Okinawa 沖縄 #2 Day 35 (28/07/20) 豊見城市 (22) Zayasu Hamlet 座安集落
座安集落 (ざやす、ザー)
- 座安公民館 (製糖所跡 サーターヤー)
- 若知花森 (ワカチバナムイ、 座波名森 ザハナムイ)
- ニバン御嶽 (ウタキ)
- ユサマ
- イチカン墓
- 呑殿内神屋 (ヌンドゥルチカミヤ)
- 大屋神屋 (ウフヤカミヤ)
- イシマシ毛 (モー)
- 中之井 (ナカヌカー)
- 新井 (ミーガー)
伊良波集落訪問の後、隣の座安集落に移動して文化財を巡る。昨年はこの座安集落の文化財は豊見城市のホームページには載っていなかったので訪れなかったので、今回が初めての訪問となる。
座安集落 (ざやす、ザー)
集落は元々は渡橋名の後原 (クシバル) の丘陵にあった。現在の座安集落はかつての下座安部落で、後原の座安部落が渡橋名と下座安に移動して、下座安部落と統合されて18 世紀前半には座安集落となったと考えられている。
沖縄戦当時の昭和20年の人口は約300人75戸であった。この当時は決して小さな集落ではなかったのだが、戦後人口の伸びは他の集落に比較して芳しくない。
終戦後は現在の座安小学校に豊見城村の行政機関が置かれて一時期は豊見城村の中心であった。
集落は若知花森 (ワカチバナムイ、 座波名森 ザハナムイ) の丘陵の南西の麓に位置しており、集落の北側は丘陵の斜面に広がっている。集落内にはいくつかの沖縄伝統形式の民家がある。
隣の伊良波集落と同じ様に人口が2014年以降人口が急激に増えている。何が原因なのだろうか?
琉球国由来記には4ヶ所の聖地が載っている。座安ヌ嶽、チャナ川、座安巫火神、座安ヌ殿。チャナ川、座安巫火神については伝承も無く、どこにあったのかは特定できていない。
座安公民館 (製糖所跡 サーターヤー)
座安の公民館は他の集落の公民館に比べて大きく立派な建物だ。財政的に余裕があるのだろうか? ここはかつては製糖所 (サーターヤー) 後で、集落内の各組みの製糖所 (サーターヤー) が集まっていた。村屋はここから一ブロック先にあったのだが現在は民家になっていた。公民館の前の道がメーミチ (前道) だが、公民館前だけは道は広くなっているが、そこを外れると、道幅は狭く当時のまま。
琉球国由来記には4ヶ所の聖地が載っている。座安ヌ嶽、チャナ川、座安巫火神、座安ヌ殿。チャナ川、座安巫火神については伝承も無く、どこにあったのかは特定できていない。
若知花森 (ワカチバナムイ、 座波名森 ザハナムイ)
現在の座安集落の北東にある若知花森 (ワカチバナムイ) と呼ばれる丘陵が、座安集落と渡橋名集落の始まりと言われている。
この丘陵内に御嶽があると書かれていた。そこに行こうと入口を探す。インターネットではこの若知花森 (ワカチバナムイ) の情報は一つもヒットせず。探すと入口と思われる場所が二ヶ所あったが、一つは道が深い草木で塞がれてそれ以上は進めない。ここに一つ拝所があった。拝所があるので、やはりここやはりここも入口の一つとは思う。
もう一つは整備された道で少し進むと拝所と古墓があった。ただここは豊見城村史に出ていた拝所の写真とは異なるので、更に奥に御嶽があるのだろう。
写真とは異なっているのだが、ここも古墓か御嶽の一部と思われる。
本当はここに行きたかったのだが..... (豊見城村史に載っていた御嶽の写真) この場所が琉球国由来記にある座安の嶽 (写真左上) と考えられている。座安の殿 (写真右上) もこの若知花森 (ワカチバナムイ) にある。いつか再度チャレンジしてみよう。
更に先を進んだが、行き止まりとなり、養蜂箱が並んでいるだけだった。ここの道が整備されていたのはこの養蜂場のためだけだったのかもしれない。
この様にどこにも情報が出ていない拝所を巡るのは清明祭のある4月に来るのが良いだろう。この時期だと、お参りのため拝所への道は草刈りが行われ、容易に道が見つかる。再度、その時期に来ることにして今日はこれにて断念。
ニバン御嶽 (ウタキ)
集落の始まりと言われた若知花森 (ワカチバナムイ) から現在の集落に移って来た際に造られた御嶽と言われている。ここには四つの拝所があり。二つが岩の根本にある。
後の二つの拝所は井戸とその上にある拝所。
ユサマ
集落の北のサーラと呼ばれたところにある拝所。岩の根本に三つの拝所がある。一つは墓の様に思われる。(写真右上) 拝所の前は広場になっており、現在は駐車場となっているが、かつては、村の行事が行われたり、出征兵士の壮行会が行われていたそうだ。
この隣にある亀甲墓の上にも拝所が二つあった。
イチカン墓
ユマサから若知花森 (ワカチバナムイ) の丘陵に少し上がったところに墓があった。6〜7つの香炉が置かれている。全てではないが、幾つかに名が書かれてあった。本アジシー、十一代、?代と読める。この地域に住んでいたリーダーであった門中の墓であろう。イチカン墓と呼ばれているがその由来が気になる。
呑殿内神屋 (ヌンドゥルチカミヤ)
集落の嶽元 (タキムトゥ) と言われている呑殿内 (ヌンドゥルチ) 門中から代々ノロを排出している。(後年では大屋からノロが出ることになったが) 沖縄戦でこの門中の人々は全滅して家系が絶えてしまった。その屋敷跡に集落で神屋を建てて祀っている。
大屋神屋 (ウフヤカミヤ)
座安集落の国元 (クニムトゥ) と言われている大屋 (ウフヤ) 門中の神屋が残っている。 先に訪問した呑殿内 (ヌンドゥルチ)と同じく、大屋 (ウフヤ) 門中も絶えてしまっているのだが、その屋敷跡に集落の住民が神屋を建てて祀っている。これは沖縄の祖先信仰の一端を表していると思われる。直系の門中でなくとも、その祖先の時代から深く関わって来た集落の名士も信仰の対象となっている。集落単位でも土地に対しての信仰も根強い。
イシマシ毛 (モー)
集落の西の端の中前原 (ナカメーバル) にかつてはイシマシ毛 (モー) と呼ばれる小高い岩場があった。現在は土地改良事業で岩場は取り除かれてしまったが、畑の中に拝所はそのままの場所に残している。ここからは若知花森 (ワカチバナムイ) とその麓の座安集落が臨める。
戦後の一時期までは三本の松が生えており三本松 (サンポンマーチ) と呼ばれていたそうだ。その当時の写真を載せた案内板があった。
中之井 (ナカヌカー)
集落で最も大切な井戸で拝所になっている。比較的大きな井戸で、その前面は水場になっていたと思われる。
新井 (ミーガー)
中之井 (ナカヌカー) から上に行ったところにミーガーがあるのだが、見落としてしまった。いつかまた来るだろう。
質問事項
- ニバン御嶽 (ウタキ) のニバンとは二番のことだろうか?若知花森 (ワカチバナムイ) の御嶽についでの御嶽という意味だろうか?
- イチカン墓とは?
参考文献
- 豊見城村史
- 豊見城村史 第二巻 民俗編
- 豊見城村史 第六巻 戦争編
豊見城村史
第11節 字座安
位置
東は若知花の森を背にして、森の西下にあり、南東は渡橋名に接し、北は伊良波、西は与根の珠数原にのぞむ所にある。
古島
座安は古えの下座安と座安とが合併して現在の座安と渡橋名ができたものと考えられ、由来記及び旧記の中には座安しかない。古えの座安は現在の座安の東森の上にあり、古えの下座安が今の座安附近ではなかっただろうか。そして古えの座安から下座安と渡橋名に移動して現在の座安と渡橋名になったものと思われる。
地頭代采地
座安は豊見城間切の地頭代 (座安大屋子と称す) の采地 (カキ地)であった。由来記中年中祭祀の処に座安ノ殿稲二祭の時大田大屋子からも供物が供えられる所から見て、この大田大屋子の采地でもあったと考えられる。古くは二カ部落であったからだろうと思われる。
拜所
座安の御嶽は若知花の森の頂上にあり、(現在渡橋名後原) 古えはその御獄の附近に屋敷があったのが、台風と北風と水との関係で森の西下の下座安と南下の渡橋名の所に移動したものと思われる。座安の御獄は渡橋名の御獄でもあり両部落で崇拝している。由来記にある稲二祭三日崇の際に祭る井泉にヂャナ川があるが、これは御嶽の東北の下、上田境界にある。これは産井であっただろうと思われるが、現在の座安からみると大きな森をこえた反対側の遠い所にあるから座安は古くは御嶽の附近にあったことがうなずける。現在拝む井泉には中井があるが、屋号東リ内の後方にある。座安の殿と御嶽とは同一境内にあって尊崇されている。
世立ち、地組、祖先
座安の世立ち初めは千草之巻によれば「座安村、南山より来る座安大主在所」と記されているが祖先宝鑑にもなく口碑にもないので不明である。地組初めについては、千草之巻によれば「座安村、豊見城より来る伊良波大主在所根所」としてある。これも不明である。
他に祖先宝鑑からみると地組初めについては
奥間大親 ー 金満按司 ー 五男我那覇親方
が屋敷囲をしたことになっている。(察度王系統図参照)
玉城村字玉城仲嘉の御サカテ表には豊見城村座安の大屋、東リ内、前下庫理があり、祖先宝鑑中、昔玉城按司之裔孫の項にも豊見城邑 (村) 座安村 (字) 東リ内原とあるので、玉城按司の子孫であることがわかる。
祝女
座安祝女は屋号大屋であって元村長高良亀造氏の家であり、座安、渡橋名、上田、渡嘉敷の祭祀を司るのである。祝女地が部落の後方、祝女家 (大屋)の後にあった。なお屋号吞殿内という家があったが、祝女家ではなかった。
三本松
この三本松は部落の西方平らな所に小高い岩盤があり、その上に草が生え、そこに松が三本ある。夏の夕涼みによい場所である。ここについては由来ある場所だという話もあるようだが、くわしいことは不明である。