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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

日本宣教43-悲劇の慶長遣欧使節

2020.07.27 11:38

1613年に日本を出発した支倉常長ら慶長遣欧使節がスペイン王フェリペ3世に謁見できたのは、15年1月30日である。セヴィリアでは大歓迎を受けた使節は、ここではそうはいかなかった。なぜなら同時に宣教師の手紙も運ばれ、日本のキリシタン弾圧の様子がわかったからである。

支倉の父は失敗をして切腹、常長は追放のところ、この使節の使命を言い渡されたようだ。常長には起死回生だが、仙台藩にとっては使い捨てもできるところ。不退転の常長は信用を得るために、キリスト教に改宗した。洗礼名ドン・フェリポ・フランシスコ。

常長使節は、スペインから通商の承諾を得られぬまま、10月25日、ローマで教皇に謁見。政宗から「領民をキリシタンにする」との手紙を渡した。しかし教皇は信用せず、まず領主自ら改宗する必要があると述べ、教皇の後押しは得られず、スペインに引き返した。

スペインでは、もはや国王の謁見はできず、退去命令が出たが常長は修道院で留まった。その祈りの中でキリスト教の信仰を深めたようである。願いむなしく、16年には、スペイン艦隊に乗って帰国の途についたが、現地に残って子孫を残した日本人も居るようだ。