本善之助先生、毎日版への道筋
http://wosi.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-7b8e.html 【本善之助先生、毎日版への道筋】 より
本善之助先生、毎日版への道筋。 もはや、今では問題点も多くあり…。
松本善之助先生の、ヲシテ文献に至る道筋には、
自由国民社の編集局長のキャリアのあとに、
「禅」の修行やら、いろいろと、素養の養成があられました。
禅の高僧の加藤耕山老師の命名による「盲人(めくら)に提灯(ちょうちん)」誌の、
刊行を通じて、人間とは何か? すばらしい生き方とは何か?
これを、深く洞察なさいました。 松本善之助先生は、「兀山(ごつざん)」という、名前を、加藤耕山老師から名付けて頂いたとの事でした。脳血栓の大病前の善之助先生の性格を言い表していて妙なるかな、と、さすが耕山老師と思います。「兀兀だからね」と、耕山老師はおっしゃっておられたそうでした。
そのうちに、「日本」とは何か?
の疑問に、遭遇し、やがて、ヲシテとの出会いに行き着くわけでした。
そして、『日本書紀』『古事記』との神武天皇の個所の三書比較を冊子にまとめられます。
ここにおいて、すべて、漢字文献よりも前に、『ホツマツタヱ』が先行文献であることを、証明なさったのでした。
ところが、解明作業は、ヲシテ時代語の再発掘を地道にやってゆかねばなりません。
遅々としての牛の歩み寄りも遅いほどです。何しろ難解ですからね。
一般的な人からは、内容をとにかく知りたい、と、強い要望があり、求めに応じられて、松本善之助先生は、『ホツマ入門』をまとめられます。
これは、大阪「自然社」さんのご厚意にて刷り上がりました。
こののち、に、毎日新聞社からの『秘められた日本古代史ホツマツタヘ』が上梓されます。
この本には、不肖わたくしも、参加させて戴きました。
当時、25才の時でした。毎日新聞社の印刷の人が読めない、と苦情が来て、
松本先生の手書き文字を読めるのは、わたくしが適任だったのでした。しょっちゅう、松本先生とはお葉書をいただいたり、手紙で相談に乗っていただいたりしてました。
わたくしも、字の綺麗さはちょっともなくて、ひどいものですが、読みやすい字にだけは、何とか変換できました。
この当時には、兎に角も、「ホツマ」の内容を早く知りたい、早く知らせたい、との、要求と呼応が支配していたようです。
『ホツマツタヱ』の原文の引用として、4アヤ19頁(長弘本のページ数、安聡本では4アヤ36ページ)を掲げておられます。ここに、大きな問題があるわけでした。
『ホツマツタヱ』の原文は、ヲシテ文字で記録されています。
現代風の直訳文も、今現在の視点でみますと、いかにも、解釈がいまだし。 の感が強くあります。
つまり、『秘められた日本史ホツマツタヘ』は、のちの「秀真伝(しゅうしんでん)族」(偽書製造家)の跳梁を助長するものでしかなかった。
とも、言えるのでした。
現代文風の訳文を提示して解説すると、 すでに、時代は、ヲシテ時代から遙かに遠く乖離してしまっているのですね。
たとえば、「三種神器」を説明するにも、「三種神器」は、ヲシテ文献によればカクカクシカジカ云々。
と説明すると、 もはや、漢字文献での「三種神器」の解説になってしまうのですね。 情報の受け取り手に取りましては、 ですね。
最低限度としては、「ミクサ タカラ(三種神器)」ぐらいの注意喚起の表記がなされたいものです。
アマテルカミのことを説明しようとして、「天照大神」は実はカクカクシカジカで…。 と、幾ら説いても、それは、漢字文献の「天照大神」の説明でしかないのですね。
このやり方では、第三者が聞いて、偽書をやってるのか! と、判断されてしまう。それで「偽書の秀真伝」です。 この、大問題の根ッ子が、『秘められた日本史ホツマツタヱ』にあったのでした。
松本善之助先生は、その反省から、ルビ無しの書籍を作るようにと、わたくしに厳命なさいますのでした。 それで、完成したのが、『記紀原書ヲシテ』(上・下)です。下の原文引用は『記紀原書ヲシテ』からです。
原字原文のままに読むと、特殊ヲシテ文字の意味合いが深い意味に添意がなされていて、また、ヲシテ文字の形状からも多くの国語の匂いが付加されている事が感じられます。 参考→ 「磁力の構文の事」 ・ 「添意」の造語の事
古典は、原字原文から離れると、もはや、 簡易参考物にしか過ぎません。
特に、ヲシテの文章には、この事情は、強烈です。
なにしろ、助詞の働きはヲシテ文字の形状に依拠して働くのですからね。
文字の形状を離れたら、文法が見えなくなります。
とっても難解なヲシテ時代の文章です、
文法なくしては文意を読み取れません、特に、さらに難解な『フトマニ』に至っては、文法こそが読み解きのキーになります。
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今からすると、問題点も多い『秘められた日本史ホツマツタヘ』ですが、あの当時の、早聞きを急ぐ時期では致し方なかったのでしょうね。
でも、 もう、卒業しなくてはなりません。早聞きにはね。
すでに、ヲシテが「日本語」の源流である事を解明して、『よみがえる日本語』の出版が成し遂げられています。
ヲシテからの、着実な一歩一歩の再構築だけが、基礎を築くことが出来ますから。