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夏目漱石「二百十日」の世界

2020.07.19 07:14

https://www.aso-denku.jp/event/2019/08/14099/  【9月1日(日)開催!第4回夏目漱石と阿蘇火山に関するジオツアー&講演会】  より

みなさまこんにちは!道の駅阿蘇のVitz Ayakaです。

今週末は阿蘇市内でいろいろなイベントが行われますね!

明日、18日(日)に開催される「大阿蘇火の山まつり」、「Eバイク(電動自転車)試乗会」は、いずれも阿蘇市内牧支所周辺で行われます。当日参加もOKですので、ぜひお越しください。

さて、今回は、9月1日(日)に開催される「熊本地震阿蘇復興祈願 夏目漱石小説『二百十日』にみる阿蘇火山に関するジオツアーと講演会(第4回)」のご紹介です。

こちらの企画は阿蘇ジオパークガイド協会「夏目漱石と阿蘇・実行委員会」主催で毎年この時期に開催されています。

ご存知の方も多いかと思いますが、夏目漱石の小説『二百十日』は阿蘇が舞台となっています。

この小説を書くために漱石自身も阿蘇に来て登山を行ったようです。

実は、漱石が阿蘇に来た時期は、中岳火口の噴火活動が活発だったようで、先日発生した小規模噴火とは比べものにならない程の規模だったそうです。

そんな中、漱石は降灰や強風に見舞われながら登山に向かい、その実体験が『二百十日』の小説全体を通じて反映されています。

そして、今回の企画では、阿蘇市内の夏目漱石ゆかりの地を訪れたり、夏目漱石の作品について学べたりできる内容となっています。

何度も調査や下見を繰り返して作られた散策コースをぜひお楽しみください♪


http://www.aso-geopark.jp/news/index.cgi?mode=dsp&no=404【夏目漱石 小説「二百十日」にみる 阿蘇火山に関するジオツアーと講演会(第3回)】

熊本地震阿蘇復興祈願イベント

夏目漱石 小説「二百十日」にみる 阿蘇火山に関するジオツアーと講演会(第3回)

日程:平成30年9月1日(土)

申込先:090-3037-1150(山本俊夫)

<内容>

★ 漱石ゆかりのミニジオツアー 

時間:  10:00~12:00 

参加費: 300円(保険代・資料代)

※阿蘇ジオパークガイドがご案内します♪(^^)

★ 漱石弁当 1500円 (昼食希望の方は同時受付)

★ 講演会

演題: 「須藤靖明先生と阿蘇火山」

講師:  島村 史孝 氏(元西日本新聞阿蘇支局長)

時間:  13:20~14:20(受付開始12:30)

参加費: 500円(資料代)

会場:  山王閣(内牧温泉)〒869-2301 熊本県阿蘇市内牧482-2

※講演会後、14:30~16:00まで、同会場にて第2回「二百十日」俳句大会が企画されておりますので、ご興味のある方は是非ご参加ください♪(^^)

夏目漱石の短編小説「二百十日」の舞台は阿蘇です。明治32年の夏には、内牧温泉に宿泊、阿蘇神社を参拝し阿蘇中岳登山を試みました。漱石は、明治29年4月に旧制第五高等学校の英語教師として赴任しました。2年前の明治27年8月から翌年まで阿蘇大地震が二度も襲いました。また、時期を同じくして中岳も大噴火。平成27年の噴火規模の数倍だったと言われています。噴火活動真っ只中を降灰や強風に悩まされながらの登山は、小説から想像できます。

ここ数年、自然災害に見舞われた阿蘇を、夏目漱石の目を通して改めて見つめます。

主催:阿蘇ジオパークガイド協会「夏目漱石と阿蘇 実行委員会」


https://kumamoto.guide/look/terakoya/155.html

【No.155 「夏目漱石「二百十日」の世界」】講師/熊本日日新聞社編集委員 井上智重 氏

夏目漱石が「二百十日」を発表して100年を迎える今年、舞台となった阿蘇をはじめ、熊本の各地であらためて漱石と作品世界が関心を呼んでいます。そこから意外な側面や新たな発見が生まれることで、漱石に対する愛情、ふるさとに寄せる愛着がさらに深まっています。そしてふるさとのこれからの100年を考えるきっかけになれば、と阿蘇に記者として4年間勤務された井上さんにご講話をいただきました。

二百十日の不思議 コースについての謎?

夏目漱石の小説「二百十日」は、「草枕」に比べると短く、読めばわかるという感じがあり、これまで研究者はあまり詳しく調べていませんでした。しかし、実は不思議でわからないことがたくさんあります。  まず、戸下温泉に漱石は五高の同僚山川信次郎と泊まっていますが、その宿はどこか。長野一誠という人物がいます。長野は阿蘇南郷地方の産業・地域開発に努め、代議士にもなります。五高ができる時には多額の寄付をしています。  二人はたぶん、長野を頼って戸下の別邸に泊まったものと思われます。長野は国権党です。「草枕」の舞台となっている前田家別邸の当主、前田案山子も国権党です。山川あっての「草枕」の前田ですし、また「二百十日」の旅行の段取りもすべて山川が考えたと見て間違いありません。  熊本時代、漱石は多くの俳句を残しています。後年作ることになる小説は、構成しなおすなど後から「つくるもの」ですが、俳句はその場その場でその時のことを素直に詠んでいます。ですから、俳句を見ていけば大体歩いた道筋や日にちがわかります。  それでは、なぜ漱石と山川はあのコースを通ったのでしょう?  戸下か栃木、地獄を通って阿蘇山上に登るのが距離的にも近いし、普通です。国木田独歩も五足の靴のメンバーもそうでした。ところが、漱石たちはわざわざ内牧に回っています。一高教授に転出する山川信次郎にとってゆっくりする時間的なゆとりはなかったはずです。それにもかかわらず、なぜ回り道をしたのか?答えは簡単です。実はそのちょっと前に集中豪雨があり、登山道が壊れていて戸下からは登れなかったからです。

武蔵と漱石の接点

 「顕彰本・宮本武蔵」という本があります。これが吉川英治をはじめとする「宮本武蔵」のネタ本になっているのですが、その刊行を企画したのが先の長野です。また武蔵の「五輪書」写本は、実はあの草枕の前田家にありました。その後事情があって細川家(永青文庫)に移っていきます。そして、漱石も武蔵に関心を持っていました。それは今日のような吉川英治の描く武蔵像とは違うもので、草枕の世界と宮本武蔵の世界は近いものがあると思います。

阿蘇山に登った日はいつ?

「二百十日」の阿蘇神社は山上神社のイメージが強いようです。当時、阿蘇神社前は門前町のようで、娼婦もいて、客引きをしていました。漱石はそんなことは書いていないし、もし夜にそこを歩いていれば袖を引っ張られたでしょう。漱石は内牧から宮地まで馬車で通ったと思います。そして阿蘇神社境内でぽつりと雨…。漱石はそこで三句詠んでいます。それでは阿蘇山に登った日はいつかという問題になります。  阿蘇神社の当時の社務所日誌を読んで見ますと、明治32(1899)年8月30・31日は「美晴」と書いてあります。9月1日は天候の記述がありません。月初祭で忙しかったのでしょう。2日は「強風、午後美晴」となっています。つまり9月1日から2日にかけて前線が通ったのでしょう。それと俳句とを照らし合わせると漱石が阿蘇山に登ったのは9月1日と断定して間違いないと思います。

なぜ書いたのか?

「二百十日」は何かわびしく、寒い感じがします。漱石はなにか心細さを感じていたのではないでしょうか。冒頭で寺の鉦、鍛冶屋の音を聴きますが、明治はじめの江戸人の感覚を素直に表しているのだと思います。一方で、ビール=恵比寿、さらに半熟卵というのは西洋文明的です。これはパンに半熟卵という、ロンドン滞在のときの漱石の習慣でしょう。   「坊ちゃん」は小説の舞台が松山であることから、松山の物語とされていますが、内容は五高の人間関係だと思います。山嵐が黒本稼堂、うらなりが浅井栄煕、そして坊ちゃんは漱石かというと、これはそうではなくて漱石は赤シャツです。漱石は自分の中にある西洋文明のいやなところもちゃんと認識し受け止めている、そういう偉さが漱石にはありました。そして、客観的に自分を見つめるというのが近代的な文学の手法です。そういう意味で言えば、「草枕」と「二百十日」は別々の物語ではなく、実は熊本を舞台にしたひとつの物語であるということもいえると思います。  「草枕」、「二百十日」の100周年を迎えるこの機会に二つの作品世界を読み、あなたが100年後の漱石になってゆっくりその舞台を訪ねてみるのも一興でしょう。