かつて”死の島”と呼ばれたセントーサ島
今ではアトラクションパークや、沢山のリゾート施設が建って、ビーチも綺麗に整備されて国内唯一のリゾートアイランドであるセントーサ島はマレー語で平和&静寂の意味だそうだ。
雨上がりのビーチ沿いを歩いていたら、楽しい陽のイメージよりも、シンガポールに越してくる前に読んだシンガポールの歴史本に書いてあった旧日本軍占領時代の陰のイメージが脳裏に浮かんだ。
1942年旧日本軍がイギリス&オーストラリア兵士を捕虜収容所として利用した事もあり、もっと遡ると1840年代にマラリアの流行で多くの島民が亡くなり、生き残った人達が本土へ渡ってPulau Belakang Mati”死の島”と呼んだそうだ。(1972年までそう呼ばれていた)
ちなみにケッペル島はPulau Hantu”幽麗島”と呼ばれていたのだそう。
なので、お家探しの時に旦那にケッペル島は?と聞かれて、ゴーストの島って呼ばれてたらしいから嫌だ!って言ったのを覚えている。
1942年2月のシンガポールの華僑粛清では旧日本軍は治安確保の為と称し、
市内数か所に18~50歳の中国人男性全員に数日間の食糧を持参して集合するように伝える。
検問所では3日間で60万人を超える中国人が検証されたのだとか。
そして反日、共産主義者、イギリスへの協力者とみなされた人達はそのままトラックに乗せられて東海岸やセントーサ島周辺で大きな穴を掘らせた後に銃殺。
過去の事だけど、現在この国に住まわせてもらっている身分の日本人としては知らなかった~で済ませてしまってはいけない話だと思うのです。
シンガポールの父、リークワンユーは検証を受けて、トラックに行くように言われたが、機転を利かせて自宅にこっそり逃げ帰ったとある。もしそのまま彼がトラックの荷台にいたなら、今のシンガポールはもっと違う国になっていたかもしれないし、マレーシアの一部であったかもしれない・・・・
シンガポール華僑粛清で調べたら、当時の検問所を行った場所や処刑場になった場所が記された地図を見つけた。処刑場だった場所には住みたくないなぁ~と思って・・・・
私自身に霊感があるとは思わないけれど、ベルギーにある強制収容所に行った時、寒気がして怖くて怖くて仕方なかったので、そういう場所にはあまり近寄りたくないという気持ちがあるのです。
話が逸れてしまったけれど、セントーサ島をパラワンビーチからシロソビーチ辺りまで歩いてみたけれど、これと言って魅力的なビーチクラブが見当たらなかった。
きっとファミリーには良いのかもしれないな~