四苦八苦=煩悩??
http://tobifudo.jp/newmon/gyoji/zyoya.html 【除夜の鐘】 より
除夜には鐘を108回鳴らし108の煩悩を消しながら年を越します。108の煩悩には色々な数え方があります。
●一年を過ごすには四苦八苦するので、四苦の4×9=36と八苦の8×9=72の合計で108。
●三つの世界で起こる六つの煩悩と六識との組み合わせで、3×6×6=108。
●三つの世界で起こる六識で感じる三つの結果と二つの程度で、3×6×3×2=108。
●1年は12ケ月、24節気、72候で、12+24+72=108。
と言うようにいろいろな考え方があります。
もっと細かくわけて84,000の煩悩とする考えもあります。いずれにしても自分だけに利益があるようにと願いがちな、ひとりよがりの考えを改めて、新年を迎えるのが除夜の鐘です。
https://true-buddhism.com/teachings/sufferings/ 【四苦八苦(しくはっく)とは?】より
「四苦八苦」は、世間では「車のタイヤがパンクしてスペアタイヤがなくて四苦八苦した」というように、苦労するという意味で使われます。
ところが仏教では、あなたも決して避けられないいつの時代、どこの国でも、すべての人が経験する、8つの苦しみを教えられているのです。
四苦八苦とは?避けられない苦痛の数々
仏教では、人生の苦しみを、大きく4つに分けたものを「四苦(しく)」といいます。
1.「生苦(しょうく)」2.「老苦(ろうく)」3.「病苦(びょうく)」4.「死苦(しく)」の4つです。
お経には、『阿含経』に「生老病死は世の常法なり」とか、『涅槃経』に「生老病死は常に来たりて衆生を切る」などと説かれています。
四苦にさらに4つ加えたものを「八苦(はっく)」といいます。
5.「愛別離苦(あいべつりく)」6.「怨憎会苦(おんぞうえく)」7.「求不得苦(ぐふとっく)」8.「五陰盛苦(ごおんじょうく)」の8つです。
これも『阿含経』や『涅槃経』に説かれています。このように「四苦八苦」といっても、12あるわけでなく、全部で8つです。
では、それぞれどんな苦しみなのでしょうか。
1.生苦(しょうく)死ぬまで苦しむ……
「生苦」とは、生きる苦しみです。生まれる苦しみとわれる場合がありますが、仏教で私たちが生を受けるのは、出産のときではなく、お母さんのお腹に宿るときですから、
「生まれたときの苦しみ」では、本人は自覚がありません。
四苦八苦を説かれたのは、苦しみを知らせるためですから、この世に生を受けて、生きていくことが苦しみだ、ということです。
生きるためには、衣食住をそろえるために、働かなければなりません。
一日のほとんどの時間を働いて、他の人と競争し続けなければなりません。
天下を統一し、成功者といわれる、徳川家康でも、「人の一生は重荷を背負って遠き道を行くがごとし」というように、重荷という苦しみをおろせず、死ぬまで歩き続けなければなりません。生きるということは、大変な苦しいことなのです。
2.老苦(ろうく)あなたの容姿が醜くなる
「老苦」とは老いの苦しみです。30代になれば、今までできたことがどんどんできなくなっていきます。物覚えは悪くなり、動きはにぶくなって、疲れやすくなります。肌はシワより、顔も醜くなり、加齢臭を発し、髪の毛も白くなります。年が行くほど、趣味もできなくなり、新しいことは覚えられなくなり、楽しみが少なくなっていきます。
昔の友達もだんだん死んで行き、人は寄りつかなくなり、一人ぽっちで寂しい生活になり、
しばらくして自分も死んでいきます。老いるというのは、苦しいことなのです。
3.病苦(びょうく)─死因の9割は病気─
「病苦」とは病の苦しみです。若い頃も、色々な病気になりましたが、年をとって、最終的には病気で死ぬ人が9割です。中でも日本の死因のトップは、ガンです。
50%の人がガンにかかり、30%の人がガンで死にます。ガンは最初は自覚がなく、痛みもないのですが、気づかないうちに血液やリンパ液に乗って全身に転移していきます。
そして、神経がやられると、ビリビリジンジンして痛くて夜も眠れなくなります。
骨や筋肉や関節、皮膚にも浸食していき、一種類の薬では痛みは治まりません。
骨転移には、放射線治療を行いますし、薬物治療や手術の痛み、抗がん剤の副作用による吐き気、便秘もあります。
やがて骨と皮ばかりにやせてくるのは、ガンの特徴で、やせればやせるほど、身体が弱ってガンの進行は加速します。
体内が腐って悪臭を放つので、家族がよりつかなくなり、小さい孫は口に出して「くさーい」と言うので、精神的にも大きなショックを受けます。
ガンは治すことができないので、このようにまっしぐらに死へ向かって進んで行くのです。
4.死苦(しく)人生最悪の苦しみ
「死苦」とは死の苦しみです。死を自覚すると、今まで必死でかき集めてきたお金も、
名誉も地位も何の支えにもなりません。一切が光を失い、「自分の人生は何だったんだろう」という生きる意味が分からない苦しみが起きてきます。これを「スピリチュアル・ペイン」といわれます。肉体の痛みは、薬である程度とれますが、スピリチュアルペインは、医学ではなすすべがありません。愛する家族とも永遠に別れ、自分がこの世に存在しなくなります。死んだらどうなるかという途方もない恐怖が起きてきます。
遅かれ早かれ、死は誰にでも訪れますから、死は200%確実な未来なのです。
5.愛別離苦(あいべつりく)会うは別れの始め……
「愛別離苦」とは愛する人や物と別れる苦しみです。「会うは別れの始め」「会者定離(えしゃじょうり)」と言われ、出会ったからには、どんなに愛する人とも、最後は必ず別れて行かなければなりません。
江戸時代・化政文化を代表する俳人・小林一茶は、晩年になって、ようやく待ち焦がれた子供が生まれました。
「さと」と名づけたその長女は、生まれて一年も経つと、他の子供が持っている風車を欲しがったり、夜空に浮かぶ満月を、「あれとって」とせがんだり、たき火を見てきゃらきゃらと笑います。
そのかわいいかわいい一人娘の、あどけないしぐさをいとおしむ情景が、一茶の代表作「おらが春」に描かれます。
ところがそんな時、突如、さとは当時の難病、天然痘にかかってしまいます。
びっくりした一茶、必死に看病しますが、さとはどんどん衰弱し、あっという間にこの世を去ってしまいます。
茫然自失、深い悲しみが胸にこみ上げ、一茶はこう詠んでいます。
露の世は つゆの世ながら さりながら(小林一茶)
露の世は、露のような儚いものと聞いてはいたけれど……。かわいい娘を失った悲しみは胸をうちふるわせ、あふれる涙に、もはや言葉が継げません。
一茶の決してあきらめることのできないむせび泣きが聞こえてくるようです。
そして最後は、愛するすべての人と別れて、自分が死んで行かなければなりません。
6.怨憎会苦(おんぞうえく)憎い奴には会う
「怨憎会苦」とは、会いたくない人や物と会わなければならない苦しみです。
学校では厳しい先生や、むかつく友達に会わなければならず、会社では、偉そうな上司にいじめられ、嫌みな同僚の嫌がらせにあいますが、毎日朝から晩まで顔を合わせなければなりません。
結婚すれば、感覚の違う姑と会わねばならず、息子が結婚すれば、我がままな娘を迎え入れて顔を見るのも嫌な人同士で同棲しなければなりません。
そして人生の最後は、絶対あいたくない死と対面しなければならないのです。
7.求不得苦(ぐふとっく)欲しい物は手に入らない
「求不得苦」とは、求めるものが得られない苦しみです。欲しいものがあっても、お金がないのでたいていは我慢しなければなりません。
大学受験では、できれば一番入りたい大学に入りたいですが、定員が決まっているので、全員が入れるわけではありません。
就職活動でも同じです。せっかく就職できても、ポストは限られているので、同期が全員出世できるわけではありません。
出世すればするほど、それ以上の出世は難しくなっていきます。
欲望は限りがないので、手に入るものは手に入る限り欲しいのですが、お金も能力も限られているので、手に入りません。
そして命にも限りがあるので、すべてのものを手に入れることはできません。
究極的には永遠の命が欲しいのですが、死ぬことは避けられないので、どうしても手に入れることはできません。やがて必ず死んでいきます。
8.五陰盛苦(ごおんじょうく)まとめ
「五陰盛苦」の「五陰」は肉体(心身)のことで、「五陰盛苦」とは、肉体あるがゆえの苦しみのことです。
これまでの7つを総括されたもので、この肉体によって、苦しみながら、老いて病気になって死んで行くのです。この四苦八苦の8つの苦しみの中でも、特に人生を苦しみに染めているのは、死の大問題です。
その死の大問題を解決して、変わらない幸福にすることが、仏教の目的です。