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粋なカエサル

「レオナルド・ダ・ヴィンチとミラノ公イル・モーロ」4「イル・モーロ」③愛人(2)ルクレツィア・クリヴェッリ

2020.07.16 22:54

 時代の権力者の常として、イル・モーロの女性遍歴もかなりのものだった。今日、はっきり確認されるものだけでも、正妻ベアトリーチェ・デステのほかに、メルツォ伯爵夫人ルチアーノ・マルリアーニ、チェチーリア・ガッレラーニ、ルクレツィア・クリヴェッリ、ロマーナと呼ばれた女性、ベルナルディーナ・コッラーディスらとの間に子をなしている。このうち、資料的あるいは事実的にレオナルドがその肖像画を描いたとされている女性は、「白貂を抱く貴婦人」のチェチーリア・ガッレラーニ以外には公妃ベアトリーチェとルクレツィア・クリヴェッリだ。

 まず公妃ベアトリーチェの肖像画。現在ミラノのアンブロジアーナ絵画館にある「女性の肖像」。長らくベアトリーチェ・デステを描いたレオナルド作とされてきたが、現在では作者はアンブロージョ・デ・プレディスとされる。確かに、その類型的な画面構成からしてレオナルド作品とするのは無理がある。しかし、レオナルドとまったく無縁だともいいきれない。この乙女が纏う衣装の袖ぐりや髪を覆う真珠飾りの編み帽子(紗帽)には、1490年代、組紐模様などにみせたレオナルド独特の装飾趣味が明らかに認められるからである。ミラノ公妃の最大の関心事が、新型の衣装と新奇な髪型と装身具にあったという当代の世評を想起すると、この宮廷の専属デザイナーであったレオナルドの関与は十分考えられる。

 もうひとりのルクレツィア・クリヴェッリの肖像画とされてきたのが、ルーヴル美術館にある「ラ・ベル・フェロニエール」。この肖像画が、「La Belle Ferronnière」=「美しき金物製造人の妻」と通称されるのは、「フェロニエール」というフランス語が、「金物製造人の妻」という意味の他に、「真ん中を宝石でとめた額につける装身用の鎖」をも意味するからだ。この特異な「フェロニエール」はスペイン風の装身具。それは、方形の襟ぐりをもつ胴着、クレープ地とリボンの飾り結びの繰り返しがある袖、馬の尾形に結い上げた髪などとともに、1400年代末の10数年間にミラノで全盛を誇ったスペイン風の流行を示している。この流行は、アラゴン家の血筋を引くエステ家(ベアトリーチェの母は、ナポリ王フェルディナンド1世の娘エレオノーラ・ダラゴーナ。ナポリ王国は、1435年にアンジュー家の家系が断絶したため、1442年にスペインのアラゴン家が王位を継承)の、ナポリで育ったミラノ公妃ベアトリーチェなどにより、同宮廷のファッションにナポリ=スペイン風が導入され流行した結果のようだ。

 この肖像画の致命的な欠点は、画面下部を占める無神経な手すりの導入。それによって、この婦人の両手は隠されてしまっている。このような構図法は、ロンバルディア地方やヴェネト地方ではまま見かける肖像表現のようだが、レオナルドならば決して採用しない処置。未完成となったため弟子が手すりを加筆したようだ。

しかし、この婦人のポーズは見事だ。頭を胸と反対の方向にめぐらせて、レオナルドが手稿中で推奨したポーズを見せている。そしてその視線はわずかに右側に寄った一転に注がれている。これによって、レオナルドは、三次元の表現に成功した、とも言われる。どういうことか?絵の女性の視線は、見る人の視線とは合わないため、見る人は少し右によって視線を合わせようとする。つまり回り込んだ形でこの女性を見るため、彫刻を見るような気分になり、絵の中にいる人が生きているような感じがするというのだ。また、その眼差しの異常な強さは、情熱を内に秘めた高揚する生命力、内気さに秘められた生気の確かな手ごたえをよく感じさせる卓越した表現力を示している。さらに、下唇の横の特徴的な筋肉のかすかな盛り上がり、花の下の影と照り返しのバランスなど、「モナ・リザ」との密接な関係を指摘する研究者もいる。

 ところでルクレツィア・クリヴェッリは、その出自は不明だが、公妃ベアトリーチェの侍女の一人だった。1497年にイル・モーロの子を産んだが、彼はその数か月後にルクレツィアにマッジョーレ湖とコモ湖周辺の牧草地を贈り、さらにこの庶子パオロに公位継承権まで認めている。よほど執心の女性だったのだろう。

「スフォルツァ城」  ミラノ

レオナルド・ダ・ヴィンチ「ラ・ベル・フェロニエール」ルーヴル美術館