「宇田川源流」【土曜日のエロ】 セックス依存症はセックスによって人生が壊されて行ってしまうという大きな問題の「土曜日のエロ的解決策」
「宇田川源流」【土曜日のエロ】 セックス依存症はセックスによって人生が壊されて行ってしまうという大きな問題の「土曜日のエロ的解決策」
土曜日のエロの日になった。本当にこの土曜日といいうのは好きなことを書くことができてなかなか楽しい。
この7月には「陰謀渦巻く世界情勢の中であなたが生き残る方法」というオンラインサロンをDMMのプラットフォームで立ち上げた。(https://lounge.dmm.com/detail/2838/)
まあ、この中では情報をしっかりと書くようにしている。まあ、7月は「情報とは何か」をテーマに行ってきた。
そもそも、日本人は情報というものが何かをわかっていない。もちろん情報という単語自体が明治時代にできた言葉であり、そこまではあまり情報ということを意識していることも少なかった。意識しないでも生きて行けたのである。日本はそれだけ豊かな国であり、なおかつ、それで生活ができるような自由な国なのである。
それなのに、自殺をしてしまう人がいる。先週の土曜日、三浦春馬さんという俳優が自殺した。まあ、自殺というのは、何らかのしがらみから自分を抜けさせたいと思っている人がするもので、それが、やりすぎて「この世」ともしがらみを切ってしまうという感じになてしまっているのである。いい役者であるから残念であるが、しかし、我々テレビのこちら側にいる人からすれば、本人の悩んでいるところまでわかるものではないし、また相談に乗れるものではない。
しかし、自殺などは本来するものではない。建前ではそのように書くのであるが、では実際、「死」というものが一体何なのか、また「生きる」ということが一体何なのか、そのことをしっかりと説明できるのかといえば、なかなかうまくゆけるものではないのである。
ある意味で「エロ」は「性」によって「生」を生み出すことである。しかし、「自殺」とは、自分で「生」を「消す」ことなのである。そのあとに残るものは何なのであろうか。
セックス依存症は″死に至る病″…当事者が深刻な影響を解説
18日深夜、『カンニング竹山の土曜The NIGHT』(ABEMA)が放送され「セックス依存症」による深刻な影響が解説された。
番組では「あなたもセックス依存症かも!? 当事者が語る苦しみと治療法」と題して、セックス依存症の当事者で漫画『セックス依存症になりました。』の著者、津島隆太氏をゲストに招いて話を訊いた。
具体的にどのような人が「セックス依存症」なのか、境界線がわからないと竹山が首をひねっていると、津島氏はお酒にたとえて「お酒がただ好きな人と、アルコール依存症の人は違いますよね?」とコメント。
セックス依存症になると「どんどんと人生が壊れていってしまう」と語る津島氏。仕事をおざなりにしてしまったり、人間関係の破綻、不倫や性犯罪で人生を台無しにするといったことが起きても「わかっていてもやめられない」の状態になってしまうのが、セックス依存症なのだと説明をした。
竹山はアルコール依存症や薬物依存症について「最終的に待っているのは死」という話を以前に聞いたとして「セックス依存症はセックスで死ぬんですか?」と問いかけると、津島氏は「死にます」と即答。
竹山は「死ぬの!?」と驚愕したが、津島氏は「セックス依存症も『死に至る病』と言われています。依存症で仕事や家庭を失いますよね? それで人生が詰んでいってしまって『自殺をするしかない』となって自殺をする人もとても多いと思います」と、深刻な事態も起こり得ると解説をした。
2020年7月20日 18時38分 ABEMA TIMES
https://news.livedoor.com/article/detail/18604400/
土曜日のエロにしては何か意味深なはなしになってしまった。このままもし私が自殺でもしようもんなら、「土曜日のエロに意味深なことが書かれていた」などといわれてしまうのであろう。本来はそんなに高級なものではないのはこれから書くことにする。
さて、女性も男性も、セックスのことを快感であるという。まあ、「快楽におぼれる」などということを言う人も少なくない。ではなぜ「セックスは快感を生むのか」ということを以前真剣に取材したことがある。脳神経の医師にそのことを聞いたところ、このような答えを出してくれた。
「セックスで逝ったあとは、体力も気力も限界を超えてしまい、そのことから、頭の中が空白になる。人間というものは、寝ているときも何か考えてしまったりするので、結局頭がすべて空白になるということはあまりない。しかし、人間はストレスなどがたまると、それらの記憶が消えないで、それが気にかかり快楽を得られなくなってしまう。しかし、セックスの後だけは、そのようなことを一切考え、または記憶を気にすることなく、完全に肉体の快楽に脳が支配され、何の考えもしなくなる。それがセックスの快楽なんですよ」
というのである。
まあ、要するに、人間は常に脳が動いているが、セックスの後だけは完全に頭の中が空白になり、頭の中をリセットすることができる。そのリセットをしている間は、すべての感覚がセックスに集中してしまうので、快楽だけを貪ることになるのであるという。
「だから、セックスが終わって、快楽が通り過ぎたあと、だいたいの場合不倫を後悔したり、あるいは、恋人や嫁さん(医師は男性であった)を裏切ったというような感覚になる。また、レイプ事件などでも、レイプされている最中ではなく、レイプされて終わった後、しばらくして後悔の念が押し寄せて自殺をしたり精神を病んでしまう。つまり、セックスそのものは原因行為でありながら、その直後までは脳が働かないということを意味しているのですよ」
はっきり言っておくが、私の意見ではなく脳神経の医師の意見をそのまま書いている。まあ、でも、性行為そのものの時は、不倫などを後悔せずしばらくしてから後悔の念が押し寄せるというのは、まさにその通りである。
逆に言えば、「後悔の念がくる前に、新たなセックスをしてしまう」ということになれば、まさに依存症になるのである。麻薬やタバコ、パチンコ、酒などもすべてそうであるが、「依存症」というのは、「依存をしていない状態からの脱出」であり、その場合の後悔の念からの回避行動であるということがある。つまり、セックス依存症でもそのセックスそのもので死に至ることはなくても、依存していない場合の後悔の念などによって、脱出できない何らかの状況がある場合は、そこに集中してしまうと、死に至る可能性があるということになる。快楽だけではない何かがそこにあるということになるのではないだろうか。
セックス依存症になると「どんどんと人生が壊れていってしまう」と語る津島氏。仕事をおざなりにしてしまったり、人間関係の破綻、不倫や性犯罪で人生を台無しにするといったことが起きても「わかっていてもやめられない」の状態になってしまうのが、セックス依存症なのだ<上記より抜粋>
特に性行為、セックスは日本人の感覚では秘め事と思われていることから、その関係を持つことが他の人々との人間関係を壊してしまい、通常の生活に支障をきたす可能性が出てきてしまうのである。人間関係の破綻から、収入が減ったり、あるいは、事故に巻き込まれたり、自殺しなければならない状況になるということも十分にあるのではないか。そのようなことこそ、「依存症」の問題点である。特にセックス依存症の場合は、異性を巻き込むということになるから、事件はより複雑になるのであろう。
まあ、エロ的には、「ほどほどに」エロを楽しむことを推奨するものである。