全生 ~野口晴哉先生語録~
《野口晴哉語録より》
前文略
生命は自然のものだ。人間は何故生まれ、何故生き、何故死ぬのかを知らない。知らないままで生きている目的をつくって、その実現の為に精進しようとするが、果たして然るか、疑い無きを得ない。
何故死ぬかも、死んでどうなるかも知らないで死ぬ。人間にとって為すべきことは、その生を全うすることだけである。生きることは手段に非ずして目的なのだ。
これが「全生」という雑誌名を決めた理由である。この考えは今もって変わらない。ただ異なったのは自然の健康を保つ為の手段方法で、考えは昔感じたことから四十年間変わりはない。
私は昔は声が全く出なかった。一尺離れると全然声が聴こえなかったそうである。その為自分の意見はいつも相手の声に押しつぶされた。その為、内で独りで考える習性を持つようになったのである。しかし、私は、その出ない声のまま気合いを練習した。声が出るようになったのは十四才前後、十五、六になって初めて講演をして声が皆に聴こえるようになった。
自分が声が出ないのに、他の人は極めて簡単に声を出し、無駄なおしゃべりを平気でしているということが不思議でならなかったし、又思うことをしゃべったり、その声が聴こえたり、その声でいろいろのことを伝えたり、怒らせたり、泣かせたりすることが不思議でならなかった。
人間が生きているということそのものが驚きだった。この時の驚きは今も尚、私の内には新鮮なまま保っている。
この地上は全く不思議な生命の現出した世界である。この不思議と驚きが推進力になって、今になっても厭きずに人の体を興味をもって見つづけているが、もう始めてから四十二年になる。
毎日十八、九時間から二十一、二時間は人を見ている。眠りは一、二時間から三、四時間、めったに五時間になることはなかった。それでも厭きない。面白い、楽しい。今でも全く同じだ。
ともかく自然健康保持会を設立し、「全生」という雑誌を発行し、野口法という、依りかかるものを壊しつくせば自から立つという心を行動に移した技術で、多くの人の心や体に活を入れることを行った時が、第一期とでもいうか、初めに為したことである。全生の会という活元運動を実行し合う会も、このことを大勢の人に行わせる為のもので、この会は十二、三万を数えた。
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