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大東流合気柔術 天山道場

基本稽古の難しさ

2016.06.05 08:59

基本稽古の目的は、身体をつくり感覚を磨き理合いを理解し身につける事にあります。

動きは至ってシンプルで単純、だからこそ難解だともいえます。

力を用いず、ひたすら地味な型稽古を繰り返して大東流向きの身体をつくっていきます。

ただ力を用いないというのはとっても厄介なもので、手応えがないとどうしてもやった気がせず、最初のうちは何が正解で何が間違っているのか指摘されても理解できず、いったいこれがなんの役に立つのか?と疑問だらけで全くわからなかったりするものです。


大東流の稽古は、普通に思うスポーツや武道のスタートラインより遥か下から始めているという認識を持つ事が大切だと思います。

そうやって型稽古を繰り返し身体を練っていくうちに、力を用いない新たな手応え感ができてきます。


天山道場の大東流の基本稽古は、中国拳法でいえば錬功法みたいなものだと思うとしっくりくるかも知れません。


問題はその単純で力感のない稽古にどこまでメンタルが耐えられるか?です。



映画「ベストキッド」で主人公の少年が師匠から、意味がわからない稽古をひたすらやらされるシーンがありますが、武道の稽古とは往々にしてそういったものです。

身体ができてくるまで説明しても理解できなかったりしますし、とにかく繰り返し練習をさせ、もしそれに耐えられないようであれば、その人にはそもそも習得は無理であると判断します。


何のためにこの稽古をやるのか?等、何も言わずにひたすらやらせる理由は、いくら説明しても身体ができないと使えませんし理解もできません。


また理合いを説明するということは会社でいえば苦労して開発した、会社の屋台骨に影響を与える大切なマル秘特許を教えるようなものです。


そんな重要なものを、腰かけ程度で入社し、まともに仕事もしなような社員に教えるわけがありません(笑)


だから普通は途中で辞めるかどうか見極めがつかない人に、最初から簡単には教えられない道理でもあります。


そういう面白くない稽古でも楽しんで続けられる人というのは、もしかしたらすごい才能の持ち主かもしれませんね。


天山道場は道場と銘打ってはいますが、どちらかと言えばサークル的な趣を目指していますので、師匠と弟子、などという堅苦しい関係はできるだけ排し、お互い研究し合う仲間というつもりで稽古していますので、一般的な道場と違い最初から説明しながら稽古します。


と言っても私が理解している範囲だけなので、深奥には程遠くはありますが、そもそも武道に終わりは無いものです。

参加者ともども、一生楽しめたらいいかな、と思っています。