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戦後前衛俳句の旗手 春寂し金子兜太の死を悼む

2020.07.23 06:48

http://www.ina-ikigai.net/HP/okamura/waga%20seisyun/haiku/kanekotouta.pdf#search='%E6%88%A6%E5%BE%8C%E5%89%8D%E8%A1%9B%E4%BF%B3%E5%8F%A5%E3%81%AE%E6%97%97%E6%89%8B+%E6%98%A5%E5%AF%82%E3%81%97%E9%87%91%E5%AD%90%E5%85%9C%E5%A4%AA%E3%81%AE%E6%AD%BB%E3%82%92%E6%82%BC%E3%82%80'  【戦後前衛俳句の旗手 春寂し金子兜太の死を悼む】より

私が金子兜太さんを知ったのは、自己流で登山・スキー俳句を詠むようになって、「俳句 研究」という月刊誌を愛読するようになってからである。

当時、俳句界のことなど何も知 らなかったので、戦後前衛俳句の旗手であることや、現代俳句協会会長であることも知る 由もなかった。

最初に出会った作品は、「★起きて動き起きて動いて初日来る」ではなかっ たかと思う。何と躍動感のある俳句ではないかと思ったのが第一印象だった。

それから金 子さんのことを知るようになった。 先ず尊敬するのは人間味あふれる反骨精神の持ち主であったことだ。

東京帝大卒業し日 銀に就職したものの、海軍経理学校を経てトラック島に赴任し、そこで米機動部隊の攻撃 で日本軍が無力化していく。そんな中でも仲間たちを元気づけるために月に何回か句会を 開いていたという。

補給路を断たれて毎日の米軍の爆撃に食糧不足から、大勢の仲間が「木 の葉のように死んで逝った」戦争の悲惨さを目にした。非業の死を遂げた戦友たちが眠る 島への思いを込めて「★水脈の果て炎天の墓碑を置きて去る」はトラック島から引き揚げ る船の上で詠んでいる。

戦後日銀に復職するや日銀の初代組合専従となったのも立身出世 主義を乗り越えることが非業の死者に報いる道と思い、「生き物同士いたわり合い、信じ合 えば戦争は起きないと確信しているんだ」と、自らの戦争体験を語り続け平和運動にも尽 力してきた。 その戦争体験を通して金子さんの俳句に大きな影響を与えた一句が「★水脈の果て炎天 の墓碑を置きて去る」である。

南方からの海の道を主宰誌「海程」と名付けて、人間とは、 自由とは、俳句を通して考え、行き着いたのが「有季定型俳句」に対して「造型俳句」を 展開し、無季を認め、俳句の国際化を進めてきたことも大きな功績である。

既成の作風に とらわれずに一貫としたポリシーを持って絵にかいたような美しい俳句ではなく、人間く ささがあふれる俳句を詠み,俳句を通して平和へのメッセージも多く発信してきた。

日銀 時代に被爆地長崎に勤務し「★湾曲し火傷し爆心地のマラソン」と詠んでいる。

H30.2.20 金子兜太追悼句

★如月や金子兜太も星になる

★金子兜太平和を紡ぎ二月逝く

★天の川平和運動途切れなし

★金子兜太新風残し二月逝く

★雪の舞う寂しき朝や俳人逝く

★春寂し金子兜太の死を悼む

金子兜太[海程・寒蕾]冬の蜂

★初日差し河原に抱擁の一と組

★萍紅葉鳥来て鳥の骸つつく

★みな貧しく鶴渡りしと祖父の話し

★尿に立つわが影壁に寒九郎

★蔓うめもどき輪にしてぶら下げ禅僧来る

★白内障の眼をつむりおり冬の蜂

★冬の地震湯屋から裸の叔母とび出す

★感覚が冴えて八十六の冬

★人混みに新米散乱この始末

★迷い蜂尻もたげては刺す構え