市長自殺事件の深い闇・加害者に漏れた告発情報
韓国という国が、まっとうな社会ではないことを改めて思い知らされる。
朴元淳ソウル市長を自殺に駆り立てる引き金となったのは、市長からセクハラ被害を受けた元女性秘書の警察への告訴であることは間違いない。その警察への告発がなぜ、どのようにして被疑者本人の耳に届いたのだろうか。被疑者が自死を選択することによって、本人の証言による真実の解明と謝罪は不可能となり、被害者の心の救済は残酷にも永遠に失われることになった。
被害者側の弁護士と性暴力被害者を支援する女性団体が13日、記者会見を開いて、セクハラ被害の一端と警察への告訴の経緯を明らかにした。
それによると、被害者が弁護士と一緒に警察を訪れ、業務上威力による性的嫌がらせ、強制わいせつの容疑で告発状を提出したのは7月8日午後4時半。その後、翌日未明2時半まで10時間に及ぶ事情聴取を受けた。弁護士は、被疑者の証拠隠滅を防ぐためには、市長の携帯電話を差し押さえ、ソウル市役所秘書室の家宅捜索を行うのが第一だと主張し、捜査状況の公開禁止と情報の漏洩防止を求めたという。そしてその後の事情聴取は、複数回に分けて行うより、一度に一挙に済ませるほうが、情報が漏れるリスクな少ないということで、深夜未明に及ぶ長時間の聴取に応じたのだという。
しかし、そうして事情聴取を受けている間に、ソウル市役所と市長側には、捜査状況と告発内容が逐一伝えられていた可能性がある。告発を受理した数時間後には、朴市長が身辺整理を始めたとする状況証拠があるという。
<朝鮮日報7/14「警察『青瓦台に告訴事実報告』…青瓦台は「朴元淳氏に知らせたことはない」>
さらに左派系のハンギョレ新聞によると「告訴したことが確認された8日夜、パク市長の最側近たちは一堂に会して対策会議を行ったという。ソウル市ジェンダー特別補佐官などが出席したこの席では、市長職辞任の必要性などが議論されたという」。
<ハンギョレ新聞7/10「パク・ウォンスン市長はなぜ死を選んだのか?」>
「ジェンダー特別補佐官」とは、セクハラ問題を担当する専門職として朴市長が設立し、任命したポストだが、そのジェンダー特別補佐官のイム・スニョン氏が、中央日報に対して語ったところによると「8日午後3時ごろ、朴前市長に関連して周りから『かんばしくないことがあるから朴前市長に確認してみなさい』と言われて朴前市長に会いに行った」とし、「かんばしくないこととは何か尋ねたところ、朴前市長は『日程上忙しいから後ほど話そう』といってごまかした」と明かしている。つまり8日午後3時の時点で、告発の情報は市役所内を駆け巡っていたことになる。
<中央日報7/15「朴元淳ソウル市長、告訴状を提出する前に被告訴事実を知っていた」>
秘書室にはソウル警察庁から出向した「治安協力官」1人と「出入り情報官」2人が派遣されていて、警察情報はそのルートを通じて流れたのではないかという憶測もある。」
つまりは、被害者からの聴取内容は逐一、朴市長に伝えられ、証拠隠滅を図る十分な時間的余裕が与えられていたことになる。警察が告訴を受理した状況は当日の8日夕、ソウル地方警察庁→警察庁生活安全局→大統領府国政状況室に報告されたという。青瓦台がこの種の報告を受けることは、「大統領秘書室の職制規定上、重要な事件・事故が起きた場合、行政府は青瓦台に報告することになっている」ため、問題はない。そして、警察も青瓦台も、朴市長に直接情報を伝えたことはないと否定している。
この日の記者会見に同席した韓国性暴力相談所のイ・ミギョン所長は、「告訴と同時に被疑者の朴市長には、ある種の経路で捜査状況が伝わった。ソウル市長という地位にある人物には本格的な捜査が始まる前にも証拠隠滅の機会が与えられることを目にした。こんな状況で誰が国家システムを信じ、威力による性暴力被害事実を告発することができるだろうか」と疑問を投げ掛けた。
一般的に、性暴力事件は告訴事実と被害者の身元は徹底的に秘匿される。被害調書も仮名で作成し、身元情報の管理は別に行うという。被疑者は捜査機関から出頭要求があるまで、自身が告訴された事実を知る方法はない。これは加害者が被害者を事前に懐柔、脅迫したり、証拠を隠滅したりする可能性をなくすためだ。
被害者側も13日の記者会見で、「情報の漏洩を恐れて、遅い時間まで一度に聴取を終えることを選んだ」と説明した。被害者側は「ソウル市長」という強い地位にある朴市長が告訴事実を知り、事前に動く可能性を懸念していたからだ。
それにも関わらず、被害者の告発と捜査内容が漏れた。権力者側は、情報をいち早く、そのすべてを一手に握ることで、不利な状況に対しては対抗手段を講じることができ、状況を覆すためにさまざまな権限を行使することができる。権力者が権力者たる所以(ゆえん)でもある。
被疑者の死亡によって、警察は「公訴権なし」として、業務上威力による性的嫌がらせ、強制わいせつの容疑に関する捜査は早々に終結を宣言した。
しかし、朴市長側に告訴の事実が漏れた疑惑については、公務上の秘密漏えいなどの疑いで検察の捜査の手が入ることになった。最高検察庁にあたる大検察庁が16日、大統領府青瓦台やソウル市庁の関係者に対する秘密漏洩の告発4件について、ソウル中央地方検察庁に捜査を移管し、ソウル中央地検が担当検事を指定して直接捜査を行うか、警察の捜査を指揮することになったからだ。
公務上の秘密漏洩について、かつて市長選立候補を朴元淳氏と争ったことがある「国民の党」の安哲秀(アン・チョルス)代表は、「警察や青瓦台が告訴の事実を朴市長に知らせ、事件を隠ぺいするための準備の時間を与えたとしたら、国家の根本が崩壊したということだ」として、朴槿恵(パク・クネ)前政権での崔順実(チェ・スンシル)スキャンダルよりも深刻な国政介入事件だと指摘している。朴槿恵前大統領の弾劾は、閣僚会議で述べた内容などが民間人の崔順実氏に流れていたという公務上秘密漏洩の疑惑がきっかけだった。
<KBSワールドラジオ7/14「朴元淳ソウル市長に対する情報漏えい疑惑 検察が捜査へ」>
一方、国家人権委員会も今回の朴市長に対するセクハラ被害の告発と捜査状況の漏洩に関して、市民団体の陳情を受け、国家機関や地方自治体による人権侵害が発生した可能性がないかどうか、公式調査の手続きに入り、被害者の救済に当たるという。
<KBSワールドラジオ7/15「国家人権委員会、前ソウル市長のセクハラ疑惑の調査着手へ」>
元女性秘書の警察への告発を知ってからの、朴元淳市長の自殺に至る経過をまとめておこう。
告発があった日の8日夜8~9時には、知人と会食していて、この時は朴市長の表情などには普段と何の変わりもなかったという。ところが翌日朝は、朝の会食の予定をキャンセルし、10時過ぎには、「本日は体調不良のため登庁せず」という発表があった。そして10時44分、家族に当てた遺書を残し、登山服姿で市長公邸を出た。実はこの直前の10時10分、公邸を出るコ・ハンソク秘書室長の姿が監視カメラに捉えられていて、生前の最後に会っていたのは秘書室長であることが分かっている。2人はこの日の午後1時39分には電話での会話もしている。
朴市長の娘から「父親が遺言のような言葉を残して4~5時間前に家を出た。携帯電話の電源が切られている」との通報が警察にあったのは9日午後5時すぎ。警察は、最後に携帯電話の信号が確認されたソウル市北部の山中を中心に警察犬やドローンも使って大規模な捜索を行ったというが、遺体が見つかったのは10日午前0時すぎ。遺体が収容された、死亡が確認されたのは、午前2時過ぎだという。
遺体が見つかった場所は、北岳山(高さ342m)の東側、城壁の北門・粛靖門(ソクチョンムン)の近くだった。ここがどこかと言えば、大統領青瓦台のすぐ後ろの裏山で、粛靖門を含めて城壁をめぐるツアーもあるが、外国人が立ち入るためは今でもパスポートの申告が必要で、あちこちに監視カメラが作動している完全統制地域だ。
家を出たあと、家族から警察に通報があるまで6時間、警察の捜索開始から遺体発見まで同じく6時間かかっているが、至るところにある監視カメラでもっと早くその姿は捉えられたのではないかという疑問が残る。
警察は、朴市長が死亡時に所持していた携帯電話(iPhone)1台の通話記録を確保し、そこから朴市長が最後に通話をした相手は丁世均国務総理だとも言われている。
朴市長には警察が確保したiPhoneのほかに、個人名義の携帯電話2台があり、警察はこれら個人用携帯電話の通話記録照会令状を14日になって申請しているが、電話の所在も把握できていない状況だという。
<朝鮮日報7/16「『告訴事実流出』の容疑者が被害者を調べてもよいのか」>
ところで聯合通信が「ソウル市長が行方不明 娘が通報=警察が捜索中」という速報を伝えたのは9日18時59分。「ソウル市長 遺体で発見」という速報は10日0時40分だった。さらに「ソウル市長 遺体で発見=自殺か」という続報の中で「朴市長は、市長室で働いていた元秘書からセクハラの容疑で告訴されていたことが分かった。元秘書は8日、警察に告訴状を提出したとされる」と報じたのは午前1時30分だった。興味深いのは、市長が行方不明と報じられていた段階で、メディアだけではなく、汝矣島の国会周辺のシンクタンクなどにも、前日に警察へ告発があった事実とセクハラの中身に関する具体的な情報も、文書として出回っていたことだ。仮に朴市長が命を絶ったのが9日の夜遅くで、それまでに行方の分からない携帯電話で連絡を取っていたとすると、そうした状況は本人にも伝わっていた可能性がある。
彼が死ぬまでの間に何があり、こちらのメディアが「極端な選択」と表現する自殺へ、彼の肩を最後に押したのは誰なのか、という陰謀論が囁かれるのも無理はない。
朴元淳ソウル市長を支えてきた与党左派系ハンギョレ新聞は以下のように報じる
(引用)「(朴市長は)2018年にはソウル市に女性政策を総括補佐するジェンダー特補を置き、性暴力を予防し、被害者を保護するための女性権益担当官を新設するなど、女性問題に関して積極的な行動を示してきた。昨年4月には、市庁舎で開かれたセクハラ予防教育に出席し、(中略)ソウル市の公務員に性認知の感受性を高めるよう訴えていた。
このように献身と道徳性に基づき、市民社会団体出身の代表的な民主陣営の政治家として浮上したが、自らが強調してきた価値や言動とは正反対の性暴力疑惑が膨らんだかたちだ。(中略)結局、言行不一致による社会的指弾などが予想される中、パク市長は悩んだ末、遂には自ら命を絶った可能性が高いと見られる。
被害者への謝罪や市長辞任など、正攻法に近い解決策も考えていたと見られる。(中略)しかし、3選のソウル市長であり、有力な大統領選候補だったパク市長は、大衆の前で世論と法の審判を受けるのではなく、自ら命を絶つことを選んだ。>(引用終わり)
その「極端な選択」が、「正しい選択」でも「最善の選択」でもなく「最悪の選択」だったことは、後世の人々が証明し、目撃することになるだろう。