失恋に学ぶこととは?!
今日は「失恋に学ぶこととは?!」をお送りします。
先日、「失恋から立ち直る方法」と言うテーマを4回に渡って掘り下げましたが、その際にそこから得られるものって結構あったなぁ...と言う記憶が蘇ってきました。パスカルの『パンセ』の一節にあるように、人間は孤独でか弱い一本の葦の様なものに過ぎませんが、しかし“考える葦”即ち考えることが出来る偉大で尊厳のある唯一の生物なのです。
失恋と言う辛くて悲しい思い出は誰もが経験することで、そのエピソードは千差万別で、恐らく失恋の数だけ違った“振られ方”と“振り方”の物語が存在していることでしょう。私は、会員さんとの面談で必ず過去の恋愛話を可能な限りお話しをして貰うことにしています。何故なら、そこにその人らしさが沢山詰まっているからです。
人間は普段の生活では「建前と本音」、「仕事とプライベート」、「率直と駆け引き」など、様々なスタンスを使い分けて生きています。しかし、こと失恋だけは掛け値なしの本気モードで挑んでいると思うのです。しかし神様は全てのカップルに微笑んでくれるとは限りません。幾ら成就したいと望んで誠心誠意頑張ってもダメなものはダメなのです。
まるで運命の悪戯としか言いようのない無情の別れは、縁があって上手く行った幸せ物語よりもずっと多く描かれ続けていることでしょう。でも人間が人間たる所以は“考える葦”であることです。これ以上ない失意のどん底へ突き落とされても“ただでは転ばない”逞しさを身に付けているのです。
辛い経験をすればする程、逞しさや賢さは磨きがかかります。失恋を自身が一回りも二回りも成長するための糧として、何度も振り返り、分析し、大いに学び、将来の自分とパートナーとの幸せに活かすことが出来るのです。たぶん将来の幸福を実現させるために“失恋”があると考えたほうが、何か腑に落ちる感じもいたします。では、失恋から学ぶことにはどんな物があるかを考えていきましょう。
<失恋の原因は必ずどちらにもあるもの>
「相手への気持ちが冷めてしまった」、「浮気をして(されて)しまった」、「結婚を迫った(迫られた)」、「嫉妬や束縛が強い」等々、失恋の原因は実に様々です。「えっこんなことが原因なの?」と首を傾げたくなるような“些細なこと”が原因だったりもします。例えば、「相手の名前を元カレ(元カノ)の名前と間違えた」、「相手に上から目線でバカにされてる感じが頭にくる」、「時間にルーズ」、「生活がだらしない」、「食事のマナーを知らない」...。
最初の例にせよ、この軽めの例にせよ、これらは別れのきっかけにはなったかも知れませんが、原因の全てでは無いと思います。男女の仲とは実に複雑な心理状態になっているもので、小さな?が点灯すると、気になって気になって仕方なくなると言うものです。それがストレスとして積り重なると、どこかで限界が来て、呆気なく崩れ去ることになるのだと思います。揉め事が表面化するにはこの様に不満やストレスが積もって限界に来ていることと、それが一気に崩れる何かしらのきっかけがあるものなのです。
失恋の原因と言った場合には往々にしてそのきっかけになった出来事だけが問題になりがちですが、実はその裏に積り重なった不満やストレスが隠れている場合が殆どなのだと思います。だとすれば、お互いの関係が壊れてしまったのは、きっかけを作ってしまったどちらかのせい、と言うものではなく、それまで少しづつ蝕み、悪化させてきたお互いの責任の部分が大きいのではないでしょうか。寧ろどちらか一方のせいであることの方が少ないと思うのです。
<失恋は人間を育ててくれる先生>
人間は美味しいものを、より美味しくいただくために五感の中でも特に味覚、嗅覚を発達させていると思います。でもそれぞれ個性や価値観の違いによって、その能力には違いがあると思います。初めて食べるものに対しての美味しさと、幾つかのメニューを比較して食べた時の美味しさには当然差が出てくるのです。
例えば、子供が料理上手のお母さんに作って貰ったオムライスを初めて食べた時の味は「オムライスとはこんな匂いやビジュアルをしていてケチャップの酸味とチキンライスのコク、それにトロトロ卵の食感がとっても美味い」と感じると思います。しかし料理下手のお母さんがそれでも一生懸命に作ってくれたオムライスを初めて食べた子供も母親の愛情を感じながら美味しい食べ物だと認識するでしょう。
この時点では、それぞれの初めてのオムライス体験は「美味しい」と言う点では同じ表現になりますが、それぞれの美味しさには個性がありますし、その個性的な美味しさがオムライスの原点として出来上がるのです。そして子供達はやがて成長する過程で色々な人が作った沢山のオムライスを食べる経験をします。最初のお母さんオムライスと比べて五感が受ける要素はどんな違いがあるのかを“上書き保存”ではなく“別名保存”しながら、より自分の好みに合っているオムライスを見つけ出すのでしょう。
恋愛をすることも同じことが言えるです。初めて誰かを好きになった“初恋”がどんな経験だったかは人それぞれでしょう。しかしその貴重な思い出が“人を好きになる”原点になることは間違いありません。やがて成長する過程で幾つかの恋愛や失恋を繰り返しながら、どうすれば相手とより良いコミュニケーションを取ることが出来るか、お互いの気持ちを理解し深めていくことが出来るか、何を間違えると信頼関係を損なってしまうのか、何が足りないと誤解やストレスを生んでしまうのか、恋愛の成功ケースだけではなく失恋の経験が“別名保存”されることで、人間性が深みを増して魅力的な存在となっていくのだと思います。
<“恋は盲目”だが決して見返りを求めない>
恋愛に夢中になると相手を無条件に受け入れる状況に陥ってしまうことを“恋は盲目”と言います。以前ジャニスイアンの曲をご紹介しましたが、あの“Love is Blind”ってやつです。そこにハマると“打算”や“批判”や“疑心”の感覚が麻痺してしまいます。相手の全てを自分の全てで愛し受け止める様になるのです。
まぁある意味“殆どビョーキ”になると言うことですが、そこまでのレベルになれば、つまり相手に対するマイナスの感情が全て麻痺してしまえば、愛する喜び、相手を幸せにしたいという気持ち、それを実現しようとする行動、これらは決して無理のない自然な発想に基づいていると言えます。
無理がない自然な発想による行動であるが故に、“見返りを求めない”“無償の愛”が成り立つのだと思います。と言うことは、何かしらの原因で“恋は盲目”が冷めてしまった時に、“打算”や“批判”や“疑心”の感覚が戻ってくるのです。つまり、失恋を経験することで、“無償の愛”があることも、誘因としての“見返りを求めない”“無償の愛”があることを知った後で、失った後の辛さや悲しみとともに、“打算”や“批判”や“疑心”の感覚をも身を持って知ることになるのだと思います。
<運命の人は少なくとも二人以上いる>
以前、何かの本だったか映画のセリフだったかは記憶が定かではありませんが、「運命の人は二人いる、一人目で愛することとその人を失う辛さを知り、二人目で永遠の愛を知ることが出来る」だったと思います。これは結構印象に残っています。最初は懐疑的に思ってましたが、元来中学生の時に「転生輪廻」の事を知り、書物を読んでいた私は、その後に「ソウルメイト 魂の伴侶―傷ついた人生をいやす生まれ変わりの旅」(ブライアンワイス著)の和訳本を夢中になって読み、もしかすると、そのソウルメイトは、前世迄の深い人間関係が転生輪廻の結果として現世でも運命的な出会いを果たそうとしているのではないかと考える様になりました。
だとすれば、ソウルメイトは数十人はいると言われていますし、しかも比較的身近な存在としての関係性があるとも言われていますので、中には当然に同性のソウルメイトがいることを考慮しても、異性のソウルメイト、しかも恋愛対象のソウルメイトが必ずいる筈です。たぶん二人と言わず、それ以上出会うチャンスが必ずあるのではないかと考えています。
ソウルメイトとの出会いを五感で感じる“気付き”には様々な例があります。詳しくは本ブログにて2月10日(月)投稿の「ソウルメイトに出会いたい!」をご覧ください。誰にでも存在するソウルメイトですが、出会っても中々気付かない場合も多いのだそうです。だからこそ恋愛や失恋を貴重な学びの経験とし、五感を磨き、人間性を高める努力を怠らないことが必要なのです。
<最高に辛い失恋だとしても、絶対にこの世の終わりではない>
失恋は全て辛い経験です。それは紛れもない事実だと思います。しかし、その状況に差が出るとしたら、恐らく相手との関係性の深さや、失恋のシチュエーションの違いが、辛さの度合いを大きく左右するのでしょう。しかし、何日泣き明かしても、仕事が手につかず、食欲もなく、気持ちが傷つき落ち込み、何をする気力も失せてしまっても、必ずもう次の恋愛が始まっていて、もう既にその途上にいるのかも知れません。
少しでも早く、新しい恋愛に恵まれ、運命の出会いと気付き、幸せを成就させる為にも、先ずは失恋で傷ついた自分の感情を整理しましょう。辛くても失った恋愛のプロセスを真正面から向き合い、感情を表に発散させるのです。気持ちが落ち着く迄は自分が一緒にいて欲しい友人などに付き添って貰えれば一番良いと思います。
次には今迄経験したことのない環境に身を置いてみましょう。「引っ越し」、「新しい趣味」、「旅行」...、中でも「海外旅行」はお薦めです。今迄見たことも無い景色に感動し、聞いたこともない言葉や国民性に触れ、味わったこともない料理に舌鼓を打ち、知らない人との温かい交流の一つや二つに接する事ができれば、人生満更でもないと思える様になるでしょう。
そんな心境になることが出来れば、知らない未知の自然や味覚や人間そのものとの不思議な出会いが、初めての感動を呼び起こしてくれるでしょう。それ迄「この世の終わりだ...」と思い込んでいた“大失恋”意外にも、実は何かに夢中になり感動できる自分を発見することが出来るのです。“失恋に学ぶこと”とは「今迄の自分を客観的に分析して人として成長すること」、「新しい環境に身を置き何かに感動できるパワーを備えた今迄に無い自分を発見すること」、そして「諦めずに“ソウルメイト”を探し続けて幸せを実現すると決意を新たにすること」なのだと思います。人生の中での長い自分歴史は、大失恋の後だってずっと続きの物語を描き続けるものなのです。
今日も良い一日であります様に。