探求 ‐ エネルギーの世紀(上・下)
アメリカの経済アナリスト、ダニエル・ヤーギン氏が2011年に上梓した「The quest: energy, security, and the remaking of the modern world」の翻訳です。(ちなみにヤーギン氏は前作「石油の世紀」(原題:The Prize: the Epic Quest for Oil, Money, and Power)で1992年度のピューリッツァー賞を受賞しています。) 我々の経済活動とその成長には当然エネルギーの安定的供給が大前提になっていますが、意外とそのエネルギー開発とか、産業とか、市場などに関しては知らないことが多いと思います。 新聞やネット等での情報過多(?)、流通市場や国の政策等の複雑性(?)、あるいは、情報の非対称性(?)、、、。
そのせいか、エネルギーに関しては、思い込みもあり、例えば、2001年の 9.11発生当時のことですが、アメリカでは石油輸入に対する安全保障上のリスクが高まっているとして、中東の石油に関心が高まりました。アメリカの輸入石油は全て中東から来ると思い込んでいるアメリカ人が多かったからです。しかし、実際は、中東から来る石油はアメリカが輸入する石油の23%ほど、国内消費石油の14%にすぎなかったのです。(P163) また、著者によると、IT技術の普及、IT市場の成長などで、パソコン、スマホの社会での普及率が高くなることもあって、2030年に世界の電力消費は倍増、エネルギー消費は現在の4割増になるといいますし、また、現在のグローバル経済は65兆ドル規模ですが、20年後は130兆ドル規模になると予想されています。つまり、20年後には世界の経済規模は現在の2倍に膨れ上がるわけですが、世界的なエネルギー供給はその成長をまかなうのに、充分なのでしょうか?
資源のない国、日本にいる我々日本人にとって、これからのエネルギー供給については(原発事故があってからは特に)関心を持つべき問題であると思いますが、意外と我々はそういったエネルギーに関する情報は、判断するのに十分かつ適切なものは持ち得ていないと感じます。そういった、経済活動を支えるエネルギー全般になんとなく関心がり、有益な知識を得たい人にとって本書は格好のテキストになると思います。
内容としては、世界諸地域で行われている大規模な資源開発から始まり、エネルギーの安全保障の問題、エネルギー源としての電気の可能性、エネルギー排出によるCO2が及ぼす地球環境への影響、現在開発中の新しいエネルギーなどについて述べられています。正直なところページ的にも量は多いのですが、しかし、取り上げている内容がそれぞれ興味深く面白く読めるので、読後充実感を感じます。 いろいろ興味深い内容の中で、私的に一番面白かったのは、資源大国(つまり、国内消費する主要エネルギーの産出量が多いので海外へその資源を輸出し、その収入で国の会計を賄っている国)の「実情」についてでした。
本書では石油国家であるベネズエラの内情を解説してますが、実は、ベネズエラでは、石油輸出により、経済が歪み、それにともない政治と社会にも発展を阻害する病巣が大きく巣くうようになり、長期の経済発展をもたらすビジネスチャンスを失ってしまう問題を多く抱えているのです。1980 - 90年代のベネズエラでは、国家収入の70%以上が石油輸出によって賄われていたのですが、その利益を私的に流用しようとする公務員による利益の横領やばらまき、そのばらまきを当てにする民間人の親分子分関係が確立されるようになり、この国の健全な競争を基礎にした経済成長がこの利益の分配争いにより阻害されてしまったのです。換言すると、誰もが輸出石油で国が稼いだ収入の分け前を期待するという「不労所得文化」ができあがり、経済成長に必要な、「起業家精神」「イノベーション」「競争」「勤労の尊さ」という考えを持たなくなってしまったのです。「ベネズエラの学者グループは問題を次のようにまとめている。『二十世紀半ばにはすでに、ベネズエラは石油のおかげで豊かだという確信が強く根付いていた。その天与の贈物のせいで、ベネズエラは国民の生産性や起業家精神を当てにしていない。政治活動はもっぱら富の分配をめぐる争いであり、商業面での画期的な政策や国民の生産性で持続可能な富の源を作り上げるという意識はない。
』」(P140)
また、ベネズエラのような石油国家は、石油からの収入を前提として、社会インフラの整備や経済成長の計画を立てるようになります。しかし、仮に石油価格が低迷してしまったり、産出する石油量がなんらかの事情で減少してしまうと、長期で立てていた国の成長計画は、その根本から頓挫してしまい、結果として、政治や社会で反動や暴動が多発することになるのです。「世界の原油価格が下降し、国の収入が減っても政府は支出を削減することはできない。予算の割り振りはすでに決められ、計画は実行に移され、契約はなされ、機構ができあがり、雇用が創出され国民が雇われている。また、エネルギー輸出国では、国民は生活補助として石油、天然ガスなを極めて安い価格で提供され、それからも抜け出せなくなり、エネルギー効率は悪くなり、無駄に使われ輸出にまわされる分が減る。(中略)石油国家では、収入減に合わせて支出(国の歳出)を減らすことを選挙民がよしとしない。石油はすべての問題を解決すると、社会全般が確信している。- 石油マネーは永久に上げ潮だし、財務省の予算の蛇口はずっとあけとけばいいし、石油による収入をできるだけ早く支出するのが政府の仕事だと。そういう収入が幻になってしまった時ですらその考えは変わらない。」(P141)
さらに、1960年代のオランダは天然ガスの主要輸出国でしたが、この輸出によりオランダ貨幣が過大に評価され、天然ガス以外の輸出品が減り、逆に国内には安い輸入品が殺到しオランダ国内のビジネス競争力がなくなり、インフレが定着した、ということがありました。(これは後年「オランダ病」と呼ばれるようになります。)
よく「隣の芝生は青い。」といいます。例えば、サウジアラビアでは、「石油が外貨を稼ぐので、その収入で人は働く必要もないし、税金がなく(安く?)医療費もタダだ。」とかいう話を聞きくと、これから急激な人口減少を経験する日本で、もし、日本の海域内に大規模な油田あれば、これからの社会保障費の問題や、現在の国の借金(2020年3月現在、約1,100兆円)についての懸念も少しは軽減されるはずだ、とつい安易に考えてしまいますね。また、人間に危機を及ぼす原子力をエネルギー政策の中心に据えるというリスク選択も取る必要がなくなります。資源のない国日本に住む我々にとって、「資源大国」というのはいつも、一種のあこがれ、というか羨望の目で見てしまいがちです。しかし、実際の「資源大国」には、資源大国独自の問題があるのですね。
今後世界的に考えた場合、グローバル経済は成長してくでしょう(また、しなければならないと思います)。 だとすれば、人間はその成長を支えるエネルギーを十分に供給できるのか? できるとしたらそのエネルギーは何か? そのエネルギー供給におけるCo2の排出総量は地球環境にとって持続可能な範囲内に収まるのか?、、いろいろ疑問もありますが、少なくとも本書を読むと「エネルギーの枯渇」に関してはあまり悲観的にならなくてもいいような感じがしました。石油に関して言えば、過去に石油は幾たびとなく「もうすぐ枯渇する」とか、また、1970年代の二度のオイルショックでは、「オイルの高値が続く」とか、そういった市場の悲観論や不安が起こってきましたが、そのたびにその不安を払拭するように、技術の進歩により未知の大規模油田が発見されたり、それまで開発が不可能と考えられてきた場所での大規模な石油採掘が可能になってきました。また、新しい代替エネルギーもテクノロジーの進歩により登場してきました。
むしろ、そういったエネルギー枯渇の不安よりも我々が心配すべきなのは、どういったエネルギー源の使用が将来にわたる自然と人類との共存にとって持続的なものか? という、一つ一つのエネルギー資源に関する調査研究や、一つのエネルギー源に頼るのが危険なら、どのエネルギー源と他のエネルギー源を並行して使っていくべきか? そういったエネルギー・ミックス(エネルギー・オプション)を選択する能力を我々が持つことが重要になっていると思います。実はエネルギー供給源の40%を賄っているのは、今だに CO2排出量が多い石炭ですが、その石炭消費を減らすにはどうすればいいか? とか、日本に関して言えば、本当に原子力は必要なのか? といったことを考え、選択していく力を持つことが大切だと思いました。