ブルボン朝誕生5-ルイ13世スペイン王女と結婚
2020.07.24 10:54
王の暗殺という一大事で代替わりしたフランス、王ルイ13世はまだ8歳である。ここで摂政となったのが、アンリ4世が適当に政治結婚したマリー・ド・メディシス。何せ王の寵愛は愛人ばかり、王宮に庶子も大勢居たというから、ルイ13世もとんでもない環境で育ったものだ。
当然母は「お父さんのようになっちゃダメ」と息子を敬虔なカトリックに育てたのだ。摂政は前王と逆で親カトリック政策を取る。その手始めが子供の結婚で、ルイ13世とスペイン王女アンヌ・ドートリッシュを婚約、そして長女エリザベートをスペイン王子と婚約させた。
この政策変更はプロテスタントを怒らせ、さっそくコンデ公アンリ2世が反乱を起こした。彼は継承権第一位であり、自分が留守の間に勝手にマリーが摂政を名乗ったのがシャクにさわったのだ。この対立で1614年にまた三部会が開かれた。そこでマリーは摂政を降りて、13歳の息子を自立させることにした。実はこの後フランス革命前まで三部会は開かれない。
翌15年、ボルドーまで国王結婚御幸パフォが行われ、ダブル結婚が行われた。この結婚はパフォもあるが、プロテスタントの襲撃に備え、警備もものものしかったという。ともあれフランスの政策はまたカトリック寄りになる。