~野口晴哉先生語録~
2020.07.17 07:05
《野口晴哉語録より》
相手に合わせようと努めると、相手の心は無意識にそれを避ける。
調子を合わせられて喜んでいるのは相手のことが少しも判らぬ鈍感な人達だ。
そういう人達でも調子を合わせられることが度重なると、無意識にそれを避ける方向に心を向ける。
親切を見せたい気持ちは判るが、その親切の押し売りはたまらない。
骨折ったことは有り難いが、それを見せつけられるくらい厭なことはない。
だからご機嫌取りも適度にしてもらわないと、疲れてついには反対のことを言ってみたくもなる。
「どんなに努めても姑に気に入ってもらえない」とこぼした人があったが、努めているからだ。努めているご愛想は、振りまかれている相手を疲れさす。
然し、何を言うにも為すにも相手次第で、判らぬ相手には判るよう繰り返さなくてはなるまい。鈍い相手には見せつけなくてはなるまい。
だから判らぬ相手に判るように伝えようとすることはよいことだが、親切にしている自分、努めている自分を見せつけて、自分の気持ちの満足するまで繰り返しているのではないだろうか。自分の挙動について反省がいる。
人間は、そんなに鈍いものではない。頭で感じなくても息で感じ、眼で見えなくても勘で見る。
もし相手の為を計るのだったら、相手の中に飛び込んで一つにならねば相手の為には計れない。飛び込みきれないで自分を護っていたのでは、いくら努めても無駄である。
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by Hitomi スマホ