“意識高い系”はビジネスの基本である
【ビジネス論説】 巷で“意識高い系”が揶揄されている感がある。結論から伝えれば、これはやっかみ(嫉妬)に近い気がする。彼等は、企業家精神の基をもっているだけだ。ビジネスの基本は、理念や目標設定にある。演繹法ではなく、帰納法が初期に重要だ。“意識高い系”と呼ばれる者を、否定する者やからかう者に上場企業の取締役はいない。否定者やからかい者は、ビジネス敗者なのでは?
<二十代は高い目標設定が必要>
“意識高い系”と呼ばれる者は、二十代であるコトが多い模様だ。ところで、意識が低い者が楽天<4755.T1>やサイバーエージェント<4751.T1>、ライブドア(当時)、gumi<3903.T1>等を起こせるのであろうか。企業家精神(アントレプレナ シップ)なくば、起業を実現し成功する術はないだろう。
1.勘違い的にみえる意識の高さ
2.目標が定まる迄、右往左往する
3.何がしたいか、色んな人やビジネスをみて解ってきた
4.実現させる為に失敗を重ねる
5.失敗しない方法を、とうとう見つける
いわゆる“意識高い系”が上手くいった場合の流れだ。
1.無難にそつなくこなす意識の低さ
2.目標は、安定的な月収
3.プライベートを大事にし、仕事に余計な熱量は入れない
4.いくつになっても同じ様なコトを繰り返している
5.大きな失敗はせず、大きな成功もせず、自身が何者か不明になる
いわゆる“意識低い系”が上手くいった場合の流れだ。
<成長したら“意識高い系”ではない?>
さて、これらを裏付ける記事『職場にはびこる「意識高い系」という名の病/東洋経済』があったので、引用したい。
| 常見:なるほど。成長してしまったら、一条くんも「意識高い系」じゃなくなりますもんね。 河原:そうなんです。だから、まず彼は主人公にはなりません。
どうやら、成長しない前提が“意識高い系”の筋。然しながら、こちらは論理矛盾である。意識が低い者が上場企業の取締役になれないワケではない。強いて云うなれば、現実世界に重きを置く上場企業群は、意識が低めの方が取締役に成り易い感がある。一方、イノベーションを有すベンチャ企業には、高い意識が必要だ。当該記事は、ベンチャ企業を省いているのか。
次に確定的要素。
| 河原:現実の「意識高い系」と言われる人たちは他人を批判することもあると思います。でも、一条くんには絶対にそれをさせませんでした。そこは全話貫き通しました。 東田:一条くんは愛すべきバカですね。
この文の前には、「嫌われないよう」「嫌なやつ」という文言がある。彼等にとって“意識高い系”は嫌な奴であり、バカなのだ。では、その彼等は誰なのであろうか。現状の調査では、企業戦士が多く、取締役や株主には斯様な発言をする方はいない。よって推論できるコトは、社内を前提に生きる者の揶揄的な表現が“意識高い系”なのではないだろうか。
トヨタ自動車<7203.T1>の代取である豊田章男が、高い意識で売上高の前年比増やMIRAIみたいな新車構想を発表しても大丈夫なのであろう。彼には職業人としての確かな経験があるからか。“意識高い系”は二十代に多い模様。まさか彼等に豊田と同じ経験や論理を求めているワケではあるまい。ここからが本質だ。
<教える人間が少ない問題>
やる気が薄い人間が多い中で、アツい人間が“意識高い系”であるとしよう。しかし熱だけある彼等を具体的に指導する者がいなければ、いっぱしのビジネスマンには成れない。情熱だけで空回りする。さて彼等の周りに指導できる者はいるだろうか?答えはベンチャを立ち上げ、成功させた者の近くに行くコトだ。彼等を揶揄する者は、ベンチャを立ち上げ成功させたのであろうか。大方、企業戦士であろう。
自身が出来なかったからといって、彼等が出来ないと決して判断してはならない。自身の器が彼等の器ではない。悪なき追求を行った者だけが、成功する。揶揄する者は、自身で勝手に諦めただけだ。そんな落後者が彼等を揶揄するコトに、疑問を覚える。“意識高い系”と呼ばれる者よ、周りの意見が参考になるかどうかは仕事と財産をみよ。周りにいなくば、探す。