自然との関わり合いの距離感
今回はノルディックウォーキング・ランニングとは違う与太話としてお読みください。
以前から言われてたことですが地球は緑化が進んでいます。
いろいろな要因が合わさっての結果なのですが、大きな要因は二酸化炭素の増加だそうです。
この記事を読んで最初に思ったのは、ネイチャーアクアリウムをされている方ならADAの『二酸化炭素は悪なのでしょうか?』という言葉でしょう。
ネイチャーアクアリウムとは水槽内で植物・水・土(ソイル)・岩などを使って大自然を表現する世界中に知られる日本発のアートですが、それを制作するのにどうしても植物に必要な二酸化炭素を水中に添加しなければなりません。その方法は魚からだったりもするのですが、多くの方はそれよりも二酸化炭素ボンベで水中に送り込むことをしていますし、それがスタンダードです。水草にも説明に二酸化炭素の添加が必要とか書かれて売っています。
こういうのに触れているとこの記事もすんなりと入ってくるもので、足りないと...、多すぎると...、と一般の方よりも実体験や伝聞で知っている事と思います。
こういう環境もあって個人的には、人間は植物が生きるために生み出されたもの、と思っています。
また、近年盛り上がる兆候がある「アクアポニックス(魚の飼育と植物の栽培が生態系で小スペースで循環できるもの)」なら尚の事具体例がみえるのでそう思うのではないでしょうか?
また修験の世界では自然とは畏怖するもの、として絶対的に存在しています。
それは台風や地震などの目に見えるものにではなく、本当はそれよりも絶望的に支配されている、いわば生態系の最下層に位置している事へ、ではないでしょうか?それはもしかしたら、DNAに刻まれた記憶がそうさせるのかもしれません。
この記事が結んでいる通り、何事も行き過ぎはどちらにも害がありますが、そんな事を考えながらノルディックウォーキング・ランニングするのも視点の転換で面白いのかもしれません。