして我々はあのパンデミックのことを、あれほどまでに忘れられるのか理解に苦しむ」。

-- 次世代に伝えていく努力が必要です。新型インフルエンザと対峙する上で、「忘れられたパンデミック」をしっかりと振り返る必要があります。

西村 たとえば1999年に米国のある放送局が、1918年当時の映像と生き残った人々の証言、さらにはA.W.クロスビー氏らへのインタビューを交えた番組を作っています。日本では、こうした取り組みが見当たりません。

-- 当時の内務省衛生局が大正10年にまとめた「流行性感冒」と題する報告書ぐらいでしょうか。

 新型に直面すれば、個々人の「決断」が求められる

-- 論説「新型インフルエンザ・パンデミック対策をめぐる諸問題」(関連情報)の中で、パンデミックに一生懸命に取り組もうとしないパターンとして、以下の点を指摘されています。パンデミック対策に取り組む人のセルフチェック、あるいは戒めともとれます。

1. 実は理解していない人。あるいはレセプターのない人

2. 確信犯的に、そんなパンデミックなど起きはしないと考える人、あるいはまだまだ起きないだろうという潜在的願望を含めた楽観論者

3. 言葉では分かっているものの、自分に降りかかるイメージとして捉えられない人

4. 大事なのは分かっているが、自分の目の前の仕事で精一杯で、「だれか考えてくれるだろう」「これは他人の仕事だ、だれも考えないのは、考えない誰かが悪いのだ」とする他人任せ

5. 何かやらねばと思いつつ何をやったらよいか分からない人

6. 自分と自分の家族はとりあえずタミフルで守れるから、他人は誰かがなんとかすればいいという利己的な人

7. 目の前に事が起きなければ何もしないで、自分が責任を問われない程度に、とりあえずお付き合いして、自分に仕事として回されてきた時が過ぎるのを待っている人

8. これらの間のいくつかの組み合わせ

表1 パンデミックに一生懸命に取り組もうとしないパターン

西村 自らがどのような状態なのかを知る機会になるかもしれません。反面教師にしてもらいたいものです。

-- 先生が主宰されている宮城パンデミック・インフルエンザ研究会は、さまざまな活動を続けています。以下の翻訳は成果の一つと認識していますが、それぞれの狙いは何だったのでしょうか。

* 対訳 パンデミック・インフルエンザに対する地域のプランニングガイド

* 全訳 天然痘ワクチン接種クリニックガイド

* 対訳 地方の保健担当者のためのパンデミック・プランニング自己チェックの手引き

表2 宮城パンデミック・インフルエンザ研究会の成果

西村 研究会は2001年2月から続けているものです。県や市の職員の方にも参加してもらっています。「地域のプランニングガイド」は、米CDCが1999年に発行した「新たなインフルエンザの世界的大流行(パンデミック)」の発生に備えて地方当局が対策を立案するための指針、 Pandemic Influenza: A Planning Guide for State and Local Officials (Draft 2.1 ) の完訳です。これと照らし合わせながら、各自治体の行動計画などを、もう一度見直してほしいと思います。

 「天然痘ワクチン接種クリニックガイド」は、米CDC(疾病管理予防センター)が2002年9月に発表した「Smallpox Response Plan and Guidelines Draft3.0 」(天然痘対策計画・指針)の一部がのちに改訂されてできた「Smallpox Vaccination Clinic Guide」(天然痘ワクチン接種クリニックガイド)の日本語版です。「天然痘ワクチン」を「新型インフルエンザワクチン」に読み替えれば、十分に新型に応用できると思います。

 3つ目の「自己チェックの手引き」は、米国で2002年に発行された「Influenza Preparedness Planning for State Health Officials」(地方の保健担当者のためのパンデミック・プランニング自己チェックの手引き)の完全対訳です。地方の担当者の方にはぜひ読んでいただきたいものです。

地域レベルのパンデミック・プランニングなどを発信し続けるホームページ「わいらす」

-- 最後に、先生が書かれた数々の新型インフルエンザ論説にかなりの頻度で登場する「リーダーシップ」についてうかがいます。まず国レベルではいかがでしょうか。十分に機能していると見えますか。

西村 今は厚生労働省中心の体制になっています。でも新型インフルエンザに対応するには、医療以外の分野の出動も必須になります。たとえば自衛隊の医療活動も当然、考えておかなければなりません。その意味では、厚生労働省だけではなくて、内閣の直下に新型インフルエンザの危機管理をする組織を持っておくべきと思います。

-- 地方レベルではいかがですか。金太郎飴の行動計画しか持たない自治体では、実効性が期待できないのではないかと危惧するのですが・・・。

西村 パンデミックはいつきてもおかしくない状況です。そう言われ続けてだいぶ経ちますが、どうもオオカミ少年症候群とでもいうのか、言っている方も疲れてきているし、言われている方は不信感を募らせているようにも思えます。これは「非常時の対応」にしかなっていないからでしょう。そうではなくて、「常時の対応」へ切り替えていかなければなりません。目の前の危機に備えるという日常の体制を整える必要があります。

 結局、最後に効いてくるのは「地方のリーダーシップ」です。行政では各自治体の首長の力量が問われることになります。また、パンデミックが始まった場合、地方で活躍している医療関係者はもとより、公衆衛生学の専門家、保健衛生に携わる人々は、個々の「決断」が求められる場面に出くわすはずです。地方のリーダーシップを支えるのは、こうした個々の「決断」の積み重ねになるはずです。

-- 昨年12月初めに中国の南京市付近で、高病原性鳥インフルエンザの人感染例がありました。最初は息子(死亡)でその後、父親も感染していることが分かりました。父親の方は回復の方向のようですが、両者とも感染ルートは不明です。またつい最近も、新たにパキスタンやミャンマーでも相次いで人感染例が発生しました。危機は高まっていることを物語る事例だと思います。