Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

戦火の花

2020.07.27 09:24

000.戦火の花

000.プロローグ


世の中って不公平だ。


金があればなんでもできて、金がないと妥協を重ねるしかない。


権力があればなんでもできて、そんなもの持ってない人間の発言なんてノイズと同じ。


地位があればなんでもできて、地位のない人間はただただ言いなりになるしかない。


「顔色が優れないな。早めに切り上げるから笑顔くらい貼り付けなさい。」

「はい…。」


ほんと、世の中って不公平だ。


001.戦火の花

001.結婚生活


政治の世界って大嫌い。


高いものを着て、何かしでかしたら揚げ足取られて、腹の探り合い。


マスコミに追いかけられて、国のためなんて思ってもない発言ばかりをする。


乗り気じゃなくても笑顔は絶やせないし、どんなに体調が悪くても体裁の方が大事。


そんな大嫌いな世界で人生を送ることになったあたしの隣では戸籍上は旦那にあたる人が今日も微笑みを浮かべている。


「いつも奥様は素敵ですねえ。そのドレス、旦那様からいただいたんでしょう?」

「ええ、まあ…。」

「愛されていてほんと羨ましいですわ。」


ニコニコと囲まれる社交辞令がしんどくてたまらない。


愛されてる?どこがよ。

こんなの表面上だけ。


ドレスや宝石を買い与えられ、着飾るのは彼の体裁を守るため。


あたしはただ隣で笑っておけばいいお人形に過ぎない。


おしどり夫婦なんて呼ばれているが、中身はすっからかんだ。


それでも愛し合ってるんです〜的な雰囲気を出さなければならないのがあたしの仕事。


そう、これは仕事なのだ。


シャンパンを片手に着飾った姿で逐一社交場に姿を見せて、彼もあたしも誰に取り入られることのない完璧な夫婦なんだと見せつけること。


この時間が終わればしばらくまた平穏な生活が戻ってくる。


そう思うとあと少し頑張ろうと思って会話を弾ませるのに必死。


最中、


「手毬(てまり)様。そろそろ…」


旦那ではなく、旦那の秘書兼あたしの監視役の男が近づいてきたのである。


癖の強い黒髪をきっちりとセットして、シワひとつない黒のスーツ姿で丁寧に入ってくる。


この男も体裁のひとつとしてとても有能に働いている。


社交場では旦那とこの秘書のツートップに騒がない女性はいないと断言できるくらい。


ほんと、見た目だけだけど…。


「あらまあ、ごめんなさいね。つい長話で引き止めてしまったわ。」

「それにしても今日も完璧な秘書だこと。うちに来て欲しいくらい。」

「恐れ入ります。」


金持ちの奥様方はにこやかに言うが、悪びれる様子もなくこの男が来ることを今か今かと待っていたのだ。


旦那はいても、愛はない。

そうゆう世界では浮気や不倫なんて当たり前に行われている。


年配ならば金品にものを言わせるが、最近では若い政治家も増え、社交場にもそれ相応の女性が多い。


人の目を盗んで背徳的なことやっちゃってる現場なんてザラに遭遇する世界だ。


「ではみなさん、またの機会に。」


そんなこと顔に出すわけもなくあたしは離脱して彼についていくだけ。


虚構で成り立つ世界も慣れてしまうとまるで自分が自分じゃなくなっていくような感覚に陥る。


「次は誰?挨拶は一通り済ませたと思うんだけど…、」


歩きながら、めまいが襲ってきても耐え忍び、毅然と歩くようになれるなんて自分でも思ってなかった。


この場所で、自分を守れるのは自分だけ。

味方なんていると思わない方がいい。


そう言い聞かせて今の今までやってきたけれど、いつまで続くんだろうという果てしない気持ちをもてあますこともしょっちゅうだ。


ただ、今はそんなことに振り回されるわけにはいかない。


何度も言うがこれはあたしの仕事なのだから。


パーティーホールを一旦出る秘書の背中に問いかけたものの、ホールに居ない人でも居たのだろうかと考えてしまう。


すると彼は立ち止まるなり振り返ってきて、


「手毬はん、顔色最悪やで。」


はあ、とため息をつかれ、覗き込んでくる男は先ほどまで完璧を装っていた秘書の仮面をあっさりと外した。


訛った口調であたしを覗き込み、どこか馬鹿にしたような薄い唇を見ると眉根を寄せてしまう。


「進藤(しんどう)さんには関係ないことかと。」


静かに言って戻りますよと背を向けると、旦那の秘書はひと言。


「戻らんでええよ。あいつからの命令や。先帰らせろってな。」

「ああ…、そうゆうこと。」


なるほどと、これだけで納得してしまうのはもう慣れたことだから。


この結婚を決めた時に言われていた。


「彼女が来てるのね。」

「そうゆうことや。」


会社が倒産しかけて首が回らなくなっていた父を会社ごと引き取ってくれたのが今の旦那。


社員が路頭に迷わないで済んだものの、その代償としてあたしとの政略結婚を今の旦那が持ちかけてきたのだ。


はっきり言ってそうゆう世界なんて知らなかったし、縁もゆかりもなかった。


企業しているとしても父の会社はそんなに大きくもなかった。


ただ地元では知名度もあって、親しまれていたってだけ。


けれど旦那にとってはそれが良かったらしい。


地元の親しみある会社を救い、挙句、政治的な結婚だとは思えない庶民のあたしを妻に迎え入れるという行為そのものが彼のイメージアップに利用された。


もちろんあたしに断る選択肢なんてなかった。


周りを囲まれ、利用できるものを利用し尽くしますという顔であの人はきたのだ。


「何考えよん?」

「結婚を申し込まれた日のこと。」


車の中で進藤さんに送ってもらいながらあたしは車窓から見える景色をぼんやり眺めていた。


人生で初めての結婚の申し込みがあんなに最悪な形で行われるなんて思ってもなかったことだ。


『今後の生活、会社の運営、全てサポートさせてもらおう。代わりに俺の妻になってほしい。』

『は…?』


涼しい顔でサラッと言われる言葉はまるで業務をこなしているだけだと言わんばかりのものだった。


『体裁的に俺の年齢ではそろそろ結婚しておいた方がいいんだ。勿論、愛なんて育む気はない。俺にも彼女はいるからな。』

『じゃあその彼女さんと結婚すればよろしいのでは…?』

『勿論、ゆくゆくは考えていることだ…が、今ではない。』

『それ…、彼女さんは承諾済みなんですか?』

『勿論だ。』


いや、勿論だって…。

なにそれ?


要約したらあたしは期間限定の奥さんになって、後々離婚するからそれまで政治の道具になってくれないかと言われているのだ。


こんなとんでもないことを真顔で面と向かって言う人いる?


目の前の光景も発言も信じられずに唖然としてしまっていたあたしに、彼は話をどんどん進めていた。


『勿論、君も自分のパートナーを見つけて構わないし誰と恋愛しようが文句は言わない。だが、あくまでも世間に知られることのないようにという注意事項を守ってくれたらの話しだ。』

『いや、ちょ…っ、』

『どれくらいの結婚生活になるかはわからないが、離婚したからと言って君の家や家族の面倒は最後まで見るつもりだ。』

『………』


そういう問題じゃないでしょうに。


けれどここで断ったらどうなってしまうのかわからない。


元よりあたしには恋人と呼べる人なんていなかったし、父と母がどんなに苦しんでいたかも知っている。


地元の人たちが良かったって泣いて喜んでくれていた姿を見ている手前、


あたしがこの人と偽装結婚するだけでことが収まるのなら安い話しなのかもしれない。


だから、


『わかりました。お引き受けしましょう。』


まるで漫画か小説の世界にでも飛ばされた気分だった。


小さな地元の会社を立ち上げた両親を見て育ち、お金なんてあるようでなかった節約生活をしていた平凡なあたしが、


なんでテレビでしか見たことのない政治家の人に偽装結婚を頼まれてるんだろうってなるわ。


そこまでを思い出していた最中、


「政宗(まさむね)もえげつない事考えよるわ。手毬はん連れてきて結婚する言い出した時なんて、みんな唖然やで。」

「当事者のあたしが唖然としたんですから、普通のことかと。」

「僕はその場でゲラゲラ笑ってやりたかったんやけどな〜。」


喉奥を突っ返させるような笑い方は耳障りだなと思う。


進藤さんは見た目こそ完璧な秘書だけど、蓋を開ければ剽悍(ひょうきん)な態度で礼儀知らずで不躾だ。


聞くところによると田舎の出身らしく、政宗さんが彼の能力を認めて養子に迎え入れたそう。


だから素は訛り口調で、どこの方言なのか聞いたところ両親がどちらも出身の違う人らしく混在してしまっただけのものらしい。


大阪か、京都か、それとも西日本側のもっと田舎の口調なのかわかりかねるのはそのせいらしい。


たまに言葉の発音も違和感があるくらい、日本語がうまいとは言えない人なのだ。


なのに標準語を喋らせるととても流暢だったり…。


つかみ所のない男である。


「それより手毬はん。そろそろ進藤さん呼びやめようや。二人きりなんやし。」

「嫌な言い方しないで。」


あんたとはなんの関係もないわ、とバックミラー越しに睨みつけるものの彼は小さく笑うだけだ。


その笑みにそっぽをむいてしまうが、実際この偽装結婚生活であたしの話しを聞いてくれるのはこの人だけ。


友達なんてこの世界では表面的なものでしかなく、いかにあたし自身が利用できるかで人が寄ってくる。


故に、恋愛を自由にしてもらって構わないとか言われたけどそんな相手が見つかるわけないのだ。


まあなにが言いたいかというと…、


「総司(そうじ)くん、どっかで飲んで帰りたい。」

「よしきた。いつもんとこ行くか。」

「それより先に服どうにかしたいんだけど。」

「紙袋乗せとるやろ。そん中に着替え入れとるで。」

「相変わらず準備がいいわね。」

「僕の楽しみこれだけやもん。」


進藤 総司はあたしにとっては旦那の秘書で、あたしの監視役でありながら、この世界で唯一のあたしの飲み友達なのだ。


用意された服に手を伸ばし、毎度毎度新しいドレスを与えられるお飾り全てを脱ぎ捨てていた。


「わあお。大胆やわあ〜、手毬はん。バックミラー越しで生着替えのお披露目とか。」

「前見なさい。前。あたしの着替えなんて見て楽しめるなんてどんだけ安い男なのよ。」

「ええ身体しとんのになあ〜。政宗も勿体無いことするわ〜。」


その一言には眉根を寄せてしまう。

今頃は彼女との逢瀬を楽しんでいるのだろう旦那の姿を思い出すものの、


当たり前に浮気を公認しているこの偽装結婚生活で傷つくとかそんなものはない。


まるで喜びも感動もなかった挙式でウェディングドレスを着せられ、ヴァージンロードを歩いた時からずっとだ。


ずっとあたしは彼に利用され続けるだけの奥様位置で、それが仕事。


こんなの飲んでなきゃやってらんないってもんだ。


「あの人の話しはやめて。せっかく楽しもうって時に気分が台無しだわ。」

「え〜、でもさあ〜?政宗の彼女ってあの有名な女優さんやで?」

「なにそれ?」

「あ、やっぱ知らんかったか〜。」


総司はバックミラー越しにあたしを見ながら教えてくれるのだ。


政宗さんの彼女は芸能界でも大物女優として名高い雛菊(ひなぎく)さんなんだと。


あたしは結婚してから旦那のことに関して一切踏み入ったこともなければ聞いたこともなかったのでびっくりである。


「なにそれ?!あたし大ファンなんだけど?!」

「マジか、手毬はん。あんな女がええんか。」

「あんなってなによ!雛菊のドラマや映画はほとんど見てるわあたし!」

「ほんだら政宗に今度、サインもらってって言ってあげようか?」

「神様?!」

「ちょろいな、手毬はん。」


けらけらと笑う総司くんとのこんな時間がなければあたしは息を詰まらせて死んでいたかもしれない。


それくらい生きにくい場所で、けれどなんとか踏ん張っているのだ。


いや、それにしたってあの雛菊がまさか政宗さんとできてたとは…!


「恋愛しないことで有名な女優さんなのに、意外だわ。」


スクープなんて今まで一切なかったし、浮いた話も浮上しなかった女優だ。


演技力は抜群にあって、トントン拍子で今の地位を確立してる才能のある女優。


テレビ画面でしか見たことのないあたしからしてみれば、格好いい女の人ってイメージで憧れも強い。


けれど、


「あの政宗がバックにおるんやで?スクープやらなんやらは全部もみ消しとるだけやわ。」

「マジか…。」

「マジや。まあ、政宗と密会しよったとかホテルに入っていったとか、そんなもんテレビであげられたら政宗の体裁もおじゃんになるしな。」

「あー…。」


あのとんでもなく最悪な結婚話を持ち出された時からあの人は体裁ばかりを口にしていた。


イメージが大事な仕事だってことはわかるけど、取り繕って仕事して、プライベートもコソコソするなんてどんな人生なんだと思ってしまう。


あたしには全く合わない世界だが、政宗さんにとってはそれが全てなんだろう。


「ほら、ついたで。」


いつものバーに駐車した総司と共に、いつもの店内でいつものお酒を頼む。


別に踊ってはしゃいで、羽目を外すなんて真似はしない。


そんなことして誰かに撮られでもしたら後々が面倒だし、政宗さんに小言を言われるだろうし。


そんな危険は犯すわけにはいかないから、こうして総司くんと二人きりで飲むっていうのも個室だし、


誰かの目を気にしなきゃいけない程度には気をつけないといけない。


どんなに気さくな関係だとしても、写真の撮られ方ひとつででっち上げられるのはこの世界じゃあよくあることだ。


乾杯して飲みながら、今日も疲れたなあとアルコール頼みになる人生。


ほんと、いつまでこんなこと続けなきゃなんないんだろう。


「ねえ、雛菊と政宗さんは付き合ってどれくらいなの?結婚も視野に入れてるんでしょう?」

「はて、そんな長なかったはずやで?一年くらいとちゃうか?」

「え、そんなもんなの?」

「ああ。手毬はんと結婚した当初の彼女とはとっくに別れとる。」

「はい?!」

「あれから何人かと付き合っては別れ、雛菊さんとはまあまあ続いとる方やな。」


そんなこと初耳である。


彼女いるって面と向かって言ってきたくらいだし、それなりに今も続いてるもんだと思ってたのに…。


「ま、一番あいつと長い付き合いができとんは手毬はんがダントツ一位やで。」

「そんな一位いらないから。なにも誇らしくないわ。」


こちとらあの人にいいように道具として使われてるだけで、愛なんてないから今の今まで続けていられるのだ。


必要な時に必要な仕事をしていれば不自由なく暮らせるっていう結婚生活なんだから、こっちも割り切らないと付き合えないってもんだろう。


「ま、そりゃそうやわな。」

「てか、言ってたことと違うんだけど?後々、彼女と結婚はするつもりだからそれまでの偽装結婚って契約だったのよ?」

「契約違反はしてないけどなあ。」

「そうじゃなくて、あたしはいつになったら離婚できるのかって話し。」

「そんな望み初めて聞いたわ。」


普通、結婚していたら離婚しないためのいろはを考えるもんだろうと総司くんは笑う。


政宗さんとの結婚となればなおさら。


愛がなくても金は余るほどあるのだ。


貧乏に戻るよりよっぽどいい暮らしを保証してくれる相手との結婚を長引かせようと思う方が普通だろうと言いたいのだろう。


「あたしにはこの世界、とてもじゃないけど合わないわ。」

「そうやろか?傍目からみればようやっとるで。」

「取り繕うことばかりが上手くなるのなんて褒められても嬉しくないわよ。」


偽装結婚生活なんてすぐ終わると思っていたのに既に四年以上の月日が流れている。


「それ、政宗に言うみたらええやん。」

「はい?」

「いつ離婚してくれるんですかって。」

「………。」

「そしたら晴れて僕がおつきあい申し込めるやん。」


なあ?と懐っこい笑みで言ってくる総司くんだが、こんな冗談にいちいち取り合っていたらこいつとは付き合えない。


「総司くんだって彼女いるでしょうが。なに言ってんのよ。」


あたしは離婚してとっとと地元に戻りたいだけ。


自分の生活に戻りたいのだ。


はあ、とため息をつきながら煽るアルコールは中々酔いをもたらしてはくれない。


最中、


「彼女ってどれのこと?」

「どれって、あんたね…。」

「ていうか全部セフレやしな。」

「おいおい。」


それもどうなのよ、と呆れて見つめれば、


「こんな仕事やで?寄ってくる女やって政宗ありきのもんや。本気になれるわけないやん。」


そう言われると返す言葉もない。


政宗さんの周りの人間は政宗さんに取り入れるという利用価値がどうしても付いて回る。


あたしも総司くんもそこは変わらない。


そんな人間関係をどうやってあしらうかが違うだけだ。


「デートだって言って頻繁に外出してたのってそれ?」

「それしかないやろ〜。女のプライドは守ってあげないかんしな。」


しんどいわ〜、とボヤく総司くんはくしゃくしゃと整えていた髪を乱雑に乱してタレ目がちな眼差しにあたしを映すのだ。


「意外に紳士的なのね。」

「意外は余計やろ〜。こんだけ手毬はんに付きおうてあげる男やのに。」

「それもそっか。」


秘書って立場のバランスを彼なりにとってるってことなんだろう。


あんまりにも酷い対応をしてしまえば、金や権力に物を言わせてなにをされるかわかったもんじゃない。


道楽に飢えている社交界の女ってもんの扱い方は一番気をつけなきゃいけないのだ。


それはあたしも同じだからよくわかる。


「総司くんも大変よね。なんであの人なんかのためにそこまで尽くすの?」


何気ない質問だったと思う。


話の流れからふと思ったまでの疑問だったから深い意味もなかった。


そんなあたしに総司くんは一言。


「そりゃまあ、養子とはいえ戸籍上は兄弟やからなあ〜。」


いつものゆるい口調で放たれた言葉は当たり障りのないものだったけれど、


「聞かれたくないことだったならそう言って。あたしにまで気を使わなくていいから。」


総司くんがはっきり口にしない時がどういう意味なのかはわかってるから。


別にあたしはめちゃくちゃ聞きたくて質問したわけでもないし。


総司くんにまで気を使われるような関係になっちゃったらいよいよ逃げ出したくなるわ。


きっぱりと言えば総司くんは肩をすくめて「ごめんごめん。」と笑うだけ。


目は笑ってないのに、笑顔が定着している姿もこの界隈でいたら仕方ないことだと思ってしまう。


あたしだって総司くんの前だから素でいられるけど、そうじゃない時はいつだって笑顔で誤魔化してしまう癖がついている。


「面白くもないのに笑わないくていいから。ふと思っただけなのよ。そんなに深く捉えないで。」


総司くんなりに言葉では言い表せないような複雑なことがあるのかもしれない。


そんなのこの世界にはわんさかあることだし、あたしもいちいち気にしてなんていられない。


だからこそあっさり言い放つが、


「でも話したくなったら言って。ちゃんと聞くから。」


総司くんに関しては、ちゃんと友達でいたいと思うから付け足しておいた。


そんなあたしに総司くんは懐からタバコを取り出して口に咥えるのだ。


普段から匂いを気にして絶対人前や仕事の時には吸わないけれど、隠れヘビースモーカーだったりする。


この姿を見せてくれるってことは了承したと捉えていいんだろう。


「ほんま、勘弁してよ。こんな時にそんなこと言うん反則やで。」

「なんのこと?」

「はよ離婚したらええのにって思うばっかりは辛いなあと。」


白煙を薫せて、静かに見つめられると何故だか緊張してしまった。


そんな真面目な顔、滅多にしないのになんだって言うんだと思ってしまうからだろう。


「あながち冗談でもないって、覚えときいや。」

「え…、」

「手毬はんに告白するってやつ。」


離婚したら付きおうてって言えるのにって、さっき言ってた冗談を取り出す総司くんには目をパチクリとしてしまう。


「え…。マジ?」

「大真面目ですけど何か?」


唖然とするあたしの目のまでは総司くんが真顔のままツンとそっぽを向いていた。


そんなこと、こんなタイミングでいう?


ちゃんと友達でいたいと思った手前、どうしてもついていけない。


だけど、


「僕やって男やで。ええ女が目の前おったら惹かれるし口説きたくもなる。見る目ない政宗に腹も立つわ。」


ベーッと子供のように舌を出して悪戯っ子のようにニヒルに笑う。


総司くんはやっぱり総司くんだったけど、そんな風に言われるとどうにもそわそわする。


この世界で恋愛なんて諦めていたし、そもそもしたくもなかった。


表面的な愛情だけを取り繕ってやりたい放題なんてあたしには向いてない。


背徳感なんて求めてないし、スリルを楽しめるような女でもない。


堅実に生きて真っ当に仕事して、それから家庭でも築けたら幸せだろうなって思う平凡な庶民なのだ。


「結婚しとる女に言うつもりなかったのに…。手毬はんは誘惑上手やわあ〜。」

「人のせいにしないでよ。そんなこと言ってデートには行ってたくせに。」

「言っとくけどな、デートって言ったってAまでしかしてないけん。」


セフレとは言うが、そこまでがっつりしんどいことせんわ、と総司くんはぼやいた。


まあ確かに、考えてみれば来る女をいちいち相手にしてたらきりがない。


ほどよく楽しませてあげて、それなりに特別感を味あわせて帰ってもらうってことが総司くんのデートってやつだったんだろう。


「だからって、友達だと再確認したタイミングで言う?」

「このまま黙っとったら友達以上にならんなって思ったらついな。」


あっさり返ってくる返事になんて言えばいいのかわからなくて黙り込んでしまう。


そりゃそうだろう。

この世界に馴染むなんてもってのほかだし、


息抜きさせてくれる総司くんに恋心抱いてうざい女になって不倫を当たり前にする女に見えるか?


そう思うのに、


「ほら、そろそろ帰るで。政宗より帰りが遅かったらまた何言われるかわかったもんやないしな。」


総司くんは遠回しに告白しておいて、めちゃくちゃドライな態度。


ほんとついていけないし、どういう接し方が正解なのかわからなくて、


あたしは無言のまま立ち上がるしかなかった。


車の中でも他愛のない話しを聞かされて、それに相槌を打ちながら考え込んでいれば、


「そう重く捉えんといてよ。別に強制なんかせんし、これからも政宗と結婚しとるうちは手毬はんの息抜きに付きおうてあげる大親友するし。」


なんて言ってバックミラー越しに映る総司くん。


その言い方、略したら離婚したら容赦しないって聞こえるのはあたしだけだろうか?


ますます複雑な気持ちになってアルコールなんて一気に冷めてしまう。


そのまま帰宅し、モヤモヤを持て余すままに風呂に入って寝支度を整えた頃合い。


旦那である政宗さんが帰宅したのだ。


大きな屋敷に侍女は複数いて、政宗さんが帰ってくるとパタパタと足音が聞こえるからわかりやすい。


一応、妻という立場もあるのでお出迎えはしなければならないから、ロングカーディガンを羽織って寝間着姿を隠し、


玄関先まで行って「お帰りなさい。」と義務的に口にするのもあたしの仕事。


「ああ…。」


まあいつもこのそっけない返事が返ってきてそのまま自室に向かわれるんだけどね。


その側にはもちろん総司くんもいて、まだ整理がついてないあたしはそそくさと目をそらしながらとっとと部屋に戻ろうと踵を返していた。


だけど、


「待ちなさい。」


政宗さんの一言に呼び止められ、あたしは立ち止まるしかなく、


いつもならこんなこと滅多にないのになと思って嫌々ながらに顔には出さず振り返れば、


「君の淹れるカモミールティーが飲みたい。」


やっぱりなと思う言葉に「用意します。」とだけ告げてキッチンへと方向を変えたのだ。


政宗さんがあたしを呼び止める時、それは決まってお茶を入れて欲しい時だ。


なんでかわからないけれど、結婚生活が始まった当初はあたしも出来るだけのことをしようと努め、


いつも夜遅くに帰ってきて朝早くに出る政宗さんの目の下のクマの酷さに思いつきでハーブティーを淹れてあげたのだ。


それを気に入ってくれたのか、それとも安眠できたのかは知らないが、度々気まぐれに呼び止められて注文を受けるようになった。


キッチンで茶葉を取り出し、お湯の温度を調節しながらティーポットに入れて蒸し、


トレーを用意して運ぶまでに時間はそこまでかからない。


政宗さんの私室はほぼ書斎で本や資料に埋め尽くされており、脇にベットが設置されているというシンプルなもの。


そのサイドテーブルにお茶を用意してあげながら沈黙が耐えられなくて口を開いていた。


「カモミールティーと、お疲れのご様子なので甘すぎないチョコレートも持ってきました。意外と合うので、口にしてくださいね。」


彼女と会っていたと言うのに、どうしてか顔は疲労の方が滲んでいる。


まあ仕事をして彼女と会って、癒されるにしたって疲労がなくなるわけではないのだろう。


側で控えている総司くんを意識しないように努めながら声をかけると、


政宗さんは「ああ…。」と呟きながら近寄ってきてお茶に口をつけていた。


「では、あたしはこれで。」


役目は終えたし、これ以上話すことなんてない。


元より互いの詮索なんて一切しない関係だ。


距離感は一定に保ちつつ、互いの領域には踏み込まない。


それが暗黙の了解となっている結婚生活だからこそ、とっとと部屋に戻ろうとしたんだけど…。


ふと思い出してしまった。


総司くんと目が合ってしまって、今日言われたことを思い出してしまったのだ。


『それ、政宗に言うみたらええやん。』

『はい?』

『いつ離婚してくれるんですかって。』


こんな生活がいつまで続くのか。


結婚してから四年以上。

あたしももう24歳を迎える。


自分の人生がこのまま偽造結婚を続けた末に、どうなるのかと思うと不安は募るし、


あたしだって好きな人と幸せな家庭を築きたいって思うくらいには女として生まれているのだ。


総司くんの告白に対して考えるより、結婚してる今の状況では断らなきゃいけないっていうのに。


それを口にできなかった自分が嫌だった。


だから、


「政宗さん、ひとつお伺いしたいことが。」

「なんだ。」

「いつ、離婚できるんでしょうか?」


聞いてしまっていたのだ。


総司くんの告白に対して体裁やら、自分の立場やらを考えての返答なんて嫌だから。


ちゃんと考えて自分の答えを見つけたいと思ったら、口にしてしまっていた。


部屋の隅で静かに立っていた総司くんが少し驚いたような表情で場を見つめるくらいには、


「いつ、彼女さんと結婚するんですか?」


あたしも総司くんに対しては誠実でありたいという気持ちを誤魔化せはしなかった。


静かに見つめる先では政宗さんが口にしようとしていたカモミールのカップを止めて切れ長の瞳を向けてくる。


ハーフらしい金髪の合間から青々とした深い眼差しは冷たいなという印象しか受けないが、


その迫力も折り紙つき。


家や両親、会社の面倒まで見てくれている政宗さんにこんなこと言うのは失礼に値するし自分の立場をわきまえてないことも承知している。


だけど、


「なんだ、急に。」

「急ではありません。ここ最近ずっと思っていたことです。」


契約、仕事、体裁に虚構の人生。


総司くんのことがなくてもうんざりしていたのは本当だ。


それを後押ししてくれたのが良くも悪くも総司くんの遠回しな告白だったってだけ。


「契約は破っていないが?」


総司くんと同じこと言うのやめてほしい。


契約は破られてないからあたしもこれまで突っ込んでこなかっただけだ。


けれど、


「契約云々ではなく、あたしはいつになったら自由になれるんですかと聞きたいのです。」


恋も結婚も諦めてるわけじゃない。


この偽装結婚に関しては家も両親も会社も救ってくれた恩があるから受けただけ。


そのままはやくも四年以上が経っている。


女としての期限がどんどんすぎて行っている。


そろそろあたしだって元の生活に戻りたいと思うのは普通だろうに。


これは契約以前の問題だ。

彼女はいるし後々、結婚も考慮していると言っていた政宗さんの言葉を信じて、


期間限定の妻をさせてもらっているが、その期間を決められてはいなかった。


「何か不満でもあるのか。」

「不満だらけです。それでも言わなかったのはこれがあたしの仕事だと思っていたからですよ。」

「………」

「結婚したまま、他の誰かと恋愛するのを許されているとしても。それは相手に迷惑ってものじゃないですか。あたしだって不倫なんて関係から始めたくはないんですよ。」


この世界では当たり前のことかもしれないが、あたしにとっては当たり前じゃないのだ。


人としての常識や良識の範囲内ってものはあるのに、この世界では通じないから黙ってただけ。

「……好きな男ができたと、そう捉えていいのか?」

「違います。」


即答するあたしに総司くんがどんな顔をしていたのかはわかからない。


だけど今のあたしの返答としては、


「好きになりたいと思う人が出来たんです。」


友達だと思っていた手前、まだ整理はつかないしあたしは人妻だし、なんだかんだとこの息苦しい生活の中で支えてくれた人でもある。


総司くんとのことを考えるならば、あたしはあたし自身に戻りたいと思うのだ。


それから考えたいし、もっと話しをしたいし、デートだって重ねていけたらと思う。


でもそれをするにはどうしたって離婚が必須項目になってしまう。


「ちゃんとしたい人なんです。だから、お願いですから、早くご結婚相手を見つけていただきたい。」


それまでは道具として体裁を守るための仕事はこなすつもりでいるし、


恩を仇で返そうとも思ってない。


あたしは、


「政治家なんて、大嫌いなんですよ。」


金も地位も権力もある。

それらでどうとでもできると思っている腹の探り合いに一生を費やすなんて御免こうむる。


あたしはそれだけを静かに言って部屋を出ていた。


総司くんに対して、今の誠心誠意を込めた返答はこれだけだ。


これ以上は、政宗さんの意向によると思うと本当にやるせない。


あたしの人生は、結婚している限り政宗さんの采配の元で成り立つ虚構なのだから…。


*****


「どう思う?」


カモミールティーを口に含み、合わせて用意してくれているビターチョコレートを食べながら政宗が問いかける。


その相手はもちろん、この部屋に一人しかいない秘書であり弟である総司に向けられたものだ。


「…と、言いますと?」


総司は手毬を追いかけたい気持ちを押さえ込んで静かに自分の仕事をこなしていた。


「何不自由ない生活はさせていたし、欲しいものは買い与えていたはずだ。あいつがあんなことを言うなんて…、俺は何か間違っていたか?」


政宗は問いかけながらチョコレートとハーブティーのコラボを気に入ったのか、パクパクと食べ進めている。


それを見ながら総司はため息をつきたくなる気持ちを堪えて口を開いたのだ。


「恐れながら、手毬様の欲しいものとは一体なんだと思っているのでしょうか?」


宝石やドレス、ブランド品に高級レストランでの食事をあの女が一度でも強請ったことはあっただろうか?


否、それらは全て政宗が勝手に与えたもので、手毬がそれに対して反抗しなかっただけだ。


総司の問いかけに黙り込む政宗は、口に入れかけていたチョコレートを皿に置いて眉根を寄せる。


「喜んでくれると思ってしていたのだが、」

「旦那様、離婚を本気で考えたほうがよろしいかと。」

「……その口調をやめろ。もっとはっきり言え。弟だろう。」


政宗が眉間にしわを寄せて言い放つことに、総司は顔を上げて気だるげな表情を露わにした。


「ほな言わせてもらうけど、正宗は手毬はんのことなんもわかっとらん。」

「なに?」

「手毬はんはただ普通の幸せを望んどるだけや。こんな腹の探り合いと表面的な社交の世界なんて似合わん女なんやわ。」

「………。」

「しぶとく政宗の妻として仕事してきたんはさっき本人が言った通りそれが仕事やからってだけやで。なんのケアもせんし、心遣いもない。浮気なんて当たり前にして、でも必要な時に呼んで、欲しいお茶だけで夜中も起こす。あんたのわがままに付きおうてんのは手毬はんがあんたに恩着せがましい強迫観念持ってるからってだけや。」


政宗を思ってのことではないし、政宗に振り向いて欲しいとも思ってない。


「いつか離婚してくれって言われるその時を待ちわびて、政宗の理想の妻を演じてるだけや。それで、何不自由ない生活やら欲しいものは与えてきたやら言うんは自己満足にもほどがあるってもんやで。」


総司がはっきり言って見据える兄、政宗は黙り込んでお茶を目にしていた。


「そんなつもりは…、」

「体裁ばっかり口にして、政宗の仕事に付き合わせて、そんなつもりないなんて言うんは酷やろ。」

「………。」

「ほんまに手毬はんのこと思うんやったら離婚してあげえや。」


それが彼女の一番望むことやで、と総司が言い切ると、


正宗はカモミールティーを見つめたまま一言。


「離婚はしたくない。」


その言葉に総司のほうが怪訝な顔をした。


仕事上の都合で言ってるのならぶん殴ってやりたいと思う反面、


「今はまだ、無理だ。」


政治的観念しか考えていないのならそれはそれでホッとしたりする。


まあ政宗が手毬に本気になることはないだろうが、それでも念のためってものはある。


「じゃあいつやったらええんや?」

「………さあな。雛菊とも今日別れてしまったし。」

「それはまたなんで?」

「いつになったら結婚しようって言ってくれるんだって泣かれたんだよ。」

「ああ…、そりゃそうなりますわ。」


付き合っているのに本妻は別にいる。


一年も付き合っているのに、進展がない。


それは不満に思われたって仕方がない。


でも、


「考えてもみろ。手毬さん以外に、完璧に社交をこなしてくれる女がどこにいる。」


雛菊は知名度もあるし、知らない人なんていないだろう。


けれどそれは芸能界での話し。

政治の世界は知らないのだ。


周りからちやほやされるのが当たり前の女優が、社交場で当たり障りなく体裁を貫き利用され、利用し合うような関係になれるかと言うとそうではない。


「そんなもんは一から教えたったらええやないか。手毬はんにこだわる理由にはならん。」

「手毬さんが卒なくこなしてくれるお陰でうまくいっているんだ。それをわざわざ壊す必要がどこにある。」

「つまり、手毬はんよりできる女がおったらそっちに求婚するってことでええんやな?」

「そんな女がいるのかどうからわからないがな。」


あくまでも仕事優先の政宗の発言に、総司はあっけらかんと言い放った。


「そんなん簡単やろ。どっかの大物政治家の奥さん寝取ってものにしたらええだけや。」


手毬がこなすことを当たり前にできる女を作るのは造作もない。


元々政治に携わっていた女をかすめとればいいだけだ。


けれど、


「わざわざ怨みを買うつもりはない。」


誰かの女を取るなんてこの世界では日常茶飯事だが、でもそれは決して戸籍上の関係が動くようなものにはならない。


皆が皆、隠れて逢瀬を繰り返し、夜の道楽として楽しんでいるだけだ。


本当に顔を立てなければならない相手を裏切るものはいない。


「そんなわがままに付き合わされる身にもなったらどうなん?」

「なに、」

「政宗は自分の都合ばっかり押し付けよってからに、手毬はんが淡々とこなすもんやから感覚が麻痺しすぎとんやわ。手毬はんやって人間やで?同じように心もあるし思うところもある。」


顔に出てないだけ、口にしていないだけで、政宗の都合に振り回される女を好きでやっているわけじゃない。


「都合のええ女が欲しいんやったらロボットでも開発したらええやん。」


心もなく淡々と働いてくれる。


手毬の扱いをロボットと同じにするのは違うだろうと。


総司の言葉に政宗はあっという間に食べ終えたチョコレートとハーブティーのセットを横目にため息をついた。


「非現実的なことを言うな。」

「冗談も通じんのかい。例え話しやわ。」

「……」

「現実的に試してみるんやったら雛菊を社交の場に出席させてみたらええやん。始めは苦労するやろうけど、嫌でもこの業界のイロハは覚えられるし、本気で結婚したいんやったら自分に努力が必要やって頑張るやろう。」

「あいつに務まるとは思えないが…。」

「手毬はんに迷惑かけまくっとんのに雛菊にはできんってか?」

「………そもそもすでに別れている。」

「だからなんなん?結婚願望あった元カノにチャンスをくれてやろうってゆうんや。乗ってくるように言葉選びいや。」

「………検討しよう。」


そんな会話で終わる兄弟間の仲はいいとも悪いとも言えない。


もう休む、と言った政宗を残して部屋を出る総司は一応、手毬の様子も覗きに行っていた。


扉をノックして、まだ起きてはる?と声をかければ数秒の間を置いて扉は開かれるのだ。


「どうしたの?」


ひょっこりと顔を出して、まあ入ってと部屋へ誘う手毬の様子は変わらないものだったが、


「好きになりたい人って僕やって自惚れてええんかと思って聞きに来ただけや。」


入る気ないから、と部屋の外で立つ総司に手毬は振り返りながら小さく笑った。


政宗の前では毅然とした顔でニコリともしない。


もちろん誰かを相手にするときはそれ相応の笑顔を貼り付けるが、そうじゃない自然な笑みはあまり見ることができないものだ。


「総司くん以外であたしに告白なんてしてくる男性がいるはずないじゃない。」

「そんなことないやろ。手毬はんは社交界の花形なんやから。」

「あの人が毎度送ってくるドレスを着こなせるようにスタイルを保ってるだけよ。あの人に怒られないように肌ツヤも気をつけてるし食事のバランスだって考えてるわ。恥をかかせないために妻がいる。そういう考えに寄り添うのがあたしの仕事だもん。」


この結婚をした時からね、と手毬は肩をすくめてみせた。


「健気なもんやな…。」


会社も両親も救ってくれた。

金も地位も権力だってない、地元の小さな会社に手を差し伸べてくれたのは政宗だ。


それが自分のイメージアップのためとはいえ、誰もが掴める手ではなかった。


運が良かったし、悪かったのだ。


だから手毬は文句ひとつ言わずに妻を演じ続けることを承諾した。


「仕事に健気もクソもないわよ。お給料を前払いされてるって感覚だと思えばやれないことはないわ。」

「すごい例えやわ〜。自己犠牲に託けて可哀想な女のフリでもしたらええのに。」

「可哀想なんて思われたくないのよ。侮辱もいいところだわ。あたしはあたしのできることをやってるだけ。それだけなんだから。」

「でも、初めて着るウェディングドレスがこないな形になってしもうたんや。ちょっとは政宗を困らせたってええやん。」

「………そうなのかもね。でも選んだのはあたしだから。」


八つ当たりして何か改善されるわけじゃないでしょう?と手毬は力なく笑うだけだった。


女としての喜びも、理想も、夢も、幸せも、全て犠牲にした偽装結婚だ。


そこに思うところがないなんて強がりを言えるほど強いわけじゃない。


そんな手毬のことを知っている手前、総司も「ごめんやで。」と呟いていた。


「不躾なことゆうてしもたわ。」

「事実じゃない。そうゆうこと言ってくれるの、総司くんだけだから。」


感謝してるのよ、と言って手毬はありがとねと言っていた。


それに対して総司は触れたい気持ちを堪えて「おやすみ、手毬はん。」と身を引くのである。


「おやすみなさい。」


ネグリジェ姿の彼女は最後まで背筋を伸ばし、自分の立場をわきまえて就寝へと向かう。


その姿を見つめながら扉が閉められるまで、総司は微動だにせずそっと扉に手を当てていた。


「ほんま…、健気なもんやわ……。」


自ら、深い深い森の中へ突き進んでいく虚構の花嫁。


土地勘もなければ、生き残るすべも知らない。


そんな花嫁は今、経験を経て険しい森の中でサバイバルを生き抜いている。


必死になって、自分の自由が掴めるその瞬間を待ちわびている。


戦い続けながら……。


さしずめ彼女を例えるならば…、


戦火の花