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松浦信孝の読書帳

「ニューノーマル」とは何か

2020.07.17 23:44

先日、センジュ出版の吉満さんが、「文章てらこや」の同窓会をZoom上で開催して下さり、その中でひとつ、「あなたにとってのニューノーマルは何ですか」というテーマで文章を書く時間を設けてくれた。もちろん添削付き。オンライン版のミニ文章てらこやである。同じテーマで各々が自分の色の文章を書く、共有する。豊かな時間を過ごした。



ニューノーマル、この言葉、調べてみたら元々は2007〜2008の世界金融危機で用いられたビジネス用語のようだ。


今回の新型コロナで再度用いられるようになったこの言葉、なんともコマーシャル的で自分にはかなり抵抗感を抱かせるものだった。


なぜ自分は抵抗感を抱くに至ったのか。他の方の書いたものを聞いて(文章の共有は本人が朗読するスタイルだった)、自分はニューノーマルの起点をこの「新型コロナ騒動」が起きてから、に勝手に設定していたのだ。


自分のニューノーマルは恐らく2016年、読書のすすめに出会った段階で始まっていた。


見えている現象の奥底に、人間が積み上げてきた世界の本質を覗き込む姿勢。


新型コロナが現れてからも、そんなに変わった感じがしなかったのも、色々な制限が付いても、本来あるべき姿に戻っていくような感じがしていた。


切り替わったレールに景色が追いついてくるような気がしたのは、きっと既に変わっていたから。


だからこそのほのかな怒りが、この文章を書かせた。



ニューノーマル、聞き慣れない言葉である。


人と会わない、食事時は会話しない、絶叫マシーンでは叫ばない。


新しさを強調されはするが実はこれ、原点回帰のように思う。


みだりに人と馴れ合わず、自分の時間を大切にし、徒な消費とおさらばする。


出来なくなったことを挙げればキリがないが、与えられたものに目を向ければそれはひとりの時間を支え、思索に導く「ゆたか」な時間である。


そろそろ立ち止まって人類の軌跡を振り返っても良いのではないだろうか。


軌道修正を行うとしたら、今しかない。




新型コロナ予防のため、と嘯かれる対応の全てに賛同するつもりはないけれど、その事で生じた変化の意図を読み解き、自分色の解釈で華麗に生き抜く。


良くも悪くも、世界は自分の思い通りだ。ひとつの現象に、解釈という形で色を付けるのはいつだって自分一人。


先入観を捨てて、新たな時代を創造しよう。


これが自分の、ニューノーマル。