みんなが知っている阿蘇は不思議がいっぱいの山です
http://p-diary.com/chouaso.htm 【みんなが知っている阿蘇は不思議がいっぱいの山です】
より
火の山阿蘇は・・・・
火の山阿蘇は、世界的にも最大級のカルデラを持つ火山として有名です。
今から約27万年前、大噴火が起き、大量の火砕流が九州各地を流れ下り、その中の一部は瀬戸内海を超えて、対岸の山口県まで達し、そのまま日本海側にも到達した跡が発見されています。
また、高千穂峡、蘇陽峡、内大臣峡などの断崖もこれらが堆積したものです。
また関東から九州へ、西南日本を縦断する大断層の中央構造線は、ここ阿蘇にも通っていると言われています。
そして九州中部の大地は南北に伸びており、引っ張りによる断層が発達し、 阿蘇山や九重連山 のマグマの通り道をつくっていると考えられています。
その巨大な阿蘇のエネルギーは、太古の時より人類の英知を超えて、人々の日々の生活に多くの影響を与え続けています。
それは、数々の神話や伝説に見る事が出来、今なお新しいパワースポットが発見されています。
地下に蠢き、そして湧き上がる大地のエネルギーが、数々の不思議な現象を起こしていると思います。
たとえば、健磐龍命(たけいわたつのみこと)の神話の数々や、UFO飛来説、邪馬台国阿蘇説、ペトログラフ、数々のパワースポットなど、阿蘇は不思議・謎・スピリチュアルがいっぱいです。
名付けて「超阿蘇」
このページは、その不思議の数々の事例の中から、気になるケースを選んで掲載しています。
なお内容に関しては、勝手な独断と偏見で編集しいてますので、悪しからず。
★南阿蘇村吉岡地区は、もともと地表から水蒸気などが噴出する噴気活動が盛んな地域でしたが、2006年10月「泥火山」として突如噴火が始まりました。今でも、すごい勢いで、水蒸気を噴き出し続けています。
★南阿蘇村沢津野地区の「長陽F遺跡」には、今から約12000年前の縄文時代から、弥生時代中頃(約2000年前)までの、人々の生活の跡とみられる遺物が多数見つかっています。
熊本地震の七不思議・阿蘇版
2016年4月14日と16日の、まさかの二度の強震に襲われた熊本県。
我が家も半壊、解体の憂き目にあいました。
現在(2017年4月)は、仮設住宅で暮らしながら、生活再建に向けての日々を送っています。
阿蘇の大地を大きく傷つけた熊本地震。
地震後に身の回りに色々不思議な出来事が起きていた。
その幾つかをここに書き出し「熊本地震の七不思議-阿蘇版」とします。
なお内容に関しては、独断と偏見で書いていますので、異議申し立てはお断りします。
1【神様が身代わりに】
今回の地震で一番不思議だったのは、阿蘇神社は倒壊したが、周りの民家は無傷だった。
門前町の民家は、築年も古く昔の家が多いいが、なぜ倒壊せず、阿蘇神社だけ被害にあったのか。もしかしたら神様が、住民の身代わりになったのでは。
と思いながら倒壊した姿を見ると、涙が出てきた。
2【橋が先か、山が先か】
阿蘇大橋の落下は、山が崩落して橋はその土砂に流された。と言うのが定番になっているが、地震発生時、近くのコンビニにいた店員やお客の話では、最初に「バギバギ」と音がして、その後「ゴー」と言う音を聞いた。
と言う事は最初に橋が落下して、その直後山が崩落したのではないか。
3【緩やかな傾斜なのにナゼ崩壊】
京大火山研究所の丘の崩落で、高野台団地で犠牲者が出た。
体育館であった説明会での、熊本大学の教授の話によると、「この丘の傾斜は緩やかなので、なぜ崩落したのかわからない」そういえば急斜面の山で崩落が多数発生しているが、
ここは以前は散歩で登り降り出来るぐらい緩やかだった。
4【この湧水池だけが枯れた】
南阿蘇は白川水源を始め、小さな湧水水源がたくさんあるが、地震後、塩井社神社湧水だけが枯れてしまった。なぜここだけが湧水が出なくなったのか?。
5【山が鳴いた】
災害が発生する直前に、何らかの前兆現象が起きる。
「変な臭がした」「崖から水が湧きでた」「小石がパラパラと落ちてきた」「井戸の水が濁った」などだが、今回ある地区の人達が、地震が起きる前に「山が鳴いた。今まで聞いたことがない音」を聞いたそうだ。
でも不思議なことに、ここの地区は被害がなかった。
6【あの神話を現代人が体験】
神代の話では、健磐龍命(たけいわたつのみこと)が、外輪山を蹴って壊し、阿蘇のカルデラ湖の水を抜いた。
そこが今の立野地区だ。
アカデミックに考えれば、有史以前に立野で活断層による地震が起きて、外輪山の一部が崩落した。
今の「立野火口瀬」と言われる所だ。
そして今回、我々現代人が体験した熊本地震だった。
被害はここに集中している。
やはり神話には、元となったその史実が、隠されているのでは?
7【すぐ身近に奇跡が】
地震発生時、我が家があるペンション村には、三十数人の住民と20台の乗用車があったが、ケガ人や車への被害がなかった。
倒壊した建物・電柱や、崩落した土地・道路の被害状況からして、これは奇跡だと思う。
皆んな無事でよかった。