2020.07.24.「林家正雀 噺の世界~『乳房榎』その壱」
今年の「林家正雀 噺の世界」の夏の目玉は、三遊亭圓朝作『怪談乳房榎』の連続公演です。7月24日はその一回目で、発端にあたる「おきせ口説」。絵師・菱川重信の妻おきせに一目惚れをした浪人の磯貝浪江は、重信に弟子入りをして、師が南蔵院に出向き、天井に竜の絵を描き上げる間に、おきせに迫る。最初はその申し出を拒否するおきせだが、息子の真与太郎を人質に取られると仕方なしに我が身を許す……。
絵師として仕事に集中するあまりに回りが見えない重信の様子に、どこか険があり、裏のある浪江の姿。そして、貞操を守り通そうとするも、我が身の運命に抗えないおきせと、物語の展開に合わせて、それを描き分けていく正雀師の噺は、初めて師によるこの噺を聴いた時と変わらず……ではなく、年を経て、ますます磨き上げられており、袖で聴いていて、人間の持つ「業」の様にゾッとさせられました。それはお化けや幽霊が出てくるから怪談は怖いのではなく、噺から垣間見られる、いかにも人間らしい言動や感情を前にして、自身を重ね合わせた時に感じられる怖さ。そうした怪談の真の怖さといったものを堪能しました。
この日のもう一つの主役は『夜もすがら検校』だったように思います。長谷川伸が大正13年に発表した短編小説で、長く講談で演じられてきたものを、正雀師は宝井琴調先生から移してもらったとのこと。
『平家物語』を語らせれば右に出る者はおらず、その芸は一晩中聴いていても飽きがこないということから「夜もすがら検校」と呼ばれる玄城検校。江戸暮らしの大名からの依頼を受けて、使用人の友六を連れて東海道を東へ向かうことに。その途中、友六はおりよという女と昵懇になり、検校に黙っておりよを供に連れていくが、おりよにそそのかされて、雪深い木曽の山中で検校を雪の中に放り出してしまう。するとそこへ土地の若い者が現われ、検校を助ける。検校はこの若い者の力を借りて京都へと戻り、ますます芸に磨きをかけると、数年経って、困窮している若い男と再会する。そして、あの時受けた恩を返そうとするが……。
正雀師がスポットを当てたのは、検校と若い男の心の通じる様であったり、自分の運命に気付かされる様であったり、ある種の友情といったものでした。江戸から離れた地で主人公が苦境に置かれる噺としては、『笠と赤い風車』(平岩弓枝・作)や、同じ長谷川伸原作の『旅の里扶持』がありますが、この『夜もすがら』には男の意地や、返したいも返せぬ恩をどう返すべきかという苦悩といったものが描かれるだけに、それらを巡る登場人物達の思いを的確に表現することが求められます。ところがそれは、上の『乳房榎』でも記したように、人間の心情と言動を描かせたら!の正雀師のこと。その芸の確かさに素直な感動を覚えました。
この日のもう一席は『肝つぶし』。そして、この春に二ツ目に昇進した彦星改メ林家彦三さんも飛び入り出演。夏の『乳房榎』連続の会、幸先の良いスタートを迎えました。
次回は8/14・15の連続公演で、18時開演です。(雅)