人間の構造 ~野口晴哉著作全集 第四巻~
《野口晴哉著作全集 第四巻より》
人間の構造
前文略
感情と体の変動を繋ぐものは自律神経と内分泌腺だと申しましたが、共に人間の意思で左右できないものでありますから、傷ついた感情や歪んだ体の動きは自分の意思の動きではどうにもならないものなのです。
しかし、人間は空想するということを使いこなすと、観念も感情も動かすことができるのです。
自律神経も内分泌腺も支配することができるのです。恥ずかしいの空想が顔を赤くし、怖ろしかったことを思い浮かべて蒼くなるのもその為です。手を握られて、恋しい人だと紅くなる顔が、刑事だと蒼くなるのもまた空想の媒介による為であります。
人間の感情は局部的でなく全体を見ますと、体に生きるに都合の悪い影響を惹き起こすのは、その根本に不快を感ずる時です。その基に快を感ずるものがあれば、恥ずかしいことも嬉しいことも、体を調和の方向へ誘います。
快い空想ということは健康法の頂点です。
しかし、快の空想によって快は実現できるかと言うと、できません。
体の変動や歪みが正常にならないうちは快の空想は体を不快の現実に連れ戻し易いのです。
快の空想を持続すれば歪みも硬結も消失する訳ですが、その空想には裏付けが要る訳です。
怖ろしい空想で冷や汗を出しても、目を開けばその汗も乾いてしまうでしょう。顔を紅くして目を開いて又蒼くなってしまうことなど珍しいことではないでしょう。
人間というものは外をつい見てしまって、空想の裡に長く立て籠ることができないのです。心頭減却すれば火も又涼し、ということが中々難しく実行困難な理由です。
ではどうしたら宜しいかと言えば、これを体の働きの方から働きかけることがよいということになります。
入浴の後は借金を背負っている人でも一寸忘れるでしょう。一杯飲んでいると楽しいのも、怪我をして痛いことと同じように体の働きの影響が心に及んでいるのでありまして、そのしかめた眉を開いただけでも心の中は明るくなるものです。
嬉しいと笑う、怒ると顔が緊まる。泣けば涙が出る、これらは感情の治療運動と見なすべきものです。それ故悲しいのに泣かず、涙を出さないでいると、悲しさが内向して、花の咲いたのを見ても、子供が遊んでいるのを見ても悲しくなるのです。
写真
by Hitomi スマホ