今日を整える ~野口裕介先生(ロイ先生)講義録~
≪野口裕介(通称ロイ先生)講義録より≫
今日を整える
ー忘我の研究ー
「昨日、今日、明日を整える」ということでこれまで話を進めておりますけれども、前回まで、今日を整えるということは「全生」と同じ意味であり、私はそれを「体の才を活かす」と表現したとお話しました。
そして、今日を整えるということは、「忘我」の状態に導くことだとお話ししました。
忘我というのは荘子の言葉で言えば「天籟(てんらい)を聞いている」状態なのだと言いました。天籟というのは天の笛、音のことなのですけれども、要するに天籟を聞いているというのは、いわばポカーンとしている状態のことです。
また、忘我というのは、別の表現では「無我夢中」ということでもあるともお話してきました。無我夢中というのは、ある意味でこれが一番整体的なのかもしれません。
要するに、我を忘れて何かに集注し抜いている状態ですね。まあ、無我夢中の時に自分の力を一番発揮できているわけです。
中略
その天籟を聞いているとか、無我夢中という状態を考えた時に、それはゼロに戻っている状態なのではないだろうかと私は考えます。
どういうことかと言いますと、私たちはふだん〝自分はこういう人間なのだ〟というイメージを自分自身の中に作り上げているものです。例えば、自分は内気だとか、暗いとか、人付き合いが悪いとか思っている。あるいみで自分は馬鹿だ馬鹿だと思っていると、本当にそうなってくるのです。
もっとも、私は頭がよいのだとか、社交的だとか、活発だとか思っている人もいるでしょうけれども 、そういうように自分はこういう人だと自分自身で決めてしまっているところがあります。そして、自分で決めたそれに縛られて、本来の自分というものが発揮できないでいるところがあるのです。
けれども、それが一旦ゼロに戻ると、自分の本来の力と言いますか、一番素直な、自然な力が発揮できる、そういう可能性があるのではないかと考えたわけです。
そのゼロに戻った状態を私は「元点」という言葉で表現をしています。
一旦ゼロに戻った形。その人の一番自然な状態に戻して、その人の力を発揮することに役立たせることができればよいと考えているのです。
忘我の研究の一番目が「天籟を聞く」
二番目が「無我夢中」ですけれども、三番目は「我無くして我在り」ということです。
我無くして我在りというのは私の父(野口晴哉)の文章の一節なのです。言葉だけを聞くと凄く難しいことを言っているように思われるかもしれませんが、これは私たち日本人にとってはごく普通のことなのです。
例えば柔道などですと「自然体」という言葉を使います。自然体というのは、自分の素直な心に戻って試合をするのだという意味です。なんだ簡単なことだと思われるかもしれませんが、これはこれでなかなか難しいのでして、レベルの高いことなのですよ。試合前に緊張してガチガチになって体が硬張っている人がよくありますね。そういう状態ではなかなか自分の力は発揮できない。
要するに、自然体になるということは自分を取り戻すということなのでして、構えを全部解いて、つまり柔らかく体を使えるような状態になることを言っているのです。力を全部抜いて、それから戦おうとする、その方が力を発揮できるというわけです。
中略
体を知っている私たちの目で観てみますと、そういう自然体という状態のなかに、自分で体を整えた一つの状態を観ることができるのです。別な言葉で言えば、その人の持っている体の才が全部活きる状態だと言ってもよいのです。
中略
この自然体とか、平常心とかいうのは、日本的な文化の一つの特徴だと言いましたけれども、それはたいてい自分に向かうという特徴があります。
内側に向かう。つまり自分自身との戦いみたいになってくると言いますか、的を射る場合に自分自身が乱れないように自分自身を制する、治めるわけです。何の欲も無く、無心で的を射られるような状態になるには、必ずそういう形をとります。そして、そういう感覚が或る意味で「道」というものを作り出しているのでしょう。柔道とか弓道とか茶道とか、そういうように道というものに向かっていくわけですが、それは私たちの国の文化のあり方でもあるのです。
自分の全部の力を出して生きるのだというと、何かこう張りつめた状態で力を発揮しなくてはならないとか思ってしまいがちですけれども、意識して思っていればいるほど本当は力は出てこないものなのです。
どちらかと言えば無我夢中でいる方が、我を忘れている方が却って力は出せるものなのです。
今日を整えるということは一番大事なことです。私たちの目指している「全生」という生き方には明日はない。今日しかないのです。今、自分の全部の力を出し尽くすことを全生と呼んでいるのですからね。
ともかく、今日を整えるということを目標にするのならば、やはりまず最初に考えることは、相手の自然体を誘導するということだろうと思うのです。
写真
by Hitomi デジカメ