【社長通信】コロナ禍のなかで
新型コロナウイルスの収束が見通せない中で追い打ちをかけるように梅雨前線が日本列島を覆う。
7月に入り3日以降14日まで続いた雨は記録的な長雨となった。
今年の梅雨前線は南からの太平洋高気圧と北からのオホーツク海高気圧に挟まれて動けず、日本列島に居座り局地的な豪雨が各地に甚大な被害をもたらした。私のウォーキングコースとなっている仁保川沿いも堤防が崩れて通行止めとなった。
2年前の九州北部豪雨の被災からの復興が道半ばなのに、この度の豪雨災害である。
それに被害の度合いも年々激甚化している。
その基は地球の温暖化といわれ、その防止対策の柱である「パリ協定」が主要国の覇権争いで機能不全に陥っている。その人間の愚かさをあざ笑うかのように、自然が猛威を振るっているように私には見えるのだが・・・。
そんな中、私はふる里山形へ帰ってきた。
子どものころからお世話になった義兄を見送るためである。こういう訃報は突然やってくるので慌ててしまう。
コロナ禍で交通手段も限られ、お通夜の時間から逆算して取れたのは新幹線と在来線を乗り継いでの11時間30分かけての長旅だった。
学生の頃、帰省するときによく乗った上野発夜行列車と重ね合わせて、さまざまなことを想起していた。最終盤に在来線の車窓から雨に煙る濁流が見えてきた時には胸がキュンとした。最上川は今まさに旬で「五月雨を 集めてはやし 最上川」だった。
2年ぶりのふる里はいつにもまして静かに感じられた。駅から通りを見ると、傘を差しマスクをした通学の高校生が三々五々家路を急いでいた。駅前にタクシーはあるものの運転手の姿が見えず、遠くに見える営業所まで小雨のなか、手荷物を引きずって歩いた。子どもの頃の賑わいが嘘のような過疎の街をしんみりと受け入れた。
全国的に地方の衰退がいわれているが、かつて穀倉地帯といわれたふる里・庄内も高齢化が進み、後継者の有無が大きな課題となっているという。かつて、長者といわれた豪農も後継ぎがいなく田畑を手放して日雇いをしているという同級生の話は聞きたくなかった。
一方、以前は目立たなかった農家が、働き者の娘婿を得て農地を増やしているという話も聞いた。
歴史は繰り返す。
”祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらは(わ)す。”
平家物語の一説を思い描いていた。
3日間とも雨模様で心の中にあるふる里の山を拝めなかったのが心残りだった。
北は鳥海、南は月山といわれ庄内平野を囲むようにそびえていた。鳥海山は秋田との県境にあり冬、吹雪が止んだ後の朝焼けにキラキラ輝くさまは本当に神々しかった。南に仰ぎ見る月山は、羽黒山、湯殿山とあわせ出羽三山といわれ信仰の山である。芥川賞を受賞した森敦の作品「月山」はふる里の風土そのものが詰まった、私の心のバイブルでもある。
ふる里の記憶に紙数が尽きたが、間もなく梅雨も明け、夏本番を迎える。コロナと折り合いをつけて暑さを乗りこえよう。
「一味同心」新しい仲間も増えてきた。心を通わせ、知恵を絞って、生きづらい世を楽しく生きよう。
代表取締役 加藤慶昭
(7月16日記す)