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【松林薫】自己責任論はどこから来たのか?

2020.07.26 07:00

https://the-criterion.jp/mail-magazine/m20190420/?fbclid=IwAR1YFcR2ILr_JAzp6j-_HHQiBgzLAlhGwfO0tOvfcw8E4nYHF531YP5axE4  【【松林薫】自己責任論はどこから来たのか?】 より

こんにちは。ジャーナリストの松林です。

平成の終わりが近づき、過去30年を振り返る機会が増えました。時代を理解する手がかりの一つが流行語ですが、中でも「自己責任」という言葉は平成を通じてすっかり人口に膾炙した観があります。SNSの書き込みなどを見ていると、今や中高生でも日常的に使っているほどです。もちろん、ニュース記事にも頻繁に登場します。

“安田さんが海外で武装勢力に拘束されたのは04年のイラクに続いて2回目だ。最初の解放時は「自己責任」を追及する意見もあった。”

(毎日新聞「シリアで拘束の安田さん まずは無事な解放を喜ぶ(社説)」2018年10月25日付 朝刊)

“消費者金融からの借金苦や生活苦に対し、世間は「自己責任」と冷たかった。だが、低所得で保証人もいない人は、銀行などには相手にされない。“

(毎日新聞『ストーリー:困窮者に寄り添い20年 SOSから解法探る』2018年10月14日付 朝刊)

どちらもよく見る用法ですが、これを読むと自己責任という言葉が多様なニュアンスを含んでいることに気づかされます。これらの記事でも「過失責任」「自業自得」といった言葉で置き換えることができるでしょう。

しかし、「自業自得」自体がもともと仏教用語であるように、語源をたどると言葉が本来含んでいた思想と一般的な用法とが隔たっていることに気付かされることはよくあります。少し気になったので、過去記事を調べてみました。

この言葉が新語・流行語大賞のトップ10に入ったのは平成も半ばを過ぎた2004年のことです。イラクで前出の安田さんら5人の日本人が人質になった事件がきっかけでした。

“「(拉致された人は)政府が行くなと言っているのにイラクに行った。自己責任だ」(参院自民党幹部)と、4月の邦人人質事件の際にも出た「自己責任論」も政府・与党内で改めて出始めた。”

(朝日新聞『陸自「標的」強まる 派遣延長、迫る期限 イラク日本人人質』2004年10月27日付 夕刊)

現在と同じニュアンスで使われていたことがわかります。しかし「自己責任」という言葉は、このころ急に出てきたわけではありません。実際、記事のデータベースを検索してみると、その前の1990年代後半に普及したことが分かります。

これには筆者も心当たりがあります。大学生だった1995年に発生した阪神淡路大震災の復興を巡り、議論になっていた記憶があるからです。

“竹田正樹・大蔵省保険第二課長は「私有財産自己責任の原則に反するのでは」「強制加入の国民合意は得られるでしょうか」などと指摘したが、柿沢弘治委員長は「ぜひ、通常国会終盤の六月までにはものにしたい」と締めくくった。”

(読売新聞『[阪神大震災 再生への道]第8部 2年目のプロローグ(1)住宅再建』1996年1月13日付 朝刊)

このころ世間を騒がしていたのは、銀行やノンバンクの不良債権問題でした。その経営責任を問う文脈で「自己責任」「自助努力」という言葉が多用され、それが被災者の生活再建をめぐる議論の中でも使われたのです。生活保護や健康保険の受給者を批判するタイプの自己責任論の源流をたどれば、この時期にたどり着くのではないでしょうか。端的に言えば、このころから本格化した新自由主義的な改革が「自己責任論」を社会全体に浸透させていったのです。

実際、昭和時代まで遡ると、自己責任を個人と結びつける記事はそれほど多くありません。

“金利自由化は、金融機関にも一般企業にも、経営の自己責任の厳しさをこれまでとは格段の違いで求めることになる。”

(『金利自由化と今後の産業資金調達(社説)』1981年11月11日付 朝刊)

“世界同時不況を回避するための国際協調を米欧に呼びかけるにしても、まず日本が国内の経済運営を自己責任できちんと実行しておくことが必要だろう。”

(日経新聞『景気の冷え込みと政策対応の基本(社説)』1982年8月14日付 朝刊)

このように、基本的には金融機関や大企業、政府に対して使う言葉だったからです。個人に関して使う場合も対象が限られていました。

“「自分で判断し、その結果についても自分で責任を負うという原則を忘れないことです」と株式投資の心構えを強調するのは東京の金属加工品会社に勤めるIさん(55)。”

(『無手勝流だが自己責任の原則貫く』1981年10月26日付 夕刊)

“日本ではそれなりの規模にまで成長していない企業に一般投資家が投資するのは危険という判断が行政側にも証券会社にもあるのに対し、米国では「投資は自己責任」の考え方が徹底している。”

(『株式の店頭市場――米国・めざましい隆盛続く 日本・魅力ある市場へ始動』1981年11月04日付 朝刊)

これらの記事から分かるのは、本来「自己責任」は市場用語だったということです。株式や債券などに投資すると、高い収益を得られる可能性がある反面、損失が発生する危険も高まります。こうしたハイリスク・ハイリターンの取引を「あえて」する以上、仮に損をしたとしてもその責任は自ら引き受け、助言者や当局のせいにはしない、という原則論を指す言葉だったわけです。「自覚のある強者にだけ適用される論理」と言ってもいいでしょう。

この事実を知ると、自己責任の意味がどのように変質したのかが見えてきます。投資に失敗して財産を失った人と、大地震で家を失った人を同列に論じることはできないでしょう。「地震の巣と言われる国に好んで住んでいるのだから」という理屈も成り立たないわけではないでしょうが、明らかに無理があります。生まれる場所は本人が選べるものではないからです。同じことは生活保護や医療保険についてもある程度当てはまるでしょう。

もう一つの変質は、自己責任論の背後にある「自主独立」の捉え方を巡って起きたように感じます。福沢諭吉の国家論を見ても分かるように、他人に依存せず主体的に生きようとする精神は健全な社会を築く上で欠かせないものです。その意味で「なるべく国や他人の世話になりたくない」「迷惑はかけたくない」という態度自体は好ましいと言えるでしょう。ただ、それが転じて「国や他人の世話になるとはけしからん」「世話になる以上はいうことを聞け」という理屈になると話は違ってきます。

本来、自主独立の精神とは「支配されない」「従属しない」という気概です。もし自分を支配しようとする者があれば、闘わなければなりません。自分が非力な場合、その方法には面従腹背やサボタージュ、他者との連帯も含まれます。そうした精神を尊ぶのなら、誰かを支配したり、従属させたりする勢力には手を取り合って抵抗すべきでしょう。

しかし、自己責任論を振りかざして他人を批判する人の多くは、そうした支配・従属関係に鈍感です。生活保護の受給者に「国から金をもらっているのだから自由が制限されて当然だ」という態度をとるなら、自主独立の精神を尊重しているとは言えないはずです。そもそもセーフティーネットの多くは、不公正な支配・従属関係を生まないために作られました。生活保護や健康保険の仕組みがなければ、生活に行き詰まった人は誰かに隷属するしかなくなるからです。近代国家自体も、理想的には個人の自由と独立を保障する仕組みです。

平成を通じて続いた新自由主義的な改革は、国家による「過保護」への反省から始まりました。その意味では明治の近代化を支えた「自主独立の精神」を取り戻そうとする試みだったのかもしれません。しかし、国家の役割を軍事などに限定する「小さな政府」へと舵を切った結果、皮肉にも真の自主独立精神は失われ、支配や従属を当然のものとして受け入れる風潮を生んでしまったように見えます。沖縄の基地問題への冷淡な態度や、米国への追従を当然とみなす風潮も、根っこには歪んだ自己責任論があるのではないでしょうか。