ZIPANG-4 TOKIO 2020 黄金の国ジパング『ケセン』(その10)~気仙三十三観音巡り~自然の中にも観音様の御姿が!(Ⅰ)
気仙では、自然の中にも観音様の御姿が!
ここは、探し求めた桃源郷・観音の里なのだろうか?
心眼を開いて見てご覧…赤い花びらは千手観音菩薩様の優しい掌なんだよ・・・
大船渡市日頃市町・五葉山、5月 撮影:鈴木英里(東海新報社)
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いま世界的に新型コロナパンデミックの真っ只中ですが、日本ではこれに追討ちをかけるように、7月初旬には「令和2年集中豪雨」と命名された災害で熊本県や岐阜県において沢山の方々が犠牲者となられ、大きな被害を蒙ったばかりです。
この度は9年前の東日本大震災において未だ復興途上にある三陸地域のニュースをお届けするに当たり、改めて犠牲となられたすべての方々へ謹んで哀悼の意を捧げるものです。
合掌
編集局記
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慈母観音に思い重ね…亡き娘を思って、2017年大船渡市末崎町の麟祥寺に寄進
同町出身の山本さん(仙台市在住)
陸奥の人々が観音信仰に寄せる特別な想いとは
早速ですが、東北地方の六県とは何県であり、マップの上でどの様なレイアウトになっているか正確に答えられる人は手を挙げて〜(笑) 「ハーイ! それは岩手、青森、秋田、新潟、山形、宮城かな…?あっ…福島県もでした〜」・・・それは ペケです。第一、それでは7県になります。追加の福島県はOK、新潟は中部地方になります。・・・「え〜っウソ〜っ!新潟県は山形県に隣接してますよ〜それに新潟県は関東地方よりも北でしょう?」・・・これは今の初等教育で用いられている資料です。・・・下図の八地方区分図 をご覧下さい。
出典 ウィキメディア
実はペケ回答の主が30年前の私でした。(苦笑) 東北地方とは圧倒的にその情報量が少ないと言いますか…メディアに上る回数も少ないし、イメージも地味ですよね〜
それが、一挙に有名になったのは東日本大震災とそれが起爆剤となった、福島県の原発事故からでしょうか?
いえ、それは古から代々日本の為政者※¹による歴史的に続いた東北地方の民= " 蝦夷えみし" ※²を相手にした圧政によるものであったことが、私が東北へ移住したからこそ良く分かったことであります。
※1.王朝貴族政権 (大和朝廷の飛鳥時代~平安時代迄)〜
戦国武家政権 (鎌倉時代|~徳川末期まで) …凡そ1500年間の長きに亘る。
※2. この蝦夷・えみしとは
時の為政者に服從せず抵抗する種族を称して、祀ろわぬ者として人を虫けらか爬虫類に見立てた用語で蔑視したのです。
大和朝廷はこの陸奥の土地こそ武器に使う産鉄と錬金術、その他の貴重な鉱物資源、砂金の採れる黄金郷である事、もうひとつ、東北の藤原王朝の繁栄を支えたのは、この金に加えて当時は最も俊敏なる脚力と耐久力共に優れたサラブレッド級の馬産地区でもある事でした。朝廷側はそのことを知っていたのです。それ等を手に入れることが政権を安定させ、群雄割拠する豪族を制する為の必須条件でした。
さて、私にとっての三陸と言えば征夷大将軍 坂上田村麿率いる朝廷側軍隊対東北軍隊との最大激戦地がご当地越喜来(オッキライ)湾の凄まじきイメージでした。
かくの如き秘めたる歴史性が重なり、あの消そうにも消せない東日本大震災被災地のシーンに思いを馳せると、何という因果なことかとやはり、いたたまれぬ気持ちになり、引きずり込まれそうになる私です。
岩手県は北海道を除けばその領有地面積の広さときたら、我国では最大県であることをご存じでしょうか?
当初、このシリーズは、その何倍もある岩手県の黄金郷から話が始まっていました。
でも、ここでは思い切って海辺から離れまして、昔の記憶を残している三陸地域の文化と、私が見聞したほんの些細な知見について呟いて見たく思いました。
重油から海を守れ!大船渡湾で回収作業の様子(平成23年6月10日)
大津波によって流出、漂着した重油から海を守ろうと、大船渡湾内で回収作業がスタートした。特に状態がひどかった赤崎町永浜・山口地区では、蒸発しにくいC重油が海面や岸壁を黒く覆い、不快な油臭が充満。現場では、国内外から集まったボランティアや市の職員が油にまみれた木材などを片付け、水面に吸着材を敷くなどの作業に当たった。
再興なった被災した大船渡市の中心地。海に面してコンクリートの高潮防波堤が延々と続いている…(2020年5月31日)
あの沿岸部から少し高度を上げて高台や山の手に入れば、緑豊かな丘陵地帯や山間部となり、海も遠くに望む全くの安全圏で、安らぎそのものの世界に一変します。それは、三十三観音という信仰の世界、特に不可視の観音信仰が今も護り伝えられて来たのは…あのリアス式海岸特有の地形から歴史的に、何度も津波に襲われ続けた土地柄であることに、決して無縁な話では無い筈です。それも、観音菩薩は如来になる為の修行身とされます。つまり、より人間に近い母性の心で寄り添って下さる存在なのです。
では、何故三十三観音巡りなのか?そのルーツを辿って見ましょう。 ご当地、三十三箇所の観音お堂の内、そのご本尊がどの様な御方なのか拝見すると、大体、聖観音菩薩、十一面観音、千手観音菩薩、如意輪観音菩薩、馬頭観音菩薩の五種類の仏様でした。
梅林寺 ~日本最初の寺~ 538年建立(対馬)
百済の聖明王から欽明天皇に献呈された仏像を仮置きするために建立された、日本最古の寺と伝えられているのがこの梅林寺。対馬を経由して日本にもたらされた仏教は、蘇我氏と物部氏の対立を引き起こし、やがて聖徳太子の登場により仏教国家・日本が誕生することになります。
中でも一番多いのが聖観音菩薩。そして最も中心的存在の仏様です。日本に仏教を伝えたのは538年、百済を通じてでした。そのルーツとは本来、ヒンドゥー教で謂われるインドのアヴァローキテーシュヴァラという名の女神とされます。
ちなみに、現在のチベット仏教は、チベットを中心に発展したものですが、2018年11月に来日されたダライ・ラマ14世はご自身が生まれ代わりの生き仏様 正調、聖観音とされています。
続いて個人的見解ですが、東北各地で多いのが十一面観音、千手観音様です。こんなに幾つもの手やお顔が有れば正にオールマイティーの御利益がありそうですね〜?しかし、私はもっと別次元の謎解きに挑戦中!ですが、紙面が限られていますので…機会があれは次回に・・・
色紐子(いろひもこ)記
気仙三十三観音巡り
気仙三十三観音とは
概要
気仙地域の観音霊場巡りのために選ばれた、2市1町にまたがる33の寺院。気仙町の泉増字を一番札所とし、高田町の浄土寺まで三十三番札所があります。現在の市町別では、大船渡市に6カ所、陸前高田市に21カ所、住田町に6箇所の札所があります。
由来
気仙三十三観音は、江戸中期、享保3年(1718年)春から、高田村の検断役(大庄屋)・佐々木三郎左衛門知則が父母の追悼供養のために選定したと、『気仙風土草』に記されています。
法量山 洞雲寺
気仙三十三観音 二十一番札所
法量山 洞雲寺とは
寺伝によると、開創は永禄3年(1560)気仙郡浜田村
(現陸前高田市米崎町)の普通門寺開山の如幻充察を招請し、第一世としたという。こ
の観音堂には28体の観音像が祀られている。寛延3年(1750)時の大富豪だった猪川村の稲子澤家が寄進した。当初は33体→27体→明治になって1体が寄進され現在は28体
となっている。稲子澤が寄進した竜宮門もすばらしいが、その2階に安置されている釈迦、
文殊、普賢の三体仏と十六羅漢像も一見の価値がある。
大船渡市盛町字宇津野沢20
龍福山 長谷寺
気仙三十三観音 二十二番札所(気仙三観音)
龍福山 長谷寺とは
大同 2年(807)開基。坂上田村麻呂に滅ぼされた「赤頭」という鬼の首
を埋めた墓上にお堂を建てたと伝わっています。気仙三観音の筆頭に置かれ、「鬼の牙歯」33枚が現存することでも知られています。観音堂の脇に白亜の収蔵庫があり、県指定文化財の木造如来座像と木造十一面観音像は平安末期の作とされます。平安から鎌倉にかけて気仙郡内の信仰を集めたといい、境内に文化財的古碑が7基残っていて、地元では「はせでら」と呼び親しまれています。
長谷寺の観音堂は、当初、同市赤崎町中井の小田の地にあった。今でも寺の跡が残
っています。しかし、観音堂ともども次第に荒廃。寛永2年(1625)永證法印により小田から現在地に移転したとされているのです。現在の観音堂は、享保元年(1716)に再建されたもの擬宝珠を屋根にいただいた端正な方形の御堂は、朱色のトタン葺きで、広さは3間四方。大船渡市猪川町字長谷堂127
田端観音堂
気仙三十三観音 二十三番札所
田端観音堂とは
「田端観音」「台」という屋号で知られ、同町に多い志田姓の
大本家とも言われています。
観音様は千手観音。一寸二分(約4㎝)と小指大の大きさで、ご
本尊は秘仏となっています。秘仏はケヤキ材と思われる高さ1mほどの黒光りした小堂(厨
子)に納まっています。前仏として金箔もまばゆい10㎝ほどの聖観音小像が安置されており、通常はこの厨子の前の観音像を拝することになります。2011年の東日本大震災による区画整理のため三陸鉄道陸前赤崎駅脇に新築された。大船渡市赤崎町字大洞113ー1
熊野神社熊野堂
気仙三十三観音巡り 二十四番札所
熊野神社熊野堂とは
閑静で広々とした境内が清々しい。天然記念物の「三面椿」の古木が神社の側面に
あることでも有名だ。「鎌倉時代、松島寺(瑞巌寺)が天台宗改宗の際、焼き討ちをおそ
れ、僧侶達が祭具、仏像など宝物一切を舟に積んで海に逃れ、末崎町泊浜の麻腐島と
いう岩礁に流れ着いた」という、漂着伝説が熊野神社と結びついているのです。注目されるのは
鋳銅製の鰐口表面に「松嶋用員」の銘帯があり、松島寺との関連がうかがえます。平成5年12月に奉納された白木の聖観音像が現在の物。大船渡市末崎町字中森
小舘観音堂
気仙三十三観音 二十五番札所
小舘観音堂とは
ご本尊の千手観音は秘仏で、地元では、魚籃観音、または鯨観音と呼ばれ、漁業を守護する観音とされます。魚籃とは魚を入れるビクのことです。小館という名称は海岸に突き出た地形の、小高い場所にあるところからきたと言われています。 観音像が建てられたのは宝永5年(1708年)。現在は小館のふもとにある屋号「二位屋」熊谷家が観音堂を管理しています。現在の観音堂は東を向いて2間四方の大きさです。昭和40年に再建されました。
岩手県陸前高田市広田町字泊
田束観音堂
気仙三十三観音 二十六番札所
田束観音堂とは
ご本尊の聖観音菩薩は秘仏で、山頂に祀られています。養老年間(717~724)に、インドの川から採れた砂金で作られた5㎝ほどの金仏とされます。
田束観音堂は、田束山(たつがねさん)の山頂にあり、別当は山のふもとの善性寺で、気仙町の金剛寺が兼務しています。参道の登り口にある赤い大鳥居とカエデの大木が目印。
地元の言い伝えでは、かつては女人禁制の山で辰金山と表記したものが、その形状が稲束を立てた形に似ていたため、後世になって「田束山」と名付けられたとのことです。
岩手県陸前高田市小友町字沢辺3
気仙三十三観音巡り 次号に続く・・・
参考
ZIPANG-3 TOKIO 2020 「 世界遺産 熊野古道のまち『熊野市』伊勢路を行く(続編-1)」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/6664947/
ZIPANG-3 TOKIO 2020 「 世界遺産 熊野古道のまち『熊野市』伊勢路を行く(続編-2)」日本最古の神社 花の窟(はなのいわや)神社
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/6667216/
ZIPANG-3 TOKIO 2020 「 神々が眠る日本最古の地・ 花の窟~花の窟(はなのいわや)神社~(続編-3)」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/6679209
鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」明和町観光大使
石川県 いしかわ観光特使
協力(順不同・敬称略)
東海新報社
気仙伝統文化活性化委員会
〒022-0002 岩手県大船渡市大船渡町鷹頭9−1 電話: 0192-27-1000
梅林寺 〒817-1101 長崎県対馬市美津島町小船越382 電話: 0920-55-0369
日原もとこ(色紐子 いろひもこ)
東北芸術工科大学 名誉教授 風土・色彩文化研究所 主宰 まんだら塾 塾長
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