Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

「海原」創刊号

2020.07.24 01:53

http://ooikomon.blogspot.com/2018/08/blog-post_29.html 【安西篤「災後七年いま災前や半夏生」(「海原」創刊号)・・】 より


海原(KAIGEN)」創刊号(2018・9月号、海原発行所)、安西篤「『海原』創刊の辞ー俳句形式への愛を基本とし、俳諧自由の精神に立つー」によると、

 「海原」発足の方針は、すでに「海程」一月号において発表され、二・三月号において「海原」の理念は「海程」創刊時のものを踏襲していくことを表明しました。即ち、①俳句形式への愛を基本とし、②俳諧自由の精神に立つことであります。これは兜太先生が海程創刊時に打ち出された理念でありますから、この原点に立って「海原」は「海程」の歴史を受け継いでいくことに他なりません。先ずは先生の衣鉢を継ぎ、今後「海原」の成長過程の中で、時代に即応した体制整備を皆さんとともに築いてゆきたいということです。(中略)

 新「海原」は主宰誌ではなく代表制とし、「海程」創刊時と同じような同人誌形式とします。当面執行部の体制は、代表・安西篤、発行人・武田伸一、編集人・堀之内長一(副編集人・宮崎斗士)のトロイカ方式で参ります。発行所は武田伸一宅となります。(中略)

 私たちは、これから「兜太以後を」担っていかなければなりません。差し当たり「海原」の未来は、ポスト金子兜太五年間の帰趨が鍵を握っていると思われます。幸いにして海程人の多くは、「海程」のこれまでの絆を「海原」においても活かしたいと考えているようです。(中略)この機を逃さず、「海原」の基礎固めをしてゆきたいと願っております。

 と記されている。誌面の構成などは、ほぼ「海程」を継承している。「編集後記」にも記されているが「同人作品五句の迫力。三句のときとは違う存在感に思わずも目を見張ってしまったのである」(堀之内)とあり、その通りだとおもった。その同人欄「碇の衆」「光の衆」「風の衆」「帆の衆」を一読するだけでも、愚生は意外に多くの方々の知遇を得ていたのだと、改めて気づかされ、これまでの厚情に感謝し、かつ今後の奮闘に期待したいともおもったのである。そのすべての方々の句を挙げるスペースを有していないので、ここでは「海程」時代からの古参同人「碇の衆」の一人一句を以下に挙げておきたい。

   生涯現役生涯少年春の人     安西 篤(武蔵野抄1)

   一つとや人と兜太とくちなわと  武田伸一(雜雜抄1)

   陽炎児童後から陽炎老婦人    加川憲一

   水温む鎖解れぬ被曝の地    鈴木八̪駛郎

   困民党語り兜太師秩父夏     舘岡誠二

   よだれ掛け前掛け共と朧なる   佃 悦夫

   惜春の暦に誑かされてばかり  中村ヨシオ

   韋駄天や髪ざんばらに樗の実   福富健男

   青葉若葉の切っ先が今朝喉元に 堀之内長一

   夏日ぎらぎら乱反射して沖縄よ  前川弘明

   ガザの下この一本の日傘かな   森田緑郎

   海原や九月の太陽が浮いた    山中葛子  

  

 愚生は、記事中、この他に、「豈」同人の堀本吟が山本掌句集『月球儀』の評を「月面の〈存在(ザイン)-地上の『虚無』」と題して執筆しているのに目をとめたこと。そして、また、これも贔屓にすぎないのだが、遊句会でご一緒させてもらっている会友作品「海原集」よりお二人の句を挙げておきたい。

   母の日や母とならざる娘の日記   たなべきよみ

   母の日や母亡き古稀を過ごしおり    武藤 幹


https://ryjkmr1.hatenablog.com/entry/2018/09/02/010031 【『海原』創刊!】より

1.『海原』はどんな俳句雑誌か

『海原』は、このブログでも何度か取り上げている『海程』(かいてい)の後継となる俳句雑誌です。

「海程」は1962年の創刊以来約56年間続いた俳句雑誌でしたが、昨年の5月金子兜太主宰から終刊が発表されました。

また、当初は金子主宰ご自身も「海原」の創刊号を手に取られる予定でしたが、それが叶うことはなく、今年の2月に98歳で亡くなられてしまいました。

金子主宰の死後、今年の7月に「海程」は終刊号を迎え、その約56年の歴史に幕を下ろしました。

それから約2ヶ月経ち、安西篤さんの代表のもと「海原」の創刊号が出されました。

もちろん、「海程」の句会等でその存在は知っていましたが、やはり実物を見ると感慨深いものがありました。

そして、これもこのブログで何度か書いていることですが、私は「海程」時代、句会に俳句を送ることはあっても、「海程」の会員になることはしませんでした。さらに言えば、私が初めて「海程」の句会に出席したのが既に終刊が発表されたあとだったので、敢えて会員にはなりませんでした。

つまり、「海原」は私にとって初めて所属する俳句雑誌というわけです。先に書いた感慨深さのなかには、単に実物を見たという思いだけではなく、そのような思いも大きくありました。

2.「同人」と「会友」の違い

「海原」に所属している俳句作家には大きく分けて2種類あります。それは「同人」と「会友」です。

「同人」は「海程」に所属していたときに何か賞を受賞したことがある俳句作家。「海程」の時代から同人であり、句歴が長い方が多く、俳句の賞の選考委員を務められている方もいらっしゃいます。

対して「会友」は、まだそうした賞を受賞していない俳句作家。句歴も比較的短い方が多いです。

繰り返すように私は「海原」から所属したので会友です。

この「同人」「会友」という分かれ方は、誌面にも反映されています。

つまり、同人には「碇の衆」「光の衆」「風の衆」「帆の衆」というページがあり、それぞれに同人たちの俳句が掲載されています。

この「衆」と名付けられた4つのページが、どのような基準で同人の方を分けているのかは詳しくは分かりません。ただ、私が読んだ限りでは、「碇の衆」には「海程」の時代から同人であった方のなかでも、さらにベテランの同人の方が集中していると感じました。

対して会友には「海原集」というページがあり、会友の方たちの俳句が掲載されています。

「海原集」では、発行人・武田伸一さんの選により、上位30位までの会友が元々投句した5句のうち4句掲載されます。30位より下は3句掲載されます。

また、その上位30位までのうち、さらに武田さんが良いと思われた句は「好作三十句」のなかに選ばれ、1ページにまとめて掲載されます。

おおよそこうしたことが、「海原」での同人と会友との違いです。

3.創刊号で嬉しかったこと

そして、会友である私にとって、その創刊号で嬉しいことがありました。

先に述べた上位30位までのなかに選ばれたのです。

初めて俳句雑誌に投句をして、その5句のうち4句が掲載されたということは非常に驚きましたし、嬉しかったです。

また、「好句拾録」というコーナーに、その4句のうち1句が掲載されたことも嬉しかったです。

「好句拾録」は、そのタイトルの下にかっことじで「好作三十句を除く」と書かれているので、「好作三十句」の次点のようなものだと自分では捉えています。

これが「好句拾録」に掲載された1句です。

半分は薬のからだ 百合活ける リュウジ

この嬉しさに甘んじることなく、次は「好作三十句」に掲載されるように頑張りたいです。

そして、さらに大きな目標として、この「海原」を通じて、自分らしい俳句をさらに書いていきたいと思います。

具体的には、口語体表現についてや類想句に対する避け方等を当面の課題として考えていきたいです。