クリスタ・ルードヴィッヒ(メゾ ・ソプラノ)
音大に入り3年目、私はドイツ歌曲を学び始めました。
最初はシューベルト<音楽に寄す>だったでしょうか…その頃はまだイタリア語の作品
先生にレッスンしてもらう前には歌えていなくてはいけません…<ドイツ語>は履修
していたと思うのですが、どうやらドイツ語として読めるようにはなっていなかったらし
く、私の記憶ではまず楽譜を買い、図書館に行き、CDを聴きながら何度も巻き戻して、
発音を聞き取って書き留めていたような…
発音記号を調べて勉強する、という手段は思いついてなかったのですね💦(『それが
とても大切な工程なのに』、と今更ながら思い出して反省です)
ドイツ歌曲を勉強するようになり、ドイツ歌曲を歌う方をたくさん聴きました。
クリスタ・ルードヴィッヒはその頃特に聴いていたドイツのオペラ歌手の1人です。
クラシックファンの方には馴染みある、誰もが知るところの有名なオペラ歌手ですよね。
現在92歳、まだまだ元気でご健在です。
ドイツでは、昔の、または今の歌手達のインタビューをテレビで放映してくれることが
あります。
偶然見かけることもありますが、普段テレビを観ないのでチャンスを逃すことが多かっ
たのですが、最近はYouTubeで何度も繰り返し観る事ができるので、アップされている
インタビューを何度も聞いてドイツ語の勉強にも使っています。
中でもクリスタ・ルーヴィッヒのインタビューは数も多く、話が分かりやすく、そして
何より内容がとても面白い!んです。
ドイツ人らしい、ちょっとした機転の利いた皮肉を交えたセンスのいい言い回し、
お話しのテンポがよくて、それでいてとても自然な方なので、お話がストレートに入って
きますし、観ていても飽きることがありません。
クリスタ・ルードヴィッヒはベルリン生まれで、歌手でありオペラ監督、演出家でも
あった父と、声楽教師でアルト歌手の母の間に生まれました。
オランダとの国境近くにあるドイツの街・アーヘンで音楽監督の職を得たカラヤンは
当時アーヘン歌劇場の専属歌手だったルードヴィッヒの両親の家をよく訪問していたそう。
食事を共にする機会が多かったのは、ルードヴィッヒの家の食卓がオーストリア風だった
から、だそうです。
のちにルードヴィッヒは音楽家として、長期に渡りカラヤンと共演しています。
ルードヴィッヒはカール・ベーム、バーンスタイン、とも非常に多く共演していますが、
歌手としてのカラヤンからの信頼も絶大だったそうです。
歌い手としてルードヴィッヒは、17歳で公式デビューを果たした後、フランクフルト、
ダルムシュタット、ハノーファーの各歌劇場で歌い、27歳でウィーン歌劇場へ。
その後ウィーンでは40年間、メンバーの一員として歌い続けたそうです。
プライベートでは、1回目の結婚をバリトン歌手と。ルードヴィッヒはインタビューで
「歌い手同士の結婚は難しいわ。どちらがいつ練習するか、声出しをするか、なんて
問題から始まって、結局どちらが高給なんて話にまで発展していく。それがとてもストレ
スになったの。だから彼との結婚生活を辞めたのよ。」と語っていました。
2回目の結婚はフランスの俳優兼演出家。彼が事故にあってしまい、その事故の数日後
に亡くなるという不幸なことが起こるまで、彼女はとても幸せだったと公言しています。
彼女がインタビューでよく話すのはこのご主人とのこと。
ご主人がフランス人だったため、フランス料理を学びもてなすようになったことや、
歌曲リサイタルの前には必ずご主人とお母様の前でゲネプロを行った話も興味深いのです
が、彼女が音楽や人生を語る際に必ず彼女の口から出てくる言葉、
「人生というのは『<途方もない(モンスターのような)案件>なのだ』と深く理解した」
は、ご主人が亡くなった後に実感したこととして多くの場所で語っています。
私は彼女のよく使うドイツ語の単語、Ungeheuerという言葉がドイツ語独特の響きがあ
り、とても好きなのですが、この言葉は[大きく、強く、醜い(非人間的なもの]という
意味を含んでいて、今の若い人たちがおしゃべりにはあまり使わない単語です。ですが、
彼女の思うところをしっかり表現できる言葉なのだと感じられる言葉の選択の仕方が、
ルードヴィッヒはとても絶妙なのだと感じさせられています。
多くのインタビューの中でルードヴィッヒは、歌手としての人生の厳しさや現実、
才能やチャンスについてなども、オブラートに包むことなく率直に、そして彼女の努力と
その努力から持ち得た誇りを、彼女の人生と重ねて語ります。
例えば<声>について。
「歌い手として普段できるだけ声を使わずに過ごしていました。子供とのやりとりも
口笛。Ja、なら口笛を一回、Neinなら口笛を2回。子供は私のことを『口笛母さん』
と呼んでいたのよ」
「若い頃、オペラ公演の後にみんなで食事に行ったわ。
みんなが行くというので、そういうものなのかと思ったのよ。でも間違いだった。
その翌日から数日、声がかすれて歌うことができなかったの。『フルで走り続けて
熱くなった車に冷水をかけるような行為』ということなのよ」
「普段の声の使い方、おしゃべりなんかについてはに私だけではなくて、フレー二も、
フレー二のダンナだったギャウロフもそう言ってたわ。バリトンやバスならまだ、
他の声種ほど繊細ではないけれど、でも歌い手は24時間声のことが気になっているもの
なのよ。ずっと本当に朝から晩まで。風邪を引く事もできないし、それはもう神経を
すり減らして管理しているのよ」
『演奏会の後、打ち上げに行くと声を休められない』といつも気にしていた私の気持ち
は、ルードヴィッヒの言葉でいっぺんに解決。やはり声の管理は徹底していてよいのだと
ホッとしました。これはグルべローヴァやカウフマンも話題に挙げていて、歌い手なら
誰もが気にすることなのだなと思います。
<声>の事でいうならルードヴィッヒは、
「今の歌手には個性がない。型にハマっていて美しいけれど、美しくても3分聴いたら
『それで?』と思ってしまう。以前は歌を聴いたらワンフレーズで誰かわかるような声色、
音色、個性が溢れていた。その人でなければ歌えない演奏だったものよ。」
『普段は音楽を聴いたり、演奏会にも足を運ばない彼女が耳にする中での情報量で感じ
ている事だけれど』と彼女は前置きをしていましたが、確かに彼女の時代、その前は歴代
の偉大な個性派ばかりでした。もちろん今も素晴らしい歌手達はたくさんいるのですが☺️
あの個性は揃いの時代を生き抜いてきた彼女にとっては、物足りなさが残るのかもしれま
せん。
他にもルードヴィッヒは、
「私は歌い手だった母にいわゆる『歌のレッスン』を受けたのではなく、私が歌っている
と母がどこからか『そうじゃないわー!』などと叫んでいたの。母のアドバイスはとても
適切だったので、今も自分の生徒に、歌のことだけではなく、いろいろな母からの教えを
伝えるんだけれど。
例えば歌ならば、ドイツ歌曲を歌う時に、同じ言葉でもニュアンスが変われば母音の音
が変わる。例えば、Sonne(太陽)という言葉は、太陽という意味だから“o“は明るいと
思われがちだけど、詩の中でその太陽が輝いていれば“o“は明るい、けれど太陽が輝いて
いなけれは暗い、音の彩は当然変わるものよ。けれどそこまでを追求している歌手はそう
多くはないわよね。シュヴァルツコップフが言っていたけれど、音楽で絵画を描いている、
ドイツ語のわからない人にも情景が思い浮かべられるように演奏しなければならないと思う
わ」
「あまりにも人生の経験値が低く、感受性が動かない歌い手は、演じる役柄や哲学的な歌曲
を本当に理解して表現することは難しい」
など、彼女が指導する側としてシビアに感じていることなども語っています。
また人生の大半、耳を音に向け、感覚を研ぎ澄ましてきた彼女が言うところの
「静寂の中にある沈黙にも音楽がある。だから自分は音楽を聴く生活をしていなくても
音楽から離れてると感じたことはない」
という言葉は、歌い手のみならず多くの音楽家、またはたくさんの方が共感し、感じる
ところでもありそうですよね。
才能、チャンスに恵まれること、そして実力とは関係なくチャンスを奪われることが
あること(ヤノヴィッツとカラヤン、ベームを交えた中での話)、歌い続けることは
才能があった上で、だとしても、並大抵の努力ではないと言うこと。ルードヴィッヒは
「ただただ必死に努力し続けた」「舞台袖ではいつも全身の先まで震え続けていた」と
話していました。
私が観ているようなインタビューを日本語字幕で観てもらえたら、たくさんの方が
興味を持たれるのではないかと思っているのですが、Youtubeの動画をダウンロードして
字幕を付けても著作権に引っかかり、アップロードすることができません😵 どなたか
難しくなく違法ではない方法があったら教えてくださいね。
今のところ私の技術ではみなさんに観て頂く事は難しそう、なので、この場を借りて
少し、往年、または今活躍してるのドイツ音楽家達のインタビューをご紹介できたら、
と思っています。
本日ご紹介したルードヴィッヒのインタビューの動画のいくつかはコチラ↓
https://youtu.be/UMesqp-W9TA
https://youtu.be/C8St0mt6V6E